14日(日)、無事に千秋楽を迎えた
劇団うつり座『糸地獄』について。
5月13日付の弊ブログで一度書いて、
ただネタバレをさけて概要のみ、
「つづき」とした。ので少し書き足し…。
機会を改めて、と約束しながら
諸般の都合で書かずに終わることも多い。
けれども今回は、是が非でもと奮い立ち、
筆をとっ…いや今時、筆もペンも執らない、
なんならキーボードを叩く、すら微妙だ。
実際、スマホのタッチキーで書いている。
と、世は移ろい行くものである。
写メみたいなポストもほぼ姿を消した。
そろそろ本題。
昭和臭の強い世界観の戯曲と
昭和を排した美術や衣裳を融合した舞台で、
昭和生まれの役者たち(全員じゃなかった)が
力強く、かつ艶かしく観客に向かってきた。
その拳にはギュッと令和が握りしめられていて、
だから観客は、郷愁と今を同時に感じとれた。
現代演劇で多く見られるのは、
若い役者が終盤、見事に老けて演じる
演出だったりするわけだが。
シニア劇団では、序盤から中盤まで、
若い娘に「化けて」演じ、クライマックスに
「本当の老女」が、圧倒的な説得力で迫り来る!
そんな『糸地獄』をちょびっと歌舞伎風に表現。
転ぶ婆の複数型で「ころんばす」、
前述したように美しさ満載の公演につき、
音的には不要の「美」を添えて。
〈美しいコロンブスの卵〉
歳若い娘をベテラン女優が演じるといえば、
森光子の『放浪記』等、思い浮かぶ。
劇中のでんぐり返しは有名だが、
そこから「転ぶ」を発想したわけでも、
足腰が弱ってコロぶことでもなく、
日常から逸脱した非日常=演劇の意味。
それから。
前身の劇団がふくよかな卵とするなら、
とてつもない雛の誕生を祝って。
シニア劇団という枠組とは一線を画す
創造集団は、果たしてどんな鳥に成るのか?
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