昨日登った吾妻山は比婆山山系の山です、というタカ長の認識が正しいのかどうか知りませんが、とにかく、そのように認識しています。
若いころからこのあたりの山を歩いていますが、その基本的なパターンはJR比婆山駅でおりて、そこからが徒歩でした。
熊野神社まで車道を歩き、そこから山道に入り、那智の滝を見て竜王山に登ります。
そこにある山小屋で泊まるかテント泊をして、翌日は立烏帽子山➡比婆山御陵➡出雲烏帽子山➡吾妻山➡森脇集落と歩き、森脇からバスで三次に帰るのが定番コースでした。
そのような登山をしていたので、吾妻山も比婆山もひとつのグループに思えるのです。
その山系の西のはずれを歩いたのが昨日のファミリー登山です。
山頂でのんびりと昼食をとったときとか、行きのバスの中で比婆山のことについて話したのですが、、、、
正直言って不勉強なのでいい話が出来ませんでした。
話したかったのはこの比婆山が国産みの母、イザナミノミコトが葬られている山であると言うことです。
イザナミノミコトが火の神を生んだあと死に、それを深く悲しんだイザナギノミコトが比婆山に葬ったということが言い伝えらえています。
その比婆山は画像の中央のチョッとだけ高くなっているところです。御陵といわれています。
その比婆山への分かれ道から見た風景です。下に見るのが大膳原で、そのすぐ上に比婆山・御陵が見えています。
そのあたりを歩くには、2011年に60年ぶりに復元された「比婆山古道」を歩くのが便利です。
昨日もその比婆山古道の登山口を通過して吾妻山の国民休暇村に行ったのですが、この登山口に車を置いて歩けば丁度良い日帰りコースになります。
約1時間で御陵に登り、そこから出雲烏帽子山、大膳原、吾妻山と歩き、国民休暇村に下りて、熊野古道の登山口まで帰ってもビックリするような距離にはなりません。
タカ長お勧めのコースですが、昨日は小さな子どもも参加しているファミリー登山だったので熊野古道を登らなかった、ということです。
別の日に撮った御陵です。深いブナの森の中にあります。
このような説明を見ながら歩くことが出来るのがこのコースのウリだと思われます。
少しだけ補足します。
黄泉の国にイザナミノミコトを追っていったイザナギノミコトはイザナミとの約束を破りその姿を見てしまいました。
体が腐りうじ虫がわいている姿を見られたイザナミは激怒して黄泉の鬼を使ってイザナギノミコトを追い返したということです。
女との約束を破ると大変なことになりますよ。
「飛越岩(とびこいわ)」と言われている岩です。
火の神を生んで大やけどしたイザナミノミコトを見てビックリしたイザナギノミコトがこの岩と飛び越えて吾妻山へ行ったとされています。
そのとき「わが妻よ」と言ったので、イザナギノミコトが飛んで行った山が「吾妻山」と言われるようになった、と何かで読んだことがあります。
このような古事記ゆかりの遺跡(というのかどうか知りませんが、、、、)がこのコースには他にもありますから、まだ歩いておられない人はぜひ歩いて下さい。
少し遠くから来られても損はさせませんよ。
最近は鳥見に行っていないので、この画像はネットから借用しました。
余談です。
国産みの母と父であるイザナミノミコトとイザナギノミコトは国産みの方法を知らなかったとうのです。
それを心配した天上の神がキセキレイをつかわし、それを見た二つの神が交(とつぎ)の方法を得て、淡路島を生んだと、というようなことが日本書紀に書かれているようです。
鳥を見る人はご存じのことですが、キセキレイは尾羽を上下させています。あれを見て男女が交わることを知ったというのですが、面白い記録ですね。
もっともそのセキレイがハッキリとしていないので、日本の固有種であるセグロセキレイと見るのが妥当ではないかと、タカ長が読んだ「万葉の鳥、万葉の歌人」の著者谷部治氏は書いておられます。
これはタカ長が探鳥会のリーダーをしていたころ仕入れた雑学の一つです。
日本の歴史上最初に出てくる鳥はセキレイ、というのは探鳥会の雑談になるでしょう。
ということで、国産みの母の山のことを書いたついでに紹介させてもらいました。
そんなこととうの昔から知っているよ、と言わないでくださいね。
若いころからこのあたりの山を歩いていますが、その基本的なパターンはJR比婆山駅でおりて、そこからが徒歩でした。
熊野神社まで車道を歩き、そこから山道に入り、那智の滝を見て竜王山に登ります。
そこにある山小屋で泊まるかテント泊をして、翌日は立烏帽子山➡比婆山御陵➡出雲烏帽子山➡吾妻山➡森脇集落と歩き、森脇からバスで三次に帰るのが定番コースでした。
そのような登山をしていたので、吾妻山も比婆山もひとつのグループに思えるのです。
その山系の西のはずれを歩いたのが昨日のファミリー登山です。
山頂でのんびりと昼食をとったときとか、行きのバスの中で比婆山のことについて話したのですが、、、、
正直言って不勉強なのでいい話が出来ませんでした。
話したかったのはこの比婆山が国産みの母、イザナミノミコトが葬られている山であると言うことです。
イザナミノミコトが火の神を生んだあと死に、それを深く悲しんだイザナギノミコトが比婆山に葬ったということが言い伝えらえています。
その比婆山は画像の中央のチョッとだけ高くなっているところです。御陵といわれています。
その比婆山への分かれ道から見た風景です。下に見るのが大膳原で、そのすぐ上に比婆山・御陵が見えています。
そのあたりを歩くには、2011年に60年ぶりに復元された「比婆山古道」を歩くのが便利です。
昨日もその比婆山古道の登山口を通過して吾妻山の国民休暇村に行ったのですが、この登山口に車を置いて歩けば丁度良い日帰りコースになります。
約1時間で御陵に登り、そこから出雲烏帽子山、大膳原、吾妻山と歩き、国民休暇村に下りて、熊野古道の登山口まで帰ってもビックリするような距離にはなりません。
タカ長お勧めのコースですが、昨日は小さな子どもも参加しているファミリー登山だったので熊野古道を登らなかった、ということです。
別の日に撮った御陵です。深いブナの森の中にあります。
このような説明を見ながら歩くことが出来るのがこのコースのウリだと思われます。
少しだけ補足します。
黄泉の国にイザナミノミコトを追っていったイザナギノミコトはイザナミとの約束を破りその姿を見てしまいました。
体が腐りうじ虫がわいている姿を見られたイザナミは激怒して黄泉の鬼を使ってイザナギノミコトを追い返したということです。
女との約束を破ると大変なことになりますよ。
「飛越岩(とびこいわ)」と言われている岩です。
火の神を生んで大やけどしたイザナミノミコトを見てビックリしたイザナギノミコトがこの岩と飛び越えて吾妻山へ行ったとされています。
そのとき「わが妻よ」と言ったので、イザナギノミコトが飛んで行った山が「吾妻山」と言われるようになった、と何かで読んだことがあります。
このような古事記ゆかりの遺跡(というのかどうか知りませんが、、、、)がこのコースには他にもありますから、まだ歩いておられない人はぜひ歩いて下さい。
少し遠くから来られても損はさせませんよ。
最近は鳥見に行っていないので、この画像はネットから借用しました。
余談です。
国産みの母と父であるイザナミノミコトとイザナギノミコトは国産みの方法を知らなかったとうのです。
それを心配した天上の神がキセキレイをつかわし、それを見た二つの神が交(とつぎ)の方法を得て、淡路島を生んだと、というようなことが日本書紀に書かれているようです。
鳥を見る人はご存じのことですが、キセキレイは尾羽を上下させています。あれを見て男女が交わることを知ったというのですが、面白い記録ですね。
もっともそのセキレイがハッキリとしていないので、日本の固有種であるセグロセキレイと見るのが妥当ではないかと、タカ長が読んだ「万葉の鳥、万葉の歌人」の著者谷部治氏は書いておられます。
これはタカ長が探鳥会のリーダーをしていたころ仕入れた雑学の一つです。
日本の歴史上最初に出てくる鳥はセキレイ、というのは探鳥会の雑談になるでしょう。
ということで、国産みの母の山のことを書いたついでに紹介させてもらいました。
そんなこととうの昔から知っているよ、と言わないでくださいね。