タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

裏山の巨樹を探して

2019年06月19日 | 山歩きから
    

髭男爵さんが、西広島バイパスに近い千同橋の近くから見た二郎杉の写真を投稿されていました。

それを見てタカ長たちが二郎杉を見つけたころのことや、このような地図を作成していたことを思い出しました。

作図したのは相棒ですが、裏山の巨木地図です。そのころは巨樹を求めて何度も裏山を歩いていました。

巨樹とか巨木とかいいますが、ネットで調べてみると明確な定義はないが、幹の周囲が3メートル以上のものがその対象になる、と言うようなことが書かれていました。

そのような木を捜し歩いたこともあるのです。

この地図には二郎杉のほかにアカガシ、ツクバネガシ、ヤマザクラ、イタヤカエデなどを記載しています。

それなりの成果があったともいえますが、これで完成したわけではありません。調査が完了していないからです。

わが裏山は小さな山ですが、それでもすべての尾根、すべての谷を見てまわるのは難しいのです。地図からは想像できないような地形があったり、下手に足を踏み入れると落ち葉なだれみたいなものを起こし、危険なところもあるのです。

そのためこの調査は加齢とともに中断したままになっています。

    

裏山にはこのような岩もあります。二千六百、という字がかすかに読みとれます。

ということは、皇紀2600年の年に里の人が彫ったものだと思われますが、詳しいことは何も分かりません。

今の感覚では、ここは里からずいぶん遠いように思えるのですが、このあたりで山仕事をしていた人にはとっては日常生活圏だったのでしょう。

このような情報も地図に落としこめば充実した内容になると思われますが、この歳になるとそのような危険がともなう調査はしないほうが良さそうです。

    

仲間たちと裏山を歩くのはいわゆる登山道だけです。

ふみ跡を歩くことはありますが、それは2~3名で歩くときだけです。ゾロゾロ列をなして歩くことはありません。

そのようなルートでは、二郎杉のすぐ下から、二郎杉の尾根のひとつ南側の尾根道が面白かったです。

その尾根を下りたところは沢すじで、その沢をつめてゆくと二郎杉の尾根に帰れます。小さなバリエーションルート(?)ですが、チョット面白いルートだと思っています。

その沢を初めて歩いたのは、広島東洋カープが25年ぶりに優勝した年だったので「勝鯉(しょうり)沢」と名づけました。

このルートでは巨樹といえるような木は見つけていませんが、それなりに大きな木は見ることが出来ます。

話題がそれますが、わが裏山にはカゴノキ(鹿子の木)は無いと植物に詳しい友だちが言っていました。しかし、私たちが巨樹の調査をしている時に何本かのカゴノキを見つけました。

その友だちがいい加減なことを言った、と言っているのではありません。小さな山でも人の目が届かないところはいくらでもある、と言いたいのです。

そのような目をもって歩けば、裏山はまだまだ色々なことを教えてくれるはずです。

タカ長が倒れるまで歩いても、飽きることはないはずです。