たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

ぶらり道草旅その6 奥浜名湖・浜名湖SA

2018年03月26日 21時25分17秒 | 旅行記

ぶらり道草旅その5 新居関跡・新居宿 の つづきです。

ぶらり道草旅その6 奥浜名湖・浜名湖SA

新居関跡を出発し 浜名湖西岸、国道301号を北へ、三ケ日方面に向かって走ります。
ほとんど信号のない長閑で快適な湖岸道路です。
あっという間に 浜名湖の最奥部、右方 大崎半半島で囲まれる形の猪鼻湖に着きます。
大崎半島の浜名湖レークサイドウエイを通り 東名高速道三ケ日ICに入るため 新瀬戸橋を渡ります。
新瀬戸橋を渡って直ぐ 浜名湖遊覧船乗り場と売店が有り 駐車可能なため 散策と買い物と相成りました。

新瀬戸橋、

猪鼻湖神社、

妻と義姉は 専ら買い物、ネーブルと花を ごっそり買い込みました。

三ケ日ICから 東名高速道に入りましたが 直ぐまた 浜名湖SAで休憩、散策です。
浜名湖に突き出た半島状に有るSA、広々した まるで公園のようです。

桜は 5分~6分咲きでしょうか。

南方 弁天島方面、

浜名湖SAを出発して 東名高速道、新東名高速道、途中 SA毎に休憩しながら とにかく安全運転で 無事 帰還出来た 道草旅でした。

(おわり)

 

 

 

 


畑日誌 2018.03.26 キヌサヤ、スナックエンドウ、グリーンピース 支柱立て 他

2018年03月26日 18時38分51秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

ここ数日の温かさで 庭の花も一気に開花し始めている。
放ったらかしの畑は、どうなっていることやら?、
午後2時過ぎになってから やおら重い腰を上げ 様子見に出掛けた。

ヤッ!ヤッ!ヤッ!ナンジャ コレハ・・・、
いつも車を置いている空き地やら 栗林の中やら・・・あっちこっちが異様な光景。
掘り返されたような跡が有り 畑には 大きな足跡が・・・。
居合わせた 隣りの畑のご主人に尋ねると 2~3日前に、が出没、周辺一帯が 荒らされたとのこと。

  

では ウチの畑は どうか?
タマネギや、ジャガイモの畝を 走り回った足跡は有るものの 掘り返された形跡は無し。
驚いたのは 先日積み上げた雑草の山が ことごとく崩され 掘り起こされていたこと。
猪の鼻の威力 おそるべし。
もしかしたら集団かな。

 

隣りの畑のご主人の話では 猪のお目当ては ミミズなんだそうだ。
雑草を山積みすると また ミミズが増えそうなので しばらく 広げたままのしておいた方が良さそう。
当地 猪出没情報は これまで何度も有ったが ここまで荒らされたのは初めて。
さて 今年の畑は どうなることやら。

(1)キヌサヤ、スナックエンドウ、グリーンピースの支柱立て
既に蔓が延びて つかまり所を探しているため 放置出来ず。

 

(2)ホウレンソウ収穫
生育が悪かったホウレンソウ、ここに来て 急成長。

採れ過ぎてしまい 早速 妻は 知人友人に お裾分けに出掛けた。

 

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ぶらり道草旅その5 新居関跡・新居宿

2018年03月26日 12時31分00秒 | 旅行記

ぶらり道草旅その4 浜松 午後の再会 の つづきです。

ぶらり道草旅その5 新居関跡・新居宿

宿泊した浜名湖の近くの宿を出発し 国の特別史跡に指定されている「新居関跡」を 訪ねました。
無料の駐車場(33台)が有ります。

新居関所は 慶長5年(1600年)、天下統一を果たした徳川家康によって創設された関所の一つです。幕府は 江戸を守る目的で 全国各地53ヶ所に 関所を設けましたが 特に 東海道の箱根関所、新居関所は 「入り鉄砲と出女」に対して 厳しい取り締まりが行われたようです。新居関所に限っては 江戸に向かう女性(入り女)にも 手形が必要で 不備の場合は通ることが出来なかったということです。
何年か前に読んだ小説 平岩弓枝著 「水鳥の関」の舞台が その新居関所、新居宿でした。

 

(1)新居関所資料館

入館料(新居関所資料館・新居関所(関所面番所建物)・紀伊国屋資料館)は 大人 410円、
開館時間は 9時~17時、(休日 月曜日)

新居関所資料館1階、2階に 関連資料が展示されていますが 館内は 撮影禁止です。

(2)新居関所(関所面番所建物)

新居関所は 創設当初 浜名湖の今切口の位置に有って 「今切関所」と言われていましたが 幾度かの災害により 2度移転して 現地の位置になったということです。
現在残っている新居関所(関所面番所建物)は 安政5年に再建されたもので 明治2年に関所が廃止された以降は 学校や町役場として 使われてきたそうで 全国で唯一の現存する関所建物、昭和30年には 国の特別史跡に指定されています。

  

   

 

新居宿

  

  

(3)旅籠紀伊国屋資料館

紀州出身の主が江戸時代初期、新居宿に移り住み茶屋を営み 元禄16年(1703年)には 徳川御三家の一つ紀州藩の御用宿になり 享保元年(1716年)に 「紀伊国屋」の屋号を掲げたとさています。
新居宿にあった 25軒の旅籠の中では最大規模でしたが 紀州藩関連以外の各種講客等の宿泊にも力を入れていたとされています。
明治7年の火災で焼失、2階建に建て替えられましたが 江戸時代後期の旅籠建築様式が随所に残っています。

  

  

  

 

(4)小松楼

元芸者置屋ですが 国登録有形文化財として 建物内部を公開しています。

入口で 下駄箱、下駄の説明を 受けました。

  

  

三々五々 見学者有りますが のんびりした雰囲気の新居宿でした。

(つづく)

 


ぶらり道草旅その4 浜松 午後の再会

2018年03月26日 06時06分29秒 | 旅行記

ぶらり道草旅その3 「袋井市の可睡齋」 の つづきです。

ぶらり道草旅その4 浜松 午後の再会

袋井市の可睡齋のひなまつりを観た後 再び袋井ICから東名高速道に入り 名古屋方面に走り 浜松西ICで出ます。
ほぼ予定通り 昼頃 浜松市内の義姉宅に到着、義姉夫婦の歓迎を受け しばし歓談、
久し振りの再会を喜び、話の花が咲きます。

  

老人介護施設に入所している義母との面会は 午後3時頃がよろしかろうということで 義兄の提案で 近くのレストランで昼食をとることになりました。
義姉夫婦、義長姉、と私共、5人全員、70歳超、内3人は 後期高齢者、皆 年寄りになり、それぞれ いろいろ体に問題を抱えながらも 食事と運動に気をつけて まだまだ 足腰は大丈夫な状態、
義姉宅から街道筋にあるレストランまで 徒歩約20分ですが 気持ち良い春の陽射しの下、5人でウオーキングすることになりました。

 

昼食は 義姉夫婦のおすすめ、おごりで ボリュームたっぷりの 「げんこつハンバーグ」、
年寄りには ちょっと・・・・と 思いましたが 全員たいらげて 満足、満足、
エネルギー補給になりました。

昼食後 義姉宅に戻り 車で 20分程の老人介護施設に向かいます。
丁度3時頃 到着。
入浴した直後ということで 気持ち良さそうにベッドに横たわる義母、
久し振りの再会です。
会話はおろか 三人の娘も認識出来なくなってから久しい義母、ほとんど反応はありませんが 前回と変わらず 顔色も良く 安らか。
お互い 何時どうかなってしまうか分らない歳、顔を見て ホッと安堵、施設を後にしましました。

いったん 義姉宅に戻って 歓談、
暗くならない内に・・・ということで 午後5時頃暇乞いをし 浜名湖の近くの宿に向かいました。

(つづく)