当地 今日も 日中は 35℃を超す暑さとなり、ちょこっと動くだけで汗が吹き出します。
動きたくなるところですが 先日始めた 2階の押入れの一つの整理作業、引っ張りだしたままになっており 少しでも片付けなくてはと やおら 重い腰を上げました。
押入れの一番奥から 行李(こうり)が 出てきました。
記憶曖昧ですが 確か 昭和30年代後半 初めて家を出て学生寮に入る際 実家の両親が 最低限の衣類等を詰め込んで チッキで送ってくれた行李だと思います。
その後就職し 独身寮へ、そして アパートへ引っ越し。
結婚して 団地へ。団地から当地に引っ越してきたのも 40年位前です。
そんな数回の引っ越しが有ったにもかかわらず、後生大事に? あるいは 開けて整理するのが面倒で? そのまま 押入れから押入れへ 運んでは仕舞いこんでいたということになります。
どんなものでも なかなか捨てられない、もったいないと思い込んでしまう昭和人間ならでは所業と 自嘲してしまいますが。
中から 丹前(たんぜん)等 昔の衣類が出てきました。
暖房等まるで無かった北国の寮生活、冬になると 綿入れの丹前(褞袍(どてら)とも呼んでいましたが)は必需品で これに包まって 勉強したり、駄弁ったり、将棋や碁を打ったり、麻雀したり?していたものです。
やや カビが生えたり、ほころびもありますが ちゃんと仕舞いこんで有ったんですね。
脳裏からすっかり消えていた 行李と丹前が出てきて ウヒョー!、
懐かしくなってしまいますが 不用品です。
今日 自らに 「不用品処分命令」を 出したところです。
決別し すっきりです。
懐かしい思い出が いっぱい詰まった
行李や丹前までとは・・・
よく 踏ん切りが つきましたね (^^)
思い出を引きずってる限り 決別でき
ませんし 写真に収めてお別れすること
を学びました (^^)v
第三者には まるでゴミになってしまう物ばかりですが せめて写真に撮って 外付けHDにでも 置いておけば 自分が生きている間は とりあえず思い出、記憶を辿ることが出来るし それでいいのかな と考えました。まだまだ 序の口、きれいさっぱりになるのは いつのことやらですが。
懐かしい物を見せて頂きました。
実家は、転勤族で引越しの度に断捨離でした。
今は、子供たちに、これ捨ててもいい?と言われてしまいます。残されても困るそうです。寂しい哉。
布団袋や蚊帳なんて物も、あったなあ~って思い出しました。ありがとうございました。
懐かしい 脳細胞に沈んでいた「言葉」を
これで大人と 「背伸び」して 初めて始める 「下宿生活」懐かしく ほろ苦い 青春を
そうですねぇー チッキで 荷物を・・・・
そうなんですね。いろいろ思い出が詰まった物であっても 第三者には ゴミのような存在の物ばかり。
北陸の山村の実家取り壊しの際に 逆に その大変さを体験していますので 元気な内に 出来る限り処分しようという気になっているんですが なかなか 進みません。布団袋(紫色っぽい)も もしかしたらどこかに残っているかも知れません。
懐かしい言葉「チッキ」で。コスモスが結婚したのは1960年代なのですが、大阪から東京まで「チッキ」で行李に衣類を摘めて母が送ってくれました。
転勤族だったので、若い頃より余分なものは持たない…で来ましたので、現在もコスモスの身辺は実に質素に生きております。
でも、行李の処分は惜しいな~。今では貴重なものだと思いますよ。きっと欲しい方も居られたはず・・・と思います。
コスモスは「やなごうり」といいましたが、行李は通風性が良く、保存状態もとても良い。コスモスはそれに似た化学繊維で編んだ箱を利用しています。
問題なく行李が良いに決まっているのですが。あ~あ、勿体ないな~。
布団袋や行李をリヤカー等で運ぶ学生達の風景・・、有りましたね。
古い物を見ると その時代の情景まで 思い出されてきますが 第三者には 単なるゴミ、不用品。ずっととっておくわけにはいきません。
見納め記念写真を撮っては 決別!
まだまだ 序の口ですが。
遺された家族の大変さを 実家の取り壊しの際に体験しておりますので 元気な内に出来る限り処分しようという気になっています。
行李・・・多分 今の若い子達、何それ?って言うんじゃないでしょうか。住宅事情からして 多分 邪魔、いらん!と 言うと思います。日本の気候に適した合理的なケースなんでしょうけどね。
「もったいない」を 封じ込めて? 「命令」を下しました。