「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」で、一度書き込んだことの有る「中学生日記より」、順不同、で、ボチボチと、コピペ、リメイクしているが、まだ、少し残っており、再開?。
「中学生日記」とは、北陸の山村で中学生だった頃のM男が、ほんの一時期だが、付けていた日記帳のことで、数年前に実家を解体する際に発見した、変色、腐食し、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等まで、全て押し入れの奥に詰め込んでいたようで、その中から出てきたものだ。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じがして、即廃棄処分出来ずに、持ち帰っている。ページを捲ってみると、日毎に、わずか数行のメモ、日誌のような類ではあるが、自分で書いた文字から、すっかり喪失してしまっていた当時の情景までも、断片的に炙り出されてくるから不思議である。まさか 60数年後に、第三者の目に晒される等とは、当時のM男には想像すら出来なかったはずで、下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。
その65 「週番」
昭和30年(1955年)7月4日、月曜日、曇、
起床 5時40分、就床 8時50分、
1限目 数学
2限目 職業 本立て(作り)
3限目 職業 々
4限目 社会 中国(地方)、四国地方
1、今日から1週間、週番、
帰家(宅) 13時10分、
2限目、3限目、「職業」の時間、
本立て作りをしたようだ。記憶曖昧だが、自分で作った本立て、秋の「文化祭」に展示されたりしたのだろうが、その後、子供部屋等無しで、座敷の隅に置かれた座り机の上に置き、長年使っていたような気がする。
4限目、「社会」の時間、
「地理」だったのだろうか。「地理」は、最も好きな科目であり、得意科目だった気がする。
「週番」
M男の通っていた中学校は、1学年1クラス、全校生徒も100人程度の小さな学校だったが、当時、1週間毎の輪番制で、「週番」というのが有った。
学年、男女問わず だいたい 登下校を一緒にする集落毎に班分けされた、5~6人単位だったが、その週は、M男達の班の番が回ってきたということだ。
「週番」は、通常より30分程度早く登校し、夏であれば、校舎内の窓を開けて回る作業、冬であれば、各教室に、薪や石炭1日分を配り歩いたり、ストーブに火を入れる作業等、
下校時も、ある時間まで待機し、窓を閉めて回る作業、各教室を見回る作業等、いくつかの作業をこなし、最後に 教員室の前に整列し、担当教師に、「異状無し」の報告をし、「週番日誌」を提出するというものだった。もちろん こずかいさん(用務員)が、最終点検をしていたに違いないが、子供達の自主性や責任感、協調性等を植えつける狙いがあったのかも知れない。
当然、全生徒が下校した後に下校となり、その日、家に帰ったのは、13時過ぎということなのだと思われる。
それにしても、寝る時間の早いこと、
テレビも無い時代、夜勉強することも無し?
そういう時代だったんだなあ・・とつくづく感じる。
(参照)
👇
昭和30年(1955年)の出来事
おお!、懐かしい!
千代の山、鏡里、栃錦
そう言えば、
NHKラジオ第1の
大相撲実況放送、
よく聞いていたっけ・・、、
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