古い写真から蘇る旅の思い出
「蘇州」その5
「盤門三景・盤門景区」(再)
かれこれ18年前の2005年12月に、当時、次男が駐在していた中国江蘇省蘇州市(苏州市、スージョウ、スーチョウ、英語 Suzhou)を訪ねたことが有った。まだまだ自営業を続けていた頃でもあり、時間的、経済的に余裕も無かった頃だったが、「今、行くしか無い」、「今でしょ!」と、清水の舞台から飛び降りる思いで出掛けたものだったが、海外旅行等不慣れな老夫婦、ましてや、日本語で通じる添乗員付きのツアー旅行ならまだしも、中国語たるや、「ニーハオ」、「シェイシェイ」、「ハウチー」位しか知らない類で、航空券の手配、ホテルの手配等は日本の旅行会社にしてもらい(フリープラン)、次男には、上海浦東空港まで迎えに来てもらい、帰りには、空港まで送ってもらうまで、何から何まで次男を頼った旅だった。
ほんの数日間の中国滞在ではあったが、次男の案内で、乗り方も分からない鉄道、路線バス、タクシーで移動し、上海市や蘇州市の街中をそぞろ歩いたり、食堂や土産店に入ったり、駅の待合室で並んだり、一般の観光ツアー旅行では味わえない、貴重な体験が出来たものだった。
上海市のホテルに2泊、蘇州市のホテルに2泊したが、蘇州市では、お目当てだった蘇州の名所旧跡観光を、まる1日、やはり次男の案内で忙しく訪ね歩き、大満足の旅だった気がしている。訪ねた先々で撮った写真が残っており、記憶力無しの老脳ではあっても、そんな古い写真を見ると、あの時、あの場所が、昨日のように蘇ってくる。
「観前街」から、タクシーで移動し、
15時30分頃、「瑞光塔」前に着いたようだ。
「瑞光塔」は、247年に孫権によって創建された普済禅寺の敷地に建てられた13層の塔だったが、現在の塔は、12世紀前半に八角七層の再建されたものなのだそうだ。
境内に入るには、入場料が必要で、さらに塔に登るには別途料金が必要だったようで、
時間的にも余裕が無くて、確か、入場せずに、外から覗き込んで、写真を撮っただけ
だったような気がする。
「瑞光塔」は、隣接する「盤門」、「呉門橋」と共に、「盤門三景」「盤門景区(パンメン ジングウー、pán mén Jingqu)」と称され、ユネスコの世界遺産にも登録されている。
数多の中国の世界遺産の中にあって、
「盤門」は、「北で万里の雄大さを見、南で盤門の麗しさを見る」と言われる程、美しい蘇州の水陸城門遺跡。歴史は古く、三国志の呉の孫権とも係る「瑞光塔」や「呉門橋」等、蘇州らしい風景が集約された場所で、古城遺跡公園として整備保存されている。
「盤門(パンメン、盘门、pán mén)」は、紀元前508年、呉国が蘇州に築城した際に作った、水門8門のひとつで、元代の1351年に再建されたもの。外城河に囲まれた蘇州城に唯一残っている城門のこと。
運河と城壁を組み合わせた造りで、陸の城門と運河の水門が並んでいる。敵に対する砦であり、船が往来する交通路でもあったことが分かる、城壁の周囲には砲台も置かれているというが、見掛け無かったのか、気が付かなかったのか・・・。
「呉門橋」は、盤門口に有り、一つの穴を持つアーチ橋。蘇州市内では最も高く、傾斜がきつい橋で、下を船が通れるようになっている。北宋時代の1084年に建造され、当時は「新橋」と呼ばれていたが、北宋時代の最後に壊され、南宋時代に復旧された際、「呉門橋」と名付けられたのだそうだ。現在の橋は清の同治年間に復旧されたもので、蘇州市内に残る石橋の中では最も古いものと言われている。
(参考・参照)
「盤門三景・盤門景区」
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ここでも、観光客目当ての露店がちらほら有ったが、それほど執っこい売り込みも無く、浮浪者風の男が寄ってきてお金をせびられたが、次男が体よく断り、まとわりつかれることも無かったような気がする。雨が降りそうな天候と、季節柄、観光客、行楽客は少なく、閑散としており、むしろ予想外の寂しい、わびしい風景だった。
(つづく)