昭和20年代~30年代の北陸の山村の実家の近くの風景
村落で自動車を保有している家等無かった時代、
当然、現在のような除雪車両等無く、
根雪になると、雪解け時期までは、雪上をかんじきで踏み固めた一本道を
長靴でズブズブ埋まりながら往来、登校したものだった。
「冬来たりなば春遠からじ」
「つらい時期を耐え抜けば、必ず幸せな時期は来る」というたとえ、長い冬を耐えて春を待つ気持ちの表現としてのことわざ・慣用句であり、若い頃から馴染んでいる言葉であるが、最近になって、それが、イギリスの詩人、パーシイ・ビッシュ・シェリー(Percy・B・Shelley)が、1819年、27歳の時に書いたと言われる長詩、「西風に寄せる歌(西風の賦)」の最後の一節、「If winter comes, can spring be far behind?」に、由来していることを知った。シェリーの作品は、明治時代以来、日本でも、数多の人たちに研究されたり、和訳されたりし、詩題も、訳詞も何通りかが有るのだそうだが、その一つ、平井正穂訳の「西風の賦」を、ネットから転載させていただいた。
「西風の賦」
パーシイ・ビッシュ・シェリー 作、
平井正穂 訳
(1)荒れ狂う西風よ、迸り出る秋の息吹よ、
枯葉の群れが、今見えざるお前の傍らから吹きまくられ、
妖魔から逃げ惑う亡霊のように飛び散ってゆく、
そうだ、黄色く、黒く、青白く、或るいは不気味な赤みを帯びて、
あたかも瘴癘に苦しむ者の群れのような、
枯葉の群れがお前に翼をもった種子が暗い冬の寝床へと追いやられ、
そこで、凍え、地中深く眠ろうとしている、まさに、
墓場の下で眠る死骸のようにだ、だが、やがて、
紺碧の空をかけるあの春風が、お前の妹が、やってくる、
夢を見ている大地に向かって嚠喨たる喇叭を吹き鳴らし、
(青草を食み勇みたつ羊のように、青空を仰ぐ蕾を萌えたたせ)
野や山に生色を漲らせ、香気をあたりに撒きちらすはずだ、
西風よ、お前は天地に充満し躍動する烈しい霊だ、
破壊者であり保存者だ、聴け、この叫びを聴け、
(2)西風よ、揺れ動く大空を引き裂いて駆け抜ける奔流よ、
今、その流れの上を、地上の枯葉にも似たちぎれ雲の群れが、
縺れた枝のように空と海が絡み合った彼方から引き千切られ
流れてゆく。この雲こそ、雨と稲妻の前触れなのだ、怒涛の、
ように荒れ狂うお前の面の上に、あたかも恐るべき狂乱の、
巫女の、天を衝かんばかりの爛々たる毛髪さながらに、
朦朧と霞む地平線の彼方から中天にかけ、
まさに今迫ろうとする嵐の振り乱した暗雲が、
蕩々と拡がり一面に覆おうとしている。おお、西風よ、
逝かんとすると死を悼む挽歌よ、刻々に迫り来る夜こそ、
濛々と不気味に湿気のたちこめる、
巨大な納骨堂の円蓋というべきか、陰々たる、
その蜜雲から、まもなく暗き雨と閃光と雹が、
迸りでるはずだ、聴け、この叫びを聴け、
(3)西風よ、お前は夏の日の夢を貪っていた青き地中海の眠りを、
破った、そうだ、バイア湾に浮かぶ熔岩の小島の、
ほとり澄明な潮流の渦巻きの音を子守唄と聞きながら、
海面の波を通して射してくる強い日光をうけて揺れ動き、
心に描くだけでも感覚が麻痺するような、
蒼い苔に覆われた、
遠い昔の宮殿や高い塔の夢をうっとりと、
夢見ていた地中海の眠りを破ったのだ、
西風よ、お前がひとたび大西洋の海原を疾駆すれば、
漫々と漲る溢れる波濤は、忽ち裂けて深い溝となり、
海底では、大海原の深海独特生気なき、
葉を茂らせながら揺れる玉藻や海草の群れが、
お前の怒号を聞きつけ、恐怖の余り突如として蒼白になり、
うち震え、力を失い、畏怖するのだ! おお、聴け、
(4)私は、自分がお前に空高く舞い上げられる枯葉であり、
お前とともに天翔ける雲であり、
お前の恐るべき力を畏れて喘ぎ、お前の猛威に
呼応して荒れ狂う怒濤であれば、と願う、たとえ、
西風よ奔放なるものよ、お前の奔放さに及ばないまでも、
いや、せめて少年の頃の自分であり、あの頃のように、
大空を翔けめぐるお前の仲間であればと願う、ああ、あの頃は、
大空を翔けるお前の速さを凌ぐことも、夢ではなかった、
今こうやって苦境に喘ぎ、祈り、せめてお前にあやかりたいと、
願う自分のこの惨めさを、私は悲しむ。西風よ、波のように、
枯葉のように、雲のように、私を軒昂たらしめてくれ、
私は今人生の茨の苦痛に悶えている、血を流しているのだ、
永年にわたるこの世の重圧が、余りにお前にも似た者を、
不羈奔放で誇り高き者を、私を、呪縛してしまったのだ、
(5)西風よ、あの森と同じく私もお前の竪琴にしてくれ、たとえ、
あの枯葉のように、私から枯葉が散っていても構わぬ、
それよりも、お前の激しい響きが、森と私の叫びと交じり合い、
沈痛な、そうだ、悲しみを帯びながらもなお快い、秋の調べを
奏でることを私は望む、西風よ、烈々たる霊よ、私の霊と、
一つになってくれた、奔放なる者よ、私と一つになってくれ、
西風よ、お前が枯葉を撒き散らすように、私の死んだように
見える思想を全宇宙に撒き散らし、その再生を促してくれ、
まだ消え去らぬ暖炉の灰燼と残り火と撒き散らすように、
私のこの詩の呪術の力を用いて、私の言葉を、
全世界の人々に向かって撒き散らしらてくれ、
西風よ、私の唇を通して、また醒めやらぬ全世界に対する、
予言の喇叭を響かせてくれ、おお、西風よ、
冬来たりなば春遠からじ、と私は今こそ叫ぶ、
も半端ない雪が降ったものですね。
雪に埋もれて生活していましたよね。
懐かしい雪景色を見せて頂いて、子供の頃の大雪を思い出しました。
雪国の人間が辛抱強くなるわけですよね。
当校は大変だったり、楽しかったり、両方でした(^_-)-☆
越後美人さんの故郷地方とはそれほど離れていないはずですが、当時は、町と村ではまた、全然違ってました。
良くも悪くも、そんな暮らしが、思い出されます。
コメントいただき有難うございます。
こないのだと……。でも高齢者となってみると偉人は
いなくても、人のいい仲間と付き合えるこの地がいいですね。
嵐は若木を鍛えるが、老木の深い根は森全体を守るで
しょう。
雪深い北陸の山村で育った子供ですが、当時、逗子に母方の伯父がいて、「湘南」は、憧れの地でした。
後年、弟は小田原、妹は藤沢に住むようになり、繋がりましたが、土地と人に恵まれて、満ち足りた暮らしのカエルさん、御同慶の至りです。