gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、もう6年も前に書き込んでいた記事、「ミラボー橋の下セーヌは流れる」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
振り返り記事
2016年11月16日
「ミラボー橋の下セーヌは流れる」
今日は、午前と午後、夫婦が交互に病院予約有りの日だった。高齢者には、病院行きも仕事の内?、なんとも落ち着かない1日だったが、出たり戻ったりの合間の手持ち無沙汰な時間に、先日 押入れの奥から出てきた古い詩集を広げてみた。記憶曖昧だが、何十年も前の若い頃に、その気になって手に入れたものだが、ほとんど眠ったままの詩集で、初めて見るような新鮮味?さえ有る。9冊セットだったのだろう。その内の1冊「世界恋愛名詩集」のページを捲ってみると、なんとなく覚えている、懐かしい詩に、付箋が付いていた。
ギョーム・アポリネール作、堀口大學訳の「ミラボー橋」だ。その詩集には、赤木靖恵朗読の「ソノシート」が付いていて、確かに、何回か、聴いた記憶が有る。
今更になって、ネットで調べてみると
詩、「ミラボー橋」は、イタリア生まれ、ポーランド人のギョーム・アポリネールが、1912年(大正1年)に、文芸誌に発表したもので、パリのミラボー橋の下のセーヌ河の流れを比喩的に表現して、時間の経過に伴って愛の喪失していくといった内容で、画家のマリー・ローランドとの恋とその終焉を綴ったものと言われている。
日本では、堀口大學が日本語に訳した「ミラボー橋」が、最もよく知られており、また、この詩に、レオ・フェレ、ルイ・ベシェール等が、曲を付けたシャンソンが有る。
秋の夜長、なんとなく、ジャズやシャンソンの調べを聴きたくなるのは、古い昭和人間なりのせいだろうか。
「ミラボー橋(Le pont Mirabeau)」
ギョーム・アポリネール 作、堀口大學 訳
ミラボー橋の下を セーヌ川が流れ
われ等の恋が 流れる
わたしは 思い出す
悩みのあとには 楽しみが来ると
鐘が鳴ろうと 日が暮れようと
月日は流れ わたしは残る
手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう
こうしていると
二人の腕の橋の下を
相も変わらぬまなざしの 疲れた水が流れゆく
鐘が鳴ろうと 日が暮れようと
月日は流れ わたしは残る
流れる水のように 恋もまた死んでゆく
恋もまた死んでゆく
命ばかりが長く
希望ばかりが大きい
鐘が鳴ろうと 日が暮れようと
月日は流れ わたしは残る
日が去り 月がゆく
過ぎた時も 昔の恋も
二度とまた 帰って来はしない
ミラボー橋の下を セーヌ河が流れ
鐘が鳴ろうと 日が暮れようと
月日は流れ わたしは残る
「ミラボー橋」(日本語訳詞付) (YouTubeから共有)
https://drive.google.com/file/d/1Vne_Tv_I3o5ptb31pdCZd9D4UQCl3vLw/view?usp=drivesdk
いつもコメントいただき有難うございます。
クリント・イーストウッド
メリル・ストリープ
大好きな俳優です・・・
ニコンFのカメラよかったです。
留まること知りませんね。
錆びついた老脳の爺さん、追いついていけません。
マディゾン郡の橋?、
ネットで調べてみようと思っているところです。
いつもコメントいただき有難うございます。