たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「中学生日記より」その24(再)

2021年04月15日 09時03分47秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のこと。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると すっかり喪失してしまっていた記憶が 断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。(コピペ文、再読無用)


その24 「サツマイモ掘り、麦の種蒔き」

昭和30年10月17日(月)、天気 晴、
起床 6時、就床 9時、

1限目 数学 自習 (西山、2年生へ行った)
2限目 職業 巣ばこ(箱)作り
3限目 職業 のうぐしゃ(農具舎)へ マキ(薪)入れ
4限目 社会 中部地方、米と雪の北陸

1、川原へ いもおこし(サツマイモ掘り)、麦まき(蒔き)、
  6時頃までやっていたので 帰ってきた時は真っ暗だった。
2、卓球部遠征、1年生では 征二、彰 両君
(宅) 12時40分、

この日、授業は午前のみだったようだ。
週に何時間か、「職業」という課目が有ったが、懐かしい。担任のI先生がまた ずんぐりむっくり、のんきな髭面のおじさんという雰囲気で、正直、M男達にとっては 「職業」の時間は、半ば遊び気分(?)、気楽な課目だった気がする。
2限目は 木工作業?、巣箱作りをしたようだが、全く記憶も残っていない。
3限目は 農具舎に薪を運び入れた・・と書いてある。当時、M男の通っていた中学校の教室の冬季の暖房は 薪ストーブで、燃料となる薪は、冬が来る前に、生徒全員、登校時に、1本、2本の薪を学校に、担いだり、ぶら下げて持参したものだったが、多分、集まった大量の薪を、校庭の隅に有った木造の小屋のような農具舎に運び入れ、積み上げたのだろう。
お昼には 家に帰り、午後は 家の手伝いとなったようだ。当時、M男の家には、自宅の周りにも少々の畑が有ったが、歩いて20~30分の川原の河川敷のような所にも、開墾した畑があった。主にサツマイモ等を作っていたような気がするが、その日、そのサツマイモ掘りを手伝ったようだ。大量のツルを切り集め、イモを掘り出し、叺(カマス)に収容、リヤカーに積み込んで、家まで運ぶ仕事は、かなりの重労働で、6時頃まで掛かったようだ。10月半ばの6時頃は真っ暗なはずだ。
麦の種蒔きもしたようだが、当時、農家のほとんどが 田んぼの一部で麦を作っていた。収穫した麦を製粉し、乾うどんにしていたように思う。子供の頃のM男は うどんは家で作る食物で、買って食べる物とは思ってもいなかったような気がする。

 


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