今から50~60年前、昭和30年代の後半頃(1960年代の前半頃)のこと等、ほとんどが記憶曖昧になっており、断片的な記憶を思い出したところで、それがどこまで事実だったかどうかさえ自分でも分からなくなっている。もしかしたら後年になってからのいろんな思いが被さって 脚色されたり、話が膨らんだりしているのではないかと我ながら思いながらも、ブログをやるようになってから そんな若い頃のことを、ブログカテゴリー「M男のあの日あの頃」に、ずいぶん書き込んできた。
M男が奨学金とアルバイト収入で寮生活をしていた貧乏学生だった頃の話である。地方の中都市、当時はまだ、高校進学向きの塾や予備校等は、今のようには無く、学生には、中学生向け家庭教師というアルバイト先が結構有ったものだ。学生課からの斡旋だったり、先輩等の口利きや引き継ぎ等もあって、M男も、週1回か2回、家庭教師のアルバイトをしていた。そのわずかな収入も寮費や生活費に充てていたものだが、ある年、春だったか、秋だったか、夏休み中だったのかは思い出せないが、寮の先輩に誘われて、寮から程近い丘陵の公園地の一角で営業していたレストラン?(喫茶店?)で、一時的(臨時的)アルバイトをしたことがあった。
そうでなくても 貧乏学生ばかりの寮には 常に、建設工事現場下働き、建設省の交通量調査、選挙用立て看板設置撤去作業、体育館等のイベントの準備作業、等々、一時的(臨時的)なアルバイトの口が舞い込んできて、金の無いやつ集まれ、暇なやつ集まれ、この指止まれ的、早い者勝ちで、出かけたものだったが。
そのレストラン?(喫茶店?)は 段差の有る丘陵の広い敷地を利用して、屋外にもテーブルが配置された、今で言う、テラス席の有るカフェ・レストラン?(喫茶店?)風、当時としては かなりおしゃれな雰囲気のレストランだったと思う。
M男達数人の学生アルバイトの仕事は、段差のある敷地の各テーブルを回り、注文を受け、店内のカウンターから、食べ物や飲み物を運び、また片付けるという、階段を上ったり下ったり、独楽鼠の如く動き回る仕事だった。確か、蝶ネクタイ等して、ボーイ風な感じで動き回っていたような気がする。多分各自の都合で交代交代、週に2日か3日だったと思うが、土曜、日曜等は特に忙しく、くたくたになったような気がする。
夕刻、客数が減って、公園が静まりかえる頃、M男達もホッと一息つき、カウンター内から、マスターがコーヒーを炒れてくれるような時間が有った。時として、良く晴れた日等、丘陵地からの夕焼け空の眺望は見事だった。そんな時間帯、日中にはあまり感じていなかった、レストランが屋外向け拡声器で流し続けていたBGMが、広い丘陵公園全体に響き渡るような情景となり、まさに「いいね!」だったのだ。BGMも、レコードをかけていた時代、その日、その時間によって、曲も違ったはずであるが、そんな中でも、M男の脳裏に焼きついてしまったのは、そんな夕景に流れていたザ・プラターズ(The Platters)なのである。
「オンリ・ユー」、「夕日に赤い帆」、「煙が眼にしみる」、「ザ・グレート・プリテンダー」・・
そんなことが有って、M男は一気にザ・プラターズのファンになってしまったが、レコード等買う余裕等無かった学生。就職してから何年か後に、薄給にもかかわらず、どうしても「プラターズ」が欲しくてレコード店に足を運び、買ってしまい、以後どれだけ聴いたか分からないLPレコードがある。すでに、溝がかなり磨り減って雑音だらけであるが、CD時代を経ても尚、捨て切れず、未だに時々聴いているというから 我ながら呆れてしまっている。聴きたい時にはいつでも直ぐ YouTube等聴ける時代だというのに・・・。
LPレコード「ゴールデン・プラターズ」(全14曲)
色褪せたジャケットの隅に S.41.8と記されており、昭和41年に買ったものなのだろう。
定価 1,800円、多分 手取りがまだ1万円台だった時代、高い買い物だったに違いない。
当時はまだ、音楽は レコードで聞くのが主流の時代だった。
その内の1曲、「ザ・グレート・プリテンダー(The Great Pretender)」
YouTubeから共有させていただいた。
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