長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等、主に夏山に出掛けたものだったが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。息子達が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していたことを、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込み、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼っていたものだが、その後、「デジブック」が終了したことで、ブログから写真が消えてしまい、改めて、順次、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)しようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。
「白山」(再)
今から11年前、2012月8月に、多少でも山歩きをした夫婦の、長年の念願だった「白山」を訪れたことが有った。「一度は訪れてみたい」と思いながら、なかなか実現出来なかったが、すでに体力も気力も減退、「その内いつか・・・」等と言ってられない歳になり、これが最後の高山山歩きになるかも知れない・・・等との思いも有って、意を決して出掛けたような気がする。何分、高齢夫婦、長距離長時間強行運転を避け、金沢までは、上越新幹線、ほくほく線を利用し、金沢からは、レンタカーを使い、しかも、山小屋で1泊するという、無理せず、ゆっくり、のんびりの山歩きとしたのだった。幸いにも、2日間共天候にも恵まれ お目当てだった高山植物にも沢山会えて、結果は、大満足の山旅だったと思っている。
毎度のこと、山歩き中に、やたらコンデジで撮った写真は、外付けHDに保存してあり、以前 「デジブック」にもし、ブログ・カテゴリー「山歩記」にも、書き留めたことも有ったが、数年前に、その「デジブック」が廃止されたため、ブログで、写真を見ることが出来なくなってしまい、改めて、写真を引っ張り出して、書き留め置くことにした。
「夏が来ーれば、思い出すー♫」
今年も、今まさに、夏真っ盛り、「夏山、ヤッホー!」を存分に楽しんでおられる老若男女が、多い季節であるが、すでに、標高の高い山歩き等を断念している爺さんは、そんな夏山に思いを馳せながら、もっぱら、古い写真を引っ張り出しては、懐かしがっている風である。
深田久弥著 「日本百名山」
「白山」
(一部転載)
日本人はたいていふるさとの山を持っている。山の大小遠近はあっても、ふるさとの守護神のような山を持っている。そしてその山を眺めながら育ち、成人してふるさとを離れても、その山の姿は心に残っている。どんなに世相が変わっても、その山だけは昔のままで、あたたかく帰郷の人を迎えてくれる。
私のふるさとの山は白山であった。白山は生家の二階からも、小学校の門からも鮒釣りの川辺からも、泳ぎに行く海岸の砂丘からも、つまり私の故郷の町のどこからでも見えた。真正面に気高く美しく見えた。それは名の通り、一年の半分は白い山であった。
(中略)
おそらく諸君の多くは、日本の中部の山から、北に当たって遠く、雲の上に浮かんだ白山を見逃しはしなかっただろう。そしてそれは孤高の気品をもって諸君を打ったに違いない。わが国でアルプスと八ヶ岳についで高いのは白山である。古くから駿河の富士山、越中の立山、加賀の白山は、日本三名山と呼ばれた。厳密に言えば、白山は加賀、越前、飛騨にまたがっているのだが、それをあえて加賀の白山と呼んだのは、そこから見えた姿が一番すぐれていたからだろう。
その加賀の平野でも、私のふるさとの町から眺めるのが最上であることことを、私は自信をもって誇ることができる。主峰の御前と大汝を均衡のとれた形で眺め得るのみでなく、白山の持つ高さと拡がりを最も確かに、最も明らかに認め得るのは、私の町の付近からであった。戦後私はふるさとに帰って三年半の孤独な疎開生活を送ったが、白山はどれだけ私を慰めてくれたことか。
(中略)
白い山という名を持った山は、欧州にモン・ブラン(モンは山、ブランは白)があり、ヒマラヤにダウラギリ(ダウラは白、ギリは山)がある。そしてわが国の代表は白山である。
(中略)
仰いで美しいばかりでなく、登っても美しい山である。匍松と高山植物に覆われた頂上には幾つかの旧火口があって、そのには紺青の水が湛えられ、それに配する雪渓や岩の布置が、天然の庭園のような趣である。しかも夏期登山者で賑わう頂上付近を少し外れると、原始のままの静かな気持のいい場所が、ほとんど汚されずに残っている。
私が初めて登ったのは中学生の時で、夏でも雪のある山へ行ったのは、それが初めてであった。それまで故郷の低山ばかり漁っていた私にとって、白山登山はまさに私に山岳開眼であった。それ以来私は、幾度白山やその周辺を探ったことだろう。白山について語り出せばきりがない。それほど多くのものをこの山は私に与えている。
山行コース・歩程等
第1日目(2012年8月20日)
別当出合駐車場→別当出合休憩舎・登山口(標高1,260m)→(砂防新道)→中飯場(標高1,550m)→別当覗→甚之助避難小屋(標高1,970m)→南竜道・エコーライン分岐→十二曲り→延命水→黒ボコ岩(標高2,320m)→弥陀ケ原→五葉坂→白山室堂ビジターセンター・御前荘(標高2,450m)
(標準歩行所要時間=約4時間30分)
第2日目(2012年8月21日)
白山室堂ビジターセンター・御前荘→高天原→御前峰山頂(標高2,702m)→(お池めぐり)→油ヶ池→紺屋ヶ池→翠ヶ池→千ヶ池→白山室堂ビジターセンター・御前荘→五葉坂→弥陀ヶ原→黒ボコ岩→(観光新道・越前禅定道)→蛇塚→殿ヶ池避難小屋→仙人窟→別当坂分岐→別当出合休憩舎・登山口→別当出合駐車場
(標準歩行所要時間=約5時間)
(朝日新聞社の「週刊・日本百名山」から拝借)
古い写真から蘇る思い出の山旅・その34
「白山」
(1)別当出合→(砂防新道)→黒ボコ岩
前泊した金沢駅前のビジネスホテルを、早朝、4時30分に出発し、
別当出合駐車場に到着したのは、6時30分頃だったようだ。
7時頃、別当出合駐車場を出発
別当出合休憩舎、 別当出合登山口(標高1,260m)
観光新道を辿って室堂へ
中飯場(標高1,550m)
キツリフネ
オオレイジンソウ
タマガワホトトギス
ミヤマコウゾリナ
甚之助避難小屋(標高1,970m)には、9時30分頃到着
展望良し、水場、トイレ有り、大休憩
ミヤマダイモンジソウ オタカラコウ
カライトソウ
イブキトラノオ
ハクサンボウフウ
オヤマリンドウ ミヤマトリカブト
シラビソ?
ミヤマオトギリ
ハクサンフウロ タカネマツムシソウ
シモツケソウ カニコウモリ
延命水
タカネナデシコ ハクサンフウロ
お花畑の中の急登、
「黒ボコ岩」(標高2,320m)に到着したのは、11時30分頃だったようだ。
スタート地点「別当出合」とは、標高差約1,000m、
尾根上で眺望良し、休憩するハイカー多く、ゆっくりするスペース無く、通過・・・、
弥陀ヶ原、五葉坂、室堂へ向かう。
(つづく)
山歩きの思い出は、他の思い出とは、ちょっと違い、宝物?のような気がしませんか。
あの日、あの場所の情景が、思い浮かんで来ますね。
コメントいただき有難うございます。