たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

追想「中山道を歩く」その2(再)

2021年01月16日 10時12分16秒 | 旅行記

新型コロナウイルス禍が続く中、最近のテレビ番組等でも、新規番組製作が出来ない等の事情?で、過去に放送した番組を再放送しているケースが増えているようだが、ブログネタも限られてきて、このところ、過去に書き込んだ記事をコピペ、再編集したりしている次第。
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んだ記事、17~18年前の話、「中山道を歩く」を リメイクしてみることにした


追想「中山道を歩く」
その2 第1日目・「日本橋」から「板橋宿」へ

「中山道」の起点「日本橋」を 午前9時15分に出発→(中央通り)→JR神田駅前→万世橋→昌平橋→神田明神→(本郷通り)→東京大学→本郷弥生交差点(本郷追分)→追分の一里塚跡→白山上交差点→千石駅前→(白山通り・国道17号)→JR巣鴨駅→(巣鴨地蔵通り・旧中山道)→高岩寺(とげぬき地蔵)→都電荒川線庚申塚駅→堀割交差点→JR板橋駅→板橋下宿→本陣跡の碑→板橋(石神井川)→縁切り榎→泉町→(国道17号線)→志村警察署前→平尾の一里塚跡→(旧中山道)→志村坂下→志村橋→戸田橋(荒川)→JR戸田公園駅


「日本橋」

「日本橋」は 江戸時代、商いの中心地だった。東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光道中、五街道の起点。現在も 国道の基点となっており「日本国道路元標」が置かれている。
最初に造られたのは 慶長8年(1603年)、徳川家康が征夷大将軍になった年だと言われている。現在の橋は 明治44年(1911年)に完成されたルネッサンス様式のアーチ型石橋。歴史的モニュメントでもある。

 


「神田明神」(神田神社)

「東京大学」、赤門と構内


「JR巣鴨駅」

「巣鴨地蔵通商店街」

「都電荒川線庚申塚駅」

 


「板橋宿」

「中山道」最初の宿場、江戸4宿(品川、千住、板橋、内藤新宿)のひとつ。
日本橋から2里半、
 

               

「縁切り榎」
江戸時代、樹齢数百年の立派な榎が有り道を覆っていたが
いつの頃からか嫁入りや婿取りの行列が その榎の下を通ると
不縁になると恐れられ、誰言うことなく、「縁切り榎」と呼ばれたという。

12912

「志村一里塚」

「戸田橋」(荒川)
江戸時代には 橋が無く、
現在の戸田橋の150m程下流に渡船場が有ったようで、
戸田市側に「中山道戸田渡船場跡の碑」が立っているという。

戸田橋北詰の交番で 最寄り駅への近道を聞き、JR埼京線戸田公園駅に向かう。
午後3時頃、戸田公園駅に到着、第1日目を終えて、帰途についた。
「日本橋」から 約17km歩いたようだ。



(つづく)


コメント    この記事についてブログを書く
« 追想「中山道を歩く」その1... | トップ | あっという間に ピラカンサの... »

コメントを投稿

旅行記」カテゴリの最新記事