映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

キラー・インサイド・ミー

2011年06月17日 | 映画(か行)
通常と狂気がボーダーレス



              * * * * * * * *

1950年代アメリカはテキサス。
この作品、そんな当時のレトロな雰囲気たっぷりに始まります。
静止画像のオープニングタイトルや、ちょっと色あせた感じのカラー。
そして当時流行の音楽。

ルー・フォード(ケイシー・アフレック)は、好青年の保安官。
恋人もいて何不自由ない生活を送っているように見受けられます。
あるとき、取り締まりのため、ある娼婦の家を訪ねるのですが、
彼女の色香に刺激されたのか、
自らの内に目覚めた衝動に駆られ、彼は次第に殺人鬼へと変貌して行く。



この作品のCFを見たときに、ふと「ブラック・スワン」を思い浮かべました。
自らの内にあった邪悪なものが表面に出てくるというところでは、
似たような感じなのかなあ・・・と。
でも、この作品、思っていたよりもサイコサスペンス風味はありません。
それというのも、あまりにもルー・フォードがさりげなく普通なのです。

ごく普通、またはむしろ通常よりもいい人に思える者が、
突如殺人鬼に変貌、というときには、
通常その切り替わりの瞬間があるように思うのですね。
顔つき、目つきが変わってくるとか。
しかし、このルー・フォードは、通常と変わらないのです。
いきなりサディスティックに女性を殴り始めるときにも、
顔色が変わらない。
そこには憎しみの色も、狂気の色も、歓喜の色もない・・・。
これでは殴られる方も何がなにやら全くわからない。
いえまあ、実際理解するゆとりなどあるわけもないですが、
全く理不尽ないきなりの苦痛と死。
通常と狂気がボーダーレス。
ある意味、こういう風なのが怖いですね。
彼にとっては、暴力も殺人も、
日常のほんの一コマ、一仕事にしか過ぎないかのような・・・。



彼は人を殺した後も、その罪におびえたりはしません。
ただ恐れているのはその罪が発覚すること。
だからそれを隠すために、さらにまた殺人を重ねたりする。
周囲から見ても、いかにも彼は怪しいのですが、証拠がなく、どうにもならない。
この作品の時代背景がこのくらいの時期である意味が、
この辺にありますね。
今ならCSIなみの科学捜査で、証拠などいくらでも出てきそうだ。

だがしかし、実は罠が一つ仕掛けてあったのです。
意外な結末に、ちょっとやられました。


さて、この作品で、先日読んだ「映画の構造分析」をまた思い出してしまいました。
「アメリカの男はアメリカの女が嫌い」という一節です。
まさしく、彼がそれを体現していますね・・・。
女を殺すときは撲殺。
執拗に痛めつけます。
けれど男を殺すときはあっさり銃殺。
結構根深いモノがありそうです・・・。

2010年/アメリカ・スェーデン・イギリス・カナダ/109分
監督:マイケル・ウィンターボトム
原作:ジム・トンプソン
出演:ケイシー・アフレック、ケイト・ハドソン、ジェシカ・アルバ、ネッド・ビーティ