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「ニッポンの書評」 豊由美

2011年06月18日 | 本(解説)
シロウトだから感想文。でも私はそれを続けます。

ニッポンの書評 (光文社新書)
豊崎 由美
光文社

           * * * * * * * *

この本は、良くも悪くも胸にぐさっと突き刺さる本でした。
そもそも、いつも私が書いているものはなんなのか、という問題に突き当たります。


まずは、著者が言う「書評」と「批評」の違い。
批評は、対象作品を読んだ後に読むもの。
小説の構造を精査するにあたり、
どうしてもその作品のキモにふれざるを得ないけれど、
そここそが読者の驚きや感動が得られるところなので、
事前に読んではまずいことがある。

一方書評は、本の後押しのような役目を果たすもので、
読者の初読の興をそがないよう、
細心の注意を払ってかかれるべきもの、としています。


では、次に書評と感想文の違い。
プロの書評には「背景」がある。
本を読むたびに蓄積して来た知識や語彙や物語のパターン認識、
個々の本が持っているさまざまな要素を他の本の要素と関連づけ、
いわば本の星座のようなものを作り上げる力、
それがあるかないかが、書評と感想文の差を決定づける、と。

ここまで読めばもう明らかで、
まあ、以前から私が自分でも認めているように、
私の書いているものは、「感想文」なんですね。
ですが、これで気持ちがさっぱりした、といいますか、
私はこの先も読んで楽しい「感想文」、
本の後押しをする「感想文」を心がけて、続けていこうと思います。


まあ、それにしても、「書評」を書く上で留意しなければならないことは、
耳の痛いところもありますが、大変参考になります。

昨今あふれている書評ブログについて、こんな記述があります。
自分が理解できていないだけなのに、「難しい」「つまらない」と断じる。
文章自体がめちゃくちゃ。
論理性のかけらもない。
取り上げた本に対する精神もない。
自分が内容を理解できないのは「理解させてくれない本の方が悪い」。

・・・おやまあ、何とも手厳しい。
また、
匿名として自分に返り血を浴びる覚悟もなく、
他人を批判するのは卑怯だろう
と。

確かに、そうですね。
私は極力その本のよいところの紹介に努めていますが、
時には否定的意見を垂れ流しにしてしまうことも・・・。
そういうときって、実は自分でもちょっと後味が悪い。
でも、本当に「ダメだ、こりゃ」と思った本の記事は、のせないことにしています。
面白くもない本を褒めたりはしませんが、
あまりにも否定的表現には気をつける。
胸に刻みたいと思います。

それから、著者が強く訴えるのは、「ネタばらし」は絶対ダメということ。
ストーリー紹介は、それだけでも立派な「書評」と言えるのだけれど、
これから初めてその本を読む人の意欲をそぐような
肝心のネタばらしは厳に慎むべし!と。
私は、ついストーリーを書きすぎる傾向があるので、ここも要注意です。


著者は、だめな書評の例として「北海道新聞」に載っていた
ある方の「1Q84」の書評をあげています。
これが本当に、もろに最後の結末まで明かしてしまっていたわけですが・・・。
実は、私はこの書評、読んだと思うのです。
文章の始めの方にかすかな記憶が・・・。
で、その後にいよいよ本を購入したのです。
でも、この書評で読む気が失せたりはしなかった・・・。
というよりは、そんなに真剣に読んでない。
だからネタばらしをされた、とも気づいていなかった・・・。
著者の力の入れように対して非常に申し訳ないのですが、
私にとっての「書評」はそんな程度・・・ということが露呈しました。


でもまあ、私も本を選ぶ指針を
様々な書評から得ていることも確かです。
この本で書評家のご苦労もよくわかったことですし、
今度からはもう少し真剣に読むことにしましょう。
そしてレビュアーの個性の違いなども読み取れたら、
それはそれとしてまた、楽しみですね!

「ニッポンの書評」豊由美 光文社新書
満足度★★★★☆