シロウトだから感想文。でも私はそれを続けます。
* * * * * * * *
この本は、良くも悪くも胸にぐさっと突き刺さる本でした。
そもそも、いつも私が書いているものはなんなのか、という問題に突き当たります。
まずは、著者が言う「書評」と「批評」の違い。
批評は、対象作品を読んだ後に読むもの。
小説の構造を精査するにあたり、
どうしてもその作品のキモにふれざるを得ないけれど、
そここそが読者の驚きや感動が得られるところなので、
事前に読んではまずいことがある。
一方書評は、本の後押しのような役目を果たすもので、
読者の初読の興をそがないよう、
細心の注意を払ってかかれるべきもの、としています。
では、次に書評と感想文の違い。
プロの書評には「背景」がある。
本を読むたびに蓄積して来た知識や語彙や物語のパターン認識、
個々の本が持っているさまざまな要素を他の本の要素と関連づけ、
いわば本の星座のようなものを作り上げる力、
それがあるかないかが、書評と感想文の差を決定づける、と。
ここまで読めばもう明らかで、
まあ、以前から私が自分でも認めているように、
私の書いているものは、「感想文」なんですね。
ですが、これで気持ちがさっぱりした、といいますか、
私はこの先も読んで楽しい「感想文」、
本の後押しをする「感想文」を心がけて、続けていこうと思います。
まあ、それにしても、「書評」を書く上で留意しなければならないことは、
耳の痛いところもありますが、大変参考になります。
昨今あふれている書評ブログについて、こんな記述があります。
自分が理解できていないだけなのに、「難しい」「つまらない」と断じる。
文章自体がめちゃくちゃ。
論理性のかけらもない。
取り上げた本に対する精神もない。
自分が内容を理解できないのは「理解させてくれない本の方が悪い」。
・・・おやまあ、何とも手厳しい。
また、
匿名として自分に返り血を浴びる覚悟もなく、
他人を批判するのは卑怯だろうと。
確かに、そうですね。
私は極力その本のよいところの紹介に努めていますが、
時には否定的意見を垂れ流しにしてしまうことも・・・。
そういうときって、実は自分でもちょっと後味が悪い。
でも、本当に「ダメだ、こりゃ」と思った本の記事は、のせないことにしています。
面白くもない本を褒めたりはしませんが、
あまりにも否定的表現には気をつける。
胸に刻みたいと思います。
それから、著者が強く訴えるのは、「ネタばらし」は絶対ダメということ。
ストーリー紹介は、それだけでも立派な「書評」と言えるのだけれど、
これから初めてその本を読む人の意欲をそぐような
肝心のネタばらしは厳に慎むべし!と。
私は、ついストーリーを書きすぎる傾向があるので、ここも要注意です。
著者は、だめな書評の例として「北海道新聞」に載っていた
ある方の「1Q84」の書評をあげています。
これが本当に、もろに最後の結末まで明かしてしまっていたわけですが・・・。
実は、私はこの書評、読んだと思うのです。
文章の始めの方にかすかな記憶が・・・。
で、その後にいよいよ本を購入したのです。
でも、この書評で読む気が失せたりはしなかった・・・。
というよりは、そんなに真剣に読んでない。
だからネタばらしをされた、とも気づいていなかった・・・。
著者の力の入れように対して非常に申し訳ないのですが、
私にとっての「書評」はそんな程度・・・ということが露呈しました。
でもまあ、私も本を選ぶ指針を
様々な書評から得ていることも確かです。
この本で書評家のご苦労もよくわかったことですし、
今度からはもう少し真剣に読むことにしましょう。
そしてレビュアーの個性の違いなども読み取れたら、
それはそれとしてまた、楽しみですね!
「ニッポンの書評」豊由美 光文社新書
満足度★★★★☆
ニッポンの書評 (光文社新書) | |
豊崎 由美 | |
光文社 |
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この本は、良くも悪くも胸にぐさっと突き刺さる本でした。
そもそも、いつも私が書いているものはなんなのか、という問題に突き当たります。
まずは、著者が言う「書評」と「批評」の違い。
批評は、対象作品を読んだ後に読むもの。
小説の構造を精査するにあたり、
どうしてもその作品のキモにふれざるを得ないけれど、
そここそが読者の驚きや感動が得られるところなので、
事前に読んではまずいことがある。
一方書評は、本の後押しのような役目を果たすもので、
読者の初読の興をそがないよう、
細心の注意を払ってかかれるべきもの、としています。
では、次に書評と感想文の違い。
プロの書評には「背景」がある。
本を読むたびに蓄積して来た知識や語彙や物語のパターン認識、
個々の本が持っているさまざまな要素を他の本の要素と関連づけ、
いわば本の星座のようなものを作り上げる力、
それがあるかないかが、書評と感想文の差を決定づける、と。
ここまで読めばもう明らかで、
まあ、以前から私が自分でも認めているように、
私の書いているものは、「感想文」なんですね。
ですが、これで気持ちがさっぱりした、といいますか、
私はこの先も読んで楽しい「感想文」、
本の後押しをする「感想文」を心がけて、続けていこうと思います。
まあ、それにしても、「書評」を書く上で留意しなければならないことは、
耳の痛いところもありますが、大変参考になります。
昨今あふれている書評ブログについて、こんな記述があります。
自分が理解できていないだけなのに、「難しい」「つまらない」と断じる。
文章自体がめちゃくちゃ。
論理性のかけらもない。
取り上げた本に対する精神もない。
自分が内容を理解できないのは「理解させてくれない本の方が悪い」。
・・・おやまあ、何とも手厳しい。
また、
匿名として自分に返り血を浴びる覚悟もなく、
他人を批判するのは卑怯だろうと。
確かに、そうですね。
私は極力その本のよいところの紹介に努めていますが、
時には否定的意見を垂れ流しにしてしまうことも・・・。
そういうときって、実は自分でもちょっと後味が悪い。
でも、本当に「ダメだ、こりゃ」と思った本の記事は、のせないことにしています。
面白くもない本を褒めたりはしませんが、
あまりにも否定的表現には気をつける。
胸に刻みたいと思います。
それから、著者が強く訴えるのは、「ネタばらし」は絶対ダメということ。
ストーリー紹介は、それだけでも立派な「書評」と言えるのだけれど、
これから初めてその本を読む人の意欲をそぐような
肝心のネタばらしは厳に慎むべし!と。
私は、ついストーリーを書きすぎる傾向があるので、ここも要注意です。
著者は、だめな書評の例として「北海道新聞」に載っていた
ある方の「1Q84」の書評をあげています。
これが本当に、もろに最後の結末まで明かしてしまっていたわけですが・・・。
実は、私はこの書評、読んだと思うのです。
文章の始めの方にかすかな記憶が・・・。
で、その後にいよいよ本を購入したのです。
でも、この書評で読む気が失せたりはしなかった・・・。
というよりは、そんなに真剣に読んでない。
だからネタばらしをされた、とも気づいていなかった・・・。
著者の力の入れように対して非常に申し訳ないのですが、
私にとっての「書評」はそんな程度・・・ということが露呈しました。
でもまあ、私も本を選ぶ指針を
様々な書評から得ていることも確かです。
この本で書評家のご苦労もよくわかったことですし、
今度からはもう少し真剣に読むことにしましょう。
そしてレビュアーの個性の違いなども読み取れたら、
それはそれとしてまた、楽しみですね!
「ニッポンの書評」豊由美 光文社新書
満足度★★★★☆