映画と本の『たんぽぽ館』

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「生きることの意味 ある少年のおいたち」高史明

2021年04月18日 | 本(その他)

すさんだ少年が見たもの

 

 

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父と兄に見守られて育った幼い日々は、学校に通うようになって、がらりと変った。
小さな肩に背負いきれないほどのつらい出来事が彼を襲う。
さまざまな衝突をくり返し、死を考える彼をささえたのは、人間のやさしさだった。
戦時下の日本に生まれ、敗戦を迎えるまでの
一在日朝鮮人少年のおいたちをたどりながら、
人間が生きることの意味を考える。

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著者は在日朝鮮人、高史明(コ・サミョン)氏。
この本は「ちくま少年図書館」の本として1974年に出されたものです。
つまりは児童書ですが、いやいやとんでもない、
大人が読んでも十分以上に感銘を受ける本。
恥ずかしながら私、この著者のことも何も知らなかったのですが、
私が受講している「絵本・児童文学研究センター」の講義で触れられていたので、
手に取ってみました。

 

著者の少年時代の自伝ですが、時代は昭和初期。
朝鮮併合によって日本へやって来た父親。
その次男として日本で生まれたのが著者です。
母親は早くに亡くなり、ほとんど男手一つで育てられましたが、かなり貧しい・・・。
それでも、回りの家もそんなものだったし、
特別に劣等感を持つこともなかったのです、小学校に上がるまでは。

ところが、学校に上がって、世界は一変する。
自分が朝鮮人であること、ひどく貧しいこと。
今まで意識しなかったことが、とてつもなく大きな問題となって立ちはだかります。

混乱し、荒れる心・・・。

そんな当時の自分の有様を、著者がつぶさに語り、
そのように感じた理由を掘り下げます。

彼は、キレやすくて乱暴で、はたから見ると手の付けようのない子どもだったようなのです。
もちろん、子どもの頃の自分には、自分がそうなってしまう理由もわからず、
ただただ苦しく悲しく、暗い穴に落ち込んだようだった。
そして、成長した自分が自分を振り返るのです。

朝鮮人として差別され、貧しく、父親との関係もうまくいかず、孤独・・・。
過酷な現実を思い出すことはさぞかしつらいだろうと思われるのですが、
このようなことを知ることで、世界を理解するようになる。
著者は思うのです。そのような中にも、
自分を包み込もうとする「やさしさ」があった。

過酷な現実の中にも、駆けつけ、共感を寄せるものがいる。
著者にとってはある教師がそんな存在でした。

こんなふうに自分を俯瞰して見る勇気は、なかなか持てないかもしれないけれど、
そうしたら今まで見えていなかった
「やさしさ」を保った誰かの存在も見えてくるのかもしれません。

 

ところでこの本、単行本で読みましたが、
昭和50年付けの札幌市図書館蔵書印が押してありました。
蔵書印自体が懐かしい、年代物。
市内あまたの図書館でも残存はこれ一冊のみ。
まあつまり、ほとんど貸し出しもないのでしょうけれど。
でも、戦前・戦中のリアルな日本の一面を残す大変貴重な本なので、
ぜひこのまま図書館の片隅で生き続けて欲しいと思う次第。
また、それこそが図書館の意義でもありましょう。
(「ちくま文庫」で出ているので、ちゃんと新しい本で読めます。)

 

 

図書館蔵書にて

「生きることの意味 ある少年のおいたち」高史明 筑摩書房

満足度★★★★☆