ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

締め切り直前、参考本に逃避する俺!

2017-08-18 09:44:15 | シニア演劇

 台本締め切り10日前、参考にって、本4冊も買い込むのって、これ、ぜったい逃げだよな。締め切り踏み倒し、もう既定の事実にしちまってるし。約束守らないって、最低!

 アイディア浮かばないから本読む、それほとんど気休めだから。窮地の先送り、借金返済のために、次々借りまくって地獄に引きずり込まれるようなもんだ。どうせ、読んだからって書くもの見つかるわけじゃないんだから。

 て、わかっちゃいるけど止めらない、ホイ、スイスイスーダラダッタ、で、今回手にしたのはこんなラインナップ。

 「科学はどこまで進化しているか」池内了、「ロボットの心 7つの哲学物語」柴田正良、「アンドロイドは人間になれるか」石黒浩、「人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか」石黒浩・池上高志の4冊。

 そう、狙いはロボット、いや、アンドロイド。すでにコントにゃ活躍中のペッパーをもじって、『見守りロボットパッパー』なんてのを書いてるから、今さら、面と向かって勉強でもないんだ。どうせ、それらしくでっちあげるだけのことだから。ただ、ちょっとばっかし、もっともらしい蘊蓄なんかも取り込みたいってスケベ心。ダメだねぇ、卑しいねぇ。

 お盆の貴重な休日、いや、いつだって休日だけど、1日1冊、ロボット本と格闘した。そうなんだ、まさに死闘!すでに細胞の多くが死に絶え、残りも機能停止しかかってるぶよぶよの脳にとっちゃ、これはかなりの難物だった。カボチャに入れ歯でかじりつくようなもんだった。

 まず、池内先生、この人、どうしてこんなに科学全般先端知識を自分のものにしてるんだろう?!宇宙、地球、生物、医学、エネルギー、物理、の全6章、今、科学が分かっている、分からないことを簡潔かつ丁寧に教えてくれた。が、宇宙、物理はまったくわからない!ただただ、字面を追うだけで精一杯。無力感ていうより、完全にお手上げ、感想は、俺って馬鹿だなぁ!それだけ。ロボットのこと、まったく触れられてなかったが、日ごろから、軍学共同に厳しく異を唱え、原発稼働に根源的に立場から反対を表明されている池内先生に敬意を表して、最後まで読み通した。いや、眺めとおした。

 「ロボットの心・・・」も笑っちまうくらいわからない!なんか、哲学者って、同じ言葉でもまったく違う辞書や文法で語ってるんじゃないか?ってくらい手も足も出なかった。それも、著者曰く、やさしく書くと分かりやすい、だって。改めて、俺って馬鹿!ただ、章の初めに置かれたオリジナルのショートストーリーはどれも面白くって、この先生のユニークな人柄は十分に感じられた。

 アンドロイド研究の第一人者石黒先生の「アンドロイド・・・」は、先生自身を映したイシグロイドやマツコデラックスのマツコロイドなんか、現物を通しての語り掛けだけになんとか付いていけた。それと、少しだけど、参考になる部分もあった。ロボット相手だと人間は正直に話せる、とか、アンドロイドの言うことは素直に聞く、なんてのは、今回書こうと思ってる内容にぴったしだよ。人間を理解するためにロボット研究をしているとか、見かけの中に心は宿るとか、究極的に無機質の生命が生まれるだろう、なんて話は、もう、すっ飛びすぎてて、文学的ですらあった、すげぇぇぇ!

 最後に「人間と機械のあいだ・・・」。これは石黒先生と人工生命の研究者池上高志先生の新しい機械人間「オルタ」をめぐる共同研究、共同思索の記録だ。心ってなんだ?池上先生って人は、脳のニューロン伝達系をセンサーで置き換えて、その様々なセンサーのネットワークが自律的に動く先に生命を作り出そうとしている?人らしい。一つ一つプログラムを組んで、あらゆる事象に対応していく従来のロボットとはまったく別の発想だ。なんかよくわからないんだが、なんかわかる。いや。わかる気がする。これまでのがんじがらめの頭を抉りだして引っ掻きまわされたような爽快感?この人の言ってることが将来実現するのか、どうか、見当もつかないが、これまでの進歩の道筋とはまったく別の未来が人類には待ち受けているのかもしれないって気にはなった。

 って、ことで、台本にはほとんど役に立たない4日間の読書だったが、まあ、こういう、自分の馬鹿さ加減を確認するってこともけっこう重要なことだ思うし、なんか、人間の将来についても、頭の一部を切り開いてもらったようで、まったく新しいスイーツに出会ったような嬉しさも味わえて、無駄ではなかった、と、思い込むことにしよう。

 ほんじゃ、その疑似的満足感の消え去らぬうちに、台本勝負とまいろうか。

 

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ショートコントをすればわかるのさ、人柄も持ち味も!

2017-08-11 09:47:54 | シニア演劇

 シニア演劇学校6期生、お盆前、最後の稽古だ。てことは、基本トレーニングが終わって、いよいよ、作品つくりに入るってことだ。2週間後には、目出度く台本も完成、11月本公演に向けて本読みに入る、はずだ。

 なにを書くか、ざっとは決まっている。でも、まだ教えない。一気にひっくり返るかもしれないし、その題材で書き通せるかどうかも自信がないから。今更ながら資料集めたりしてるくらいの出遅れだし、もしかすると、もう1週間猶予をもらうかもしれないよ、って予防線張っておいた。

 さて、その基礎トレ最終日、シニア演劇学校OBの二人も駆けつけてくれた。AさんとWさん、二人には11月本公演にも参加してもらうことになった。さすがに初舞台の男二人だけじゃ厳しいからねぇ。他に菜の花座男優も二人加わることになっている。

 ストレッチや発声など一通り済ませて、残った時間はエチュード、簡単に言ってしまえばショートコントを演じてもらうことにした。最初は一人芝居、次に二人芝居、そして最後は4人で一つの物語を作ってもらった。

 一人芝居のテーマは「男と女」、なるほどそんな日常なのか!メンバーの家庭の様子が伝わってくる。二人芝居は「熟年離婚」。実は、これ、本公演に書こうと思ってる題材にちょっとだけ関りがある。どんな反応示してくれるのか、興味津々。1グループが作ってくれたのは、定年で仕事から解放された旦那が、思いっきりやってみたいと思っていたのが、実は炊事、洗濯、お掃除の家事労働!できれば外で遊んで欲しいと願う妻との軋轢をコミカルに描いていて、これはこれで上質なコントになるって感心しきり。写真呆けててゴメン!

 も一つの組は、久しぶりの夫婦デート、見たい映画も食べたい食事もどれもこれも行き違い、ついに性格の不一致で破局に至るってお話。まっ、熟年離婚の一側面が凝縮してる。どちらもピリッとひねりが利いて面白い作品だ。

 

 演じ手としちゃあ、やっぱり、経験の差、OBの二人が声も大きく表情も豊かで終始リードしていたな。

 最後の四人芝居は、何と言うのかなぁ、積み将棋?駒を盤中央に積み上げて、その山を崩さぬように駒を取って行くゲームのシーン。

 よく、こんなもの思い浮かべるなぁ!新鮮で柔軟!いつか彼らにも本を書いてもらいたいくらいだ。コントの中心は、どきどきしながら駒を取って行く仕草の面白さ。子供たちが夢中で取り組む様子が垣間見えた。失敗して崩した人には罰ゲーム。これは桃太郎とそのの家来、キジ、犬、猿になるっておちなんだけど、ここはもう一つ決まらなかった。まっ、それは仕方ない、初めてのチーム、たった数分の打ち合わせ、これで傑作ができたら、その方が不思議ってもんだ。

 こうやって演じてもらうと、一人一人の人柄や技量、暮らしぶりまでが見えてくる。これが欲しかったんだ、台本書くにあたって、とても大切な基本データだから。素人、それも初の演劇体験、いくら別の人生を生ききるのが演劇って言ったって、まるで別の性格、突拍子もない役柄にはなりきれない。やはり、その人の持ち味を生かすのが、最善の方法なんだ。無理なくちょっぴり背伸びして演じる、超える課題は低すぎず、高過ぎず。その微妙な匙加減、それがシニア演劇の書き手に求められる大切なポイントの一つなんだ。 

 2週間後の新作完成、乞うご期待!っところかな。

 

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シニア6期生、今日の講習は、こまつ座建て込み手伝い!

2017-08-03 14:27:33 | シニア演劇

 毎週1度のシニア演劇学校、講習内容にゃ苦労してんだよ。極力マンネリにならぬよう、参加者が楽しめるよう、いろんなことをとっかえひっかえ教えている。前回は、朗読と、照明についての説明。フロントから、シーリング、ピスポットに上がって、最後は調光室。まっ、理屈をすべて把握できるわけもないんだが、いろんなところから光当たって、それを照明さんがフェーダー上げ下げしながら操ってる、ってことくらいわかってもらえれば、それでいい。演劇ていうと、とかく、台本と役者がクローズアップされがちだけど、裏でたくさんの人たちが支えてるってことだけは、しっかりわかっていて欲しいもんだから。

 で、今週はまさに、その裏方さんご苦労の現場をつぶさに体験した。4日、プラザで上演される『イヌの仇討ち』の装置搬入、建て込みを手伝ってもらった。これはいい経験だよ。なんせ、4トントラック2台に満載された舞台必要の道具その他一切合切を積み下ろして、そこから舞台装置を立てて行く作業、これ身近に見るわけだから。

 我々アマチュア演劇なんかとは比較ができない、凝った装置!こまつ座、いつだってそうだ。旅だからって一切手抜きはしない。客席から見て、あれ、今回はシンプルだ、って感じるような舞台でも、細かいところまで心使いが徹底していて、さすが、プロ!さすがこまつ座と唸るのはいつものことだ。

 今回は、さらに輪をかけて、複雑精緻な作りだ。演出の東憲司、美術にも力を入れる人だってことだし、こまつ座の演出は2度目ってことで、やっぱり気合い入ってんだろうね、段差を生かしなおかつ舞台平面を斜めに仕切る斬新な作りだ。

 しかも床面は役者が座って足が痛くならぬよう、分厚いパンチを敷いて、さらにその上にフローリング模様のクッションシートを張る気の使いようだ。完成途中の上の写真を見ただけでも、なかなかのもんだ!ってわかろうってもんだが、さらに上手に引き戸がつけられ、くぐり口を隠した壁やら、ぶっとい梁の構造やらが付き、下手にも凝った壁面がつながる。初めて装置建て込みを体験する6期生、追い回されながらも、驚嘆しきりだった。

 今回の舞台は東京紀伊国屋でほぼ1か月近く公演し、旅に出て最初の地ということで、スタッフも図面見ながら、腕組み手探り、たっぷりと時間をかけての仕込みとなった。1時半に始まって、我々お手伝いさんは5時半でお役御免となったが、あの後、さらに細かい作業が遅くまで続いたことだろう。

 こうやって、舞台が立ち上がる様を見てから芝居を見ると、これはまるで別のものに見えて来るはずだ。裏まで見知って観劇するのが一番、とは思わないが、少なくとも、芝居に関わる人なら十分知っておく必要があるだろう。これからも、機会ある限り、講習の一環として組み込んで行こう。もちろん、本番後のばらしと搬出も、勉強、勉強!

 仕事の合間、舞台スタッフのAさんから、菜の花座、こんな面倒な舞台作らないでよ、って、冗談半部、ダメ出しされた。いや、作りたいよ。やってみたいよ、金とスタッフ持ってたらさ。

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さあ、始まった!ダンスレッスン!シニア6期生

2017-07-07 14:31:52 | シニア演劇

 フレンドリープラザシニア演劇学校6期生、開講してから1か月半、ついに来るべきものがきた!もち、ダンスのレッスンよ。

 今年の参加者はおじさん2人だが、そんなこたぁ容赦なしだ。11月の本公演にはしっかり踊ってもらおうかい。曲はとっくの昔に決めてるあれ。「Uptown Funk」、マーク・ロンソン、ブルーノマーズ、なんて言ったて、最近知ったんだけど、ほら、HONDAのFITのCMで使われてた曲さ。これまでシニアのダンスで使ってたオールドファッションテイストとは一挙に3回転半くらいジャンプしたまったく別ジャンルの曲だ。聞いてみたけりゃ、こっち。

https://www.youtube.com/watch?v=OPf0YbXqDm0

 どうだい、かなり異色だろ?なんかねぇ、色気への憧れとか、遊び心とか、いい加減さとか、いつまで残してる子どもっぽさとか、どうしようもなく男、ってところを舞台で表現してみたいんだよねぇ。台本もそんな感じになるかな。

 振付は菜の花座でダンスを面倒見てもらってる、Rさん。幅の広ダンスレパートリーと、思いがけない振付が持ち味。最初の稽古からもうどんどん曲に入って行った。

 本番じゃ菜の花座の男数人も入れて男だけで迫りたいって思ってんだけど、今回のレッスンは女性二人が手伝ってくれた。ありがたい。

 今年の二人、どちらも運動神経はなかなか!ダンスの筋もいいようだ。早くも一通り振りをマスターしてしまった。もちろん、これを自分のものにしてカッコよく踊れるようになるには、まだまだ何度も何度も繰り返しが必要だけどね。Rさんから、一緒に出ますか?って聞かれて、取りあえずお断りしておいたが、この曲でなら、踊ってみてもいいかな?なんてちょろっと色気も出て来た。

 さあ、これから11月本番に向けて、いよいよ舞台つくりに入るわけですぞ。男だけの舞台、男だけのダンス、なかなか刺激的でインパクトあると思うなぁ。 

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『追いかけぇて!』公演打ち上げ。狙いはズバリ!

2017-06-19 09:04:43 | シニア演劇

 菜の花プラザシニア団『追いかけぇて!追いかけぇて!』、最後の公演だ。福岡全国シニアを間に挟んで5月21日のプラザプレ公演、そして、米沢六郷コミセンでの上演、地元ホール、旅公演、そして最後の極め付けは、なんと公民館のホールで!

 照明は使えない、吊ものはできない、音響設備は壊れてる、舞台はわずか20センチの高さ!まっ、まともな劇団だったら絶対引き受けない悪条件だ。それでも、ええい、やっちまえ!と決断しちまうところが、菜の花座なんだよ。

 緞帳なし、暗転なし、バトンなし、これでどうやって、オープニングダンスから屋台の流し、道端での携帯電話、そして、シェルターと場面を転換していけるのか、ここが頭の使いどころだ。バトン吊の肖像写真7枚は正面の壁に掛け、幕で遮っておいて、シェルターシーンで幕を落として一気に登場させる。屋台と流しは客席奥に卓球台で隠しておいて、客席中央通路を歌いながら引いて行く。もちろん、歌は客席の中で、曲も「博多の人」から「上杉節」へ。その他の方言でのやりとりも博多弁から置賜弁へ、屋台の屋号も「ろくごう屋」とする気の配りよう、細かく米沢六郷バージョンに仕上げての上演だ。

 客、少なっ!5年前、『風渡る頃』をやった時には100人弱入ってたから、今回もまあ60は下らないだろう、って客席を準備したが、なんと、半分も埋まらぬ寂しさ。こりゃ、意気の上がらぬ打ち上げになりそうだな、半ば覚悟して開演。

 オープニングダンスも手拍子が起きる、屋台流しじゃ爆笑に次ぐ爆笑。

 地元六郷の名優の登場ってこともあって、初っ端から一気に盛り上がった。

 その後も、女子アナ志望者の拙い早口言葉、アイドル登場、マジシャンメリーの3分間マジック、かすみの早着替え、ヘンテコな料理研究家の4文字熟語セリフなど、矢継ぎ早のナンセンスシーンも大いに盛り上がって、一気に最期の解決編へ、ここもぐっと集中して見てもらえた。

 観客の反応見ながら、ああ、こういった見方をしてもらう芝居だったんだ!って改めて実感した。生直っか、このシーンの意味はなんだ?とか、そんな人物リアリティがない!とか、展開が急すぎて全体が掴めない!なんて頭で見る人たち向けの舞台じゃなかったんだ。言って見れば、大衆演芸みたいな気楽な乗りで付き合ってもらえれば、楽しく見てもらえる作品だったってことだ。それをああだこうだと理屈つけちゃ理解しようとするから、アラが目に付き、没入できないんだ。芝居だからって、肩肘張ってもらっちゃ困るんだ、そんな気楽な芸能舞台が目指すところだったんだ。

 役者たちも客席の好反応で乗りに乗った。お客さんとの掛け合いあり、アドリブあり、大いに楽しんで演じていた。まっ、3回目で気持ちのゆとりもあったしね。演技も熟成してきていた。

 玄関前での客出しも和気あいあい、役者も観客も心地よい一時を過ごせたことを大いに感謝しつつ手を握り合っていた。

 それもこれも公民館というあけっぴろげでリラックスした空間でできたことと、難しいことはともかく楽しもうって気楽な心持で見てくれた婆ちゃんたちのお陰だ。これって、芝居の基本形なんじゃなかろうか。菜の花座としちゃ、この結びつき、大切にしていきたいもんだなぁ。 

 

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