ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

別れは世の定めとは知りつつも、・・・

2007-10-03 22:49:27 | 演劇

 菜の花座公演『おもかげチャンチキ』が終わって、また一人、貴重な役者が劇団を去った。青年幸司を好演したツヨシだ。なんとこのお芝居限りの在籍だった。これって最短記録かも知れない。たった一つの芝居、わずか二回の公演で、退団することになったツヨシ、正直、実に残念!だってね、この6ヶ月間でめきめき上達していたからね。それ以上に、なんとも言えない雰囲気があったんだ。暖かで、のんびりとして、おおらかなユーモアとでも言えるような味わいがあった。

 理由は、・・・まあ、言わないでおこう。ただ、止めたくないんです、芝居続けたいんです、って言った彼の言葉は本当だったと思う。だからこそ、送別会も兼ねることになった『おもかげチャンチキ』の打ち上げには、ほぼ全員が参加したんだ。みんなが心から、別れを惜しんだ、とってもいい集いだった。ツヨシをダーリンと呼ぶ相方の絵美も、目力の強さに圧倒されたという摩衣も、みんな心から彼と舞台を一緒できたことを喜んでいた。

 こういう別れって、実は菜の花座では珍しいんだ。これまでたくさんの人が菜の花座の舞台を踏み、その多くが離れていった。アマチュア劇団に離合集散は付きものとは言え、こんなにも座員が変わる劇団も、珍しいんじゃないだろうか。座長の不徳の致すところとしか言いようがないんだけど、どうも、別れ方がすがすがしくないのが、いつも気がかりだった。

 ある人は、劇団員の実力に愛想を尽かして去っていった。ある人は、忙しさに引きずられていなくなった。ある人は、僕の独裁ぶり?が我慢ならず憤然と退団した。ある人は、芝居そのものに疲れて逃亡した。ある人は、劇団員の若返りについていけず、渋々、菜の花座を後にした。ある人は、役者として使われず不満を募らせ、出て行った。ある人は、・・・・・

 本当に、たくさんの人が、一緒に仕事をし、苦労を分かち、喜びをともにし、思いを裂かれて、去っていった。一つ一つの別れは、僕に取って、恋人との別離のようにいつまでも、つらい鬱屈となって残っている。去っていった人たちも、苦い思いを抱えて行ったことだろう。言いたいことを山ほど抱えながらの離別だったと思う。でも、残された僕たちも、恨みがましい気持ちの中で、落ちこみ、へこみ、沈み込みながら、必死で気持ちを奮い立たせて、乗り越えてきたんだ。

 どちらにも事情がある。どちらにも言い分がある。だから、別れは、円満でないことの方が多かった。今だって、顔を合わせると、頬がこわばる人だっている。正直お会いしたくない人だっているんだ。そんな中で、ツヨシの退団は、限りなく惜しまれつつの退団だった。彼の人柄だね。彼が誠心誠意、『おもかげチャンチキ』の幸司に打ち込んだってことを、みんなが知ってるからなんだ。さらに、彼が、本当は、舞台続けたいってことも。

 いつかまた、戻ってきます!彼の言葉を、皆が信じた。僕も信じた。いつか必ず、彼と一緒に!でもなぁ、僕が生きてる間にその機会が訪れるか、これは大いに疑問なんだよ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする