菜の花座の旗揚げ公演は、高泉淳子の『僕の時間の深呼吸』に決まった。どことなくノスタルジックでナンセンスなエチュードを次々つなげた不思議な作品だ。今思えば、よくもまあ、って感じがしないでもない。気負いだね。
僕の役割は、役者と舞台監督。おいおい!しかも4役だぜ。ほんと、知らないってことは恐ろしい!役者としての僕は、上手かないけど、楽しめた舞台だった。何故か野球のアンパイアー風の国語の先生から、羽織・袴の書道の先生にわずか15秒ほどで早変わりしたり、チャップリンを真似た格好で、高さ一間のゲートの上に上ったりと、随分とおいしい役所をもらったからね。
舞台監督の方は、これはもう、演出にごめんなさい!としか言えない。本来なら、演出の意図を汲んで、それを具体化していくのが舞台監督の仕事なのに、ともかく、勝手だったもの、僕っていう舞台監督は!演出の意図なんてお構いなく、これでいいさ、とか、演出の要望に、そんなん無理とか、ほんと、滅茶苦茶な舞台監督だった。中でも、演出が、舞台の進行に合わせて時計の針を動かしたいって強く主張したのに、まったく、無視しちまったからね。もう、なんて舞台監督なんだ、俺って奴は!
理由は、一言、舞台監督ってものがまるでわかっていなかった!どことなく、演出助手的なものと勘違いしてたんだ。だから、舞台スタッフのT氏からのきつーいおしかりは、本当は僕が受けるはずなのに、演出に向けられてしまった。もう、至らぬこと極まれり!だった。今、思い出しても身が縮む。
それと、もっと大きな理由は、向いてないってことなんだな。舞台監督って仕事が僕にはまったく向いていない。だって、まるで大雑把だものね。アバウトそのものだものね。細かく段取ったり、連絡や準備を律儀にしたり、全体をきめ細かに掌握したりって、もう、ほんと苦手中の苦手だから。それと我が儘だもの。自分勝手だもの。やりたいようにやってしまうものね、僕って奴は。役者としても才能ないし、まっ、演出あたりがお似合いなのかなって、その公演でつくづく思った。
この公演で、良かったんじゃない!って思えるのが、舞台装置だ。いやあ、これまた、知らないってことは恐ろしい、の産物だったけど、知らぬが仏!これが上手く作用した。普通舞台装置って言ったら、パネルだよね。6尺×9尺とかのパネルを角材と薄いベニヤ板(うすべに)で作るってのが常道なんだけど、なんせ、そん時は、そんなこと全然知らないからね。幅10センチ厚さ1.5センチの板材を組み立ててすけすけの構造物を舞台全面に作った。しかも、色はオレンジ色!だから!板組み合わせただけの、言ってみれば、平面的なジャングルジムのような装置、これが思いがけず、この芝居のまか不思議な感じにぴったりと重なっちまったんだ。この装置と、この舞台は随分多くの人に惜しまれた。今日だけでおしまいなの?もったいないねって。ほんと、ありがたかった!ほんと、うれしかった!おっと、ただし、この装置の構想は演出のSさんのアイディアだったんだけどね。
で、この舞台で、それから先の僕の役割は、ほぼ固まった。我が儘いっぱい、勝手気ままにやれる仕事。つまり、演出と装置ってことだ。人に人の向き不向きってものがある、ってことがよーくわかった旗揚げ公演だった。