演劇学校を卒業した。その日、校長の井上ひさしさんは、「この日から、皆さんは、良き観客となるか、はたまた地獄に落ちるか、どちらかを選ばねばなりません。」と祝辞?を贈ってくれた。もちろん、僕は、地獄の亡者となることが決まっていた。菜の花座の旗揚げが決まっていたからね。
菜の花座ができるまでの数ヶ月の間だ、ちょっとしたごたごたがあった。卒業生の一部が、他の劇団メンバーと組んで、新しい演劇ユニットを立ち上げるって話しが広がった。結構、争奪戦みたいなもんがあって、僕も誘われたんだ、そっちにも。劇団に所属しつつ、時折、自由に集まって思い切った公演を打っていこうってもので、構想自体は悪くない。でも、そいつは、すでに自分の足場を固めている人たちにとってだ。僕の場合、どこにもないからね、踏ん張る拠り所が。だから、どんなに勧誘されても、気持ちはまったく振れなかった。新しい劇団を作る、卒業生の劇団を作るって。
結局、卒業生50名ほどのうち20名ほどが集まった。菜の花座の結成だ。僕が自然と座長に選出された。いえ、自然だって感じたのは僕だけだったかな。他のメンバーからすれば、まあ、歳はいってるし、高校の教員で暇そうだし、やる気はおるようだから、任せてみっか、程度の判断だったろうね。
でも、僕としては、この劇団の中心になるのは、僕しかないって確信していた。自惚れんなよ、って言われるかもしれないけど、ほんと、わかってた。2年間、一期生の仲間達をじっくり見てきていたから、誰がどんな資質の持ち主かとか、演技の実力はどうかとか、芝居の理解力はどのくらいか、などということが、あらかたわかっていたんだ。で、実際、僕の読みはほぼ当たっていた。だって、とうとう結団から10年を迎えようとしているものね。
でも、そう思ってるのは、僕だけのこと。他のメンバーは僕が取り立てて実力派だなんて思っちゃいない、その時は。いえいえ、その後にしてもかな。だから、僕としちゃあ、ちょっと遠慮した。旗揚げ公演の演出、したかったけど、Sさんに譲った。Sさんは、何て言ったって、卒業公演の『わが町』を演出した人だから。みんなの信頼も厚かった。これはこれで正解だったと思う。自分たちだけで初めて舞台を作るって時には、やっぱり求心力ってもんが必要だから。彼女には間違いなくそれがあった。
卒業の翌月4月、11月の旗揚げ公演に向けて、いよいよ稽古が始まった。すったもんだの末に決まった作品は高泉淳子作『僕の時間の深呼吸』。絶対やりたいって暖めていた作品だ。同じ月、高校演劇部の顧問も引きうけた。
地獄のふたがおもむろに開く音を、聞いた、かな?