ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

君の花はどんな花?

2009-11-21 23:34:04 | 教育

 置農二回目のオープンスクール。前回はぴったり地区大会だったので、演劇部の部屋を作って、写真とビデオで演劇部を知ってもらった。でも、今度は、いるものねぇぇ、全員手ぐすね引いて準備した。

 まず、出し物!演歌舞踊とダンスの組み合わせってことにした。演歌だけだと、なんじゃこの部活、中年クラブかぁぁ?って敬遠されちゃうはし、ダンスだけでも、なんか演劇部ぽくないっ逃げられちゃうだろ。で、どっちもやることにした。

 さて、となると、キャスティングが難しい。だって、まさか着物着てダンス踊るわけにいかんでしょ。ダンス衣装からすぐに和服にってのも無理がある。演歌踊るメンバーとダンスチームを分けなくちゃなんない。これをどう分けるか?

 僕は舞台に関しては、部員みな平等って原則を取らない。上手い者、華のある者は目立つ役や位置で使う。だって、そりゃそうでしょ。高校生の舞台と言えども、観客はいるわけだから。見る人たちが気持ちよく舞台に没入してくれるステージ作るってのは、当然のことだと思う。

 これって教育的じゃない?いや、僕はそれこそ教育的だと信じている。何故ってね、人間は本来不平等なものなんだよ。人間誰でも人に負けない素晴らしいものを持ってる、なんて嘘っぱちだ。美人で頭良くて素直で人に好かれて、なんてのも、癪だけど、結構いるし、運動神経鈍くて、物覚え悪くて、人間関係に鈍感で、なんて不運の極みみたいな人間だってざらにいる。

 高校生って頃合いは、自分がどんな存在なのかを認識する時期なんだと思うんだ。小学校や中学校までは、君も素晴らしい!無限の可能性を持ってる!なんて、褒めそやされて育てられる。そう、ちやほやって言ってもいい。それはそれでいい。でも、高校生って言ったら、社会の一歩手前まで来ている人たちでしょ。そんな気休めは何の役にも立たない。己の客観的位置取りを厳しく受け止める時期なんだと思う。自分自身を等身大に見つめること、これが何より大切なことなんだ。

 だから、僕は敢えて、部員に本当のことを話す。自分を見つめるようにし向ける。それは惨いことかも知れない。酷いことかも知れない。君に主役はできない。君のせりふはこの程度が相応だ。口で言わなくても、キャスティングで示す。ダンスの位置で教える。下手な者をセンターに据えることはできない。振りに魅力のない者を前には出せない。

 ひどい話しかもしれない。きっと、僕の仕打ちで傷ついた部員も少なくないだろう。でも、いつまでも幻想に生きているわけにはいかないんだ。厳しくともつらくとも、現実と面と向きあわなくちゃならない。自分をしっかりと受け止めるところから、すべてが始まるんだと思う。

 ただ、ここで二つの配慮が必要だ。その一つは、今の自分がすべてじゃないってこと。なんか先の話しと矛盾するようだけど、これも本当だ。人間変わる!人は成長する!今は不細工でぱっとしなくても、ひたすら何かに打ち込んでいれば、そう、打ち込むこと、これが大切、思いがけず大きく花開く時もある。伸び方は人それぞれだとしても、誰もが花を咲かせ実を着けることも事実なんだ。

 そして、二つめの配慮は、人様々な花をしっかりと愛でてあげることなんだ。大輪の花でなくとも、可憐な野草のようなそれでも、地味な彩りでも、一つの開花であることは間違いない。それはやっぱり、嘆賞に値するものなんだ。そんな人知れない開花を見逃さないようにしたい。そう心がけている。

 で、また戻るけど、自分がどんな花なのか、それをしっかり認識するところから、現実が始まる。夢もまたそこからスタートする、ってことなんだ。

 ってことで、ダンスメンバーは二年生、演歌舞踊は一年生って決めた。演歌は下手でも許してもらえるからね。ダンスはそうはいかない。さらに、ダンスの位置取りも、ずばずばと動かした。そう、その位置が今の、そう!今の君の立ち位置なんだ。そこが、君のスタートラインだ!

 

コメント
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