だめだったねえ、『さまよう刃』
だいたい、映画見るきっかけからしてダメだった。実は、この映画見ようなんてこれっぽっちも考えてなかったんだ。ハンガリー版『俺たちに明日はない』つまり『人生に乾杯』を見ようと思って山形フォーラムに行ったんだ。ちゃんと時間も調べてね。
ところが、着いてみたら上映時間違うじゃないか?!ウソだろ!そんな!!何度も入り口の上映時間案内とチケット売り場行ったり来たりして、その日だけ、その回の上映がないってことがわかったんだ。フォーラムじゃよくあるんだよ。いろんな映画を綱渡り的に掛けてるからね。まっ、仕方ないには違いないんだけど、一度すかされた気持ちの方は収まらない。フォーラムでそのまま別のもの見るってのもなんか癪だから、せめてソラリス行って娯楽もの見るか、って経営は同じなんだけどね。
ってことで、飛び込んだのがこの『さまよう刃』。何がダメかって、娘を手込めにされ殺された父親の激しい報復心が迫って来なかったってことかな。一番肝心な部分だよね。どうしてなんだろ?寺尾聡の演技か?それもある。深い悲しみを表現しようと思ったんだろうけど、あまりに淡々としすぎている気がした。犯人の追跡シーンも迫力なかったな。菅平といい川崎駅前といい。ゾクゾクとびりびりと背筋にはい上って来るものがなかった。
それとあり得ないシーンや展開や筋立ての連続。これも興ざめ。最後のクライマックス、猟銃を犯人に突きつける父親、それを取り囲んで拳銃を構える警官たち、そこまではいい。その周りすぐそこに野次馬????ってあり得ないよな、いつ流れ弾飛んでくるかわからないのに。こういったありえねぇぇって設定や人物描写がそちこちにあって、えっどうして?そんなのあり?の連続になってしまった。例えば、失踪した父親の家電をマークしてなかったり、おとりにした仲間の少年の携帯をモニターしてなかったりってあまりに初歩的ミスの連続でしょ。
この復讐のストーリーを薄めて締まった一番の原因は、残虐な犯罪や少犯人の年たちの姿がまったく恐ろしくなかったってことじゃないだろうか。ビデオで写されるレイプシーンも中途半端、って言うよりとろけたうどんすきみたいに歯ごたえがなかった。最後の「死の恐怖が犯人の更正につながってくれれば」なんて、思わず、甘い!って叫んでしまったよ。
さらに、密告する仲間の少年の心情も、上っ面しか描けていない。だから、ラストシーンで密告少年が自ら犯人にナイフを突きつけるシーンもええーっ、どうして?って唖然としてしまったほどだった。僕はこの原作を読んではいないんだけど、見終わった観客が、「本はもっともっと怖いのよ、読み進めなかったほど・・・」って話しているのを聞いて、なるほどなぁ、さもありなん!っと納得した。
あと、大げさな音楽もやりきれなかった。ああもシーンの劇的内容にオーバーラップしてくると、もう勘弁してよ、って感じになった。
要するに、人気小説の拙い映画化っていう、よくあるパターンを繰り返したってことかな。そうそう、伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』も映画化が進んでるみたいだけど、二の舞にしてくれるなよ。こっちは、僕の最高のお気に入りなんだから。