ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

諦めるな!諦めろ!

2012-11-30 18:51:07 | シニア演劇
 舞台作りてのは、結局妥協の産物なんだ。最後まで諦めないとか、とことんこだわるとか、口では言っちゃいても、残り1週間、台詞の入りもままならず、なんて断崖に追い詰められりゃ、どこで妥協する、どこでまっいいかって矛先納めるか、頭巡らしているわけさ、演出てのは。

 一週間前なんて切羽詰まらなくても、装置の出来とか、役者の演技力とか、スタッフの力不足とか、台本のつまらなさとか、チケットの売れなさとか、演出の能なし加減、つまり僕だが、もうそこら中で、まっ、仕方ない、ここらで妥協!って心でつぶやき続けている。そこんとこはきっとプロとアマとの大きな違いなんだろうって気がする。

 日頃妥協につぐ妥協、敗走につぐ敗走で、これ以上譲るものなんてねぇぇ!って思いこんでいたけど、これがまだまだましな世界なんだってことに、シニア演劇とおつきあいしてよぉーくわかった。それを教えてくれたのは、全国シニア演劇大会を切り盛りしている鯨エマさんの一言だった。

 「シニア演劇はね、なーんでもありですから。」えっ?何でもって何?彼女曰く、プロンプもちろん、カンニングペーパー当然、マイクだってOKなんですから。そうそう、朗読だって立派な演劇だから。うひょぉぉぉ、そんな!!!台詞も覚えず舞台に立つの?台詞、生声で届けなくてもいいの??これは容易成らざる領域に踏み込んじまったぞ、って思う反面、そうか、それでいいのかと、ほっと安心の悪魔の声も聞こえていた。

 さて、いざ今回の「風渡る頃」の作・演出を手がけてみて、大きなな悩みはそこだった。何でもありだから、悪魔の囁きに心揺れながら、どこまで要求して行くべきなのか、本当に迷った。例えば台詞、本番の三日前まで舞台袖で出番のない仲間がプロンプをしていた。詰まると袖に向かって、なんだっけ?って聞くんだもの。で、あっ、そうそう、で台詞に戻る。おいおいおい!こんな有様だから、よっほと゜本番もプロンプ付けろか、と思い悩んだ。でも、プロンプ付けます、って言ったとたんに台詞入れようって気持ちしぼむに決まってる。まっとうに台詞入らず会話劇なんて成り立つわけがない。だめかも知れない、でもここは妥協しない!と心をむち打って、明日から一切プロンプ禁止、台詞に詰まっても出てる者だけで何とかする!っと言い渡した。

 声の大きさについては最初の稽古から毎度毎度言い続けてきた。でも、これもなかなか難しい。台詞に感情を入れると途端に囁きになってしまう。語尾が消えそうになる癖も曲者だ。さすが、マイク使うか?なんて魔の囁きは聞こえてこなかったが、どこまで求めていく、これも結構悩んだ。

 さらに、演技やアクセント、ここまで来ると、65分のすべてにわたることだから、そこら中で、まっ、いいか、まぁここまでやれればな、仕方ないか、って諦めの虫にとりつかれることしばしば。それでも、やっぱり、そこはねえ、見せ場だから、ここは笑い取らなくちゃ行けないから、そこ気に入ってる台詞だから、お願い、もう一息!頼むから頑張ってみて!とまぁ、とこんととは行かぬまでも、執念深くダメだしは続けた。

 で、本番。まずマイクはまるで問題にならなかった、当然!全員がしっかりと発声していて、観客からも声よく出ていたと褒めていただけた。プロンプも付けなかった、が、詰まったり飛んだりは当然あったが、なんとか、繋げられた。そして、演技の方も、ラスト三日で飛躍的に良くなっていた。やはり、諦めちゃダメってことなんだよ。あくまで高い目標を掲げてビシビシとむち打つ、それから逃げずに壁を乗り越える、これやらなくちゃお金取って見てもらうなんてできないもの。それと、一つ壁を越えれば、まったく違う世界が見晴らせる。その心地よさは何ものにも代えられぬすがすがしさだ。そして、更なる努力を心に誓える。

 今、受講生たちはそんな達成感と、先々への期待と意欲に気持ちよく浸っているに違いないのだと思う。って、妥協はどうなった?必要だって結論なのか?不要だってことなのか?

 もちろん、必要だ。そこら中で諦めた。いろんな所で、まっいいか、って囁いた。でも、ここは譲れぬ、これダメ!って頑張ったところもあって、結局、その兼ね合い、せめぎ合いが舞台作りってものなんだろうな。人生も結局そんなもんだよ。諦めるな!でも諦めろ!なんじゃこりゃ?


 


コメント
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