ステージおきたま

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韓ドラ『財閥家の末息子』に韓国を見たら、違うか?

2025-01-27 11:21:40 | 韓ドラ
うん、毎晩楽しみに見た、16日間も!
信頼する韓ドラ案内人の勧め、間違いなかったな。やっぱり、何事にも先達はあらまほしきことなり 、だ。

すべてのエピソード、繋がっていながら、一話読み切りになっていたり、常にハラハラドキドキ次に続くのラストも見事だった。

魂の入れ替わりとタイムスリップを見事に生かし切った作品だったな。

過去の出来事を知っている人間が過去に入りこめたら、戸惑うことも多い反面、かなりのアドバンテージを持つよな、そりゃ。戻った時代から今に至るすべての出来事知ってるんだ、予言者のようにふるまえるってことさ。
だれだって、そんな優越的立場に立ってみたいよな、って、願いを叶えてくれているのが、このドラマ『財閥家の末息子』だ。



激動の韓国経済の真っ只中にそんな超能力者を送り込んだんだ、面白くないわけないじゃないか。経済動かせるってことは社会を牛耳れるってことだぜ。

IMF危機もその収束も、軍政から民主化の政治の動乱も、さらには先端産業の移り変わり、みーんな経過がわかってるわけだ、こら万能だぜ。
サッカーワールドカップ、ベスト4進出を利用して売れない軽自動車を一躍ベストバイに押し上げたり、アイドルの復活とかソウルオリンピックでのメダル獲得を予言して好きな女の子を引き寄せたり、結果わかってるってこれ以上強いことはないよ。
競馬だって競輪、はやらないけど、賭け事何でも負けっこない、で、その勝負事は大財閥の企業経営をめぐって最大限活用される。
ただ、そう簡単に勝ちが転げ込んでこない仕掛けが巧みに、障害物競走みたいに、仕込まれているから、飽きさせないんだなぁ、見事だぜ。

も一つの見どころは、財閥一家を舞台に選んだことだ。人を人とも思わぬ傍若無人な御曹司たちの跡目争いとして、物語は展開する。ほとんど相続の可能性のない庶子の息子として生き返った主人公が、その類まれな経済知識、そりゃ当然、と決断力と動じることなき信念で、しだいに創業者の祖父の信頼を得て行く。

財閥家の家族の身勝手で醜い人間性をどぎつくあからさまに描くことがこの作品の目指すところでもあるんだろうな。
末息子の心に入り込んだ青年は、財閥や大企業の横暴な振る舞いに、生活も命さえも奪われた家庭に生きていた記憶も持ち続けているから、企業買収その他の経済的決断の時には、貧しい階層の人たちに寄り添う立場から、利潤追求とは反対の選択を推し進めるんだ。

ここだよ、この作品が愛される理由は!
財閥に対する恨みつらみと嫌悪感、虐げられた人たちの側に立つヒーロー!
と、同時に大金持ちの豪奢な暮らしぶり、豪邸や贅沢三昧の女たちの衣装、趣味の世界、これら別世界への憧れの眼差し、これもまた、韓国の人たちの偽らざる意識なんだろう。

財閥、富裕層への憧憬と嫌悪!

韓国の人たちの屈折する思い、それは、主人公の置かれた立場でもある。そこがこのドラマの成功を保証した理由だって、言い切っちゃっていいかな?

で、日本だが、財閥は系としてはある、三井、三菱とか。でも、一家として全体を支配するって体制はないんじゃないか。たまに、小さめの企業で創業家の一族支配なんてことは聞くが、コンツェルンやカルテル的な財閥支配は見えないんたが、俺の知識不足かな。
多分、占領軍による戦後民主化、その一環としての財閥解体が効果的だったし、その経済の民主化って精神が今も生き続けてるのかもしれないなぁ。規制緩和至上主義の新自由主義の洗礼もあったしな。

それが果たして良かったのかどうか?なんだよ、問題は。

格差の拡大が急速に広がる今、富裕層の実態が見えにくくなっている。韓国の財閥のような、異人種のような暮らしぶりや振る舞いが貧しい人たちの眼前に浮かんで来ないのだ。これが、大企業優先の政策、富裕層優遇策の推進が、あからさまでありながら、反発を受けていない理由なんだと思よなぁ・・・

なんて、ことを考えながら見通した16話だったが、さすがに決着の回はいただけなかった。死んだはずが生きていたり、交通事故を装った殺害の方法があまりにお手軽、辺鄙な道路、前に車止まってたからって、待ったりするか?対向車線通行ないのに、だったり、動転してるはずなのに通話内容録音していたり、もう、無理筋過ぎるだろ。議会での証人喚問で劇的決着ってのも、そんなうまく行くかよ!解決編、急ぎすぎだろって。

だが、何よりダメなのは、20年後の今に戻った人たちがほとんど歳を重ねていないこと、変わっていないこと。メイクも衣装も演技も歳月超えてそのまんま行っちまえ!って演出、思い切ったんだろうけど、違和感大きすぎだぜ。

二人の人間として生きた主人公がどう見ても同じ人間なこと、これはもう致命傷だよな。メガネと服装と帽子くらいじゃ別人にゃ見えない。せめて、二つの人格を演じ分けられる演技力があればなぁ、ソン・ジュンギに。『ヴィチェンツォ』の彼は好きだったんだけど。照れくささの表現として、髪に手をやる仕草、もう定番すぎて、勘弁してくれよって、こっちが恥ずかしくなった。思えば、演技できないことが、イタリア帰りのマフィアのニヒルさに合ってたってことかもな。
財閥創始者役のイ・ソンミンは、『ミセン』同様、見応えあったけど。

そうそう、『財閥家の末息子』って日本語タイトルも誤解を生むよな。主人公は末息子の子ども、孫だもの。強いて付けるなら『財閥家のはめち孫』?あっ、これじゃ視聴者逃げるだけか。原題の『Reborn Rich』でよかったのにね。

と、最後はがっかりだったが、まぁ、2週間以上も楽しませくれたんだ、多くは望まんさ。ありがとう。








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