まさかねぇ、こんなに時代を映せるなんて思ってもみなかった。
菜の花座6月公演『ダンスホールMitsu』、男たちの残虐に反撃する女たちの物語だ。ストライキの先頭に立ったがゆえに、職長の男たちの餌食にされた女工。青鞜をともに学ぶ先輩から襲われた女教師。身勝手な主人の凶刃を逃れ彷徨う愛妾。女狂いの男からの逃避行を選んだ奥方。追い詰められた女たちが吹き寄せられるように集まったところが、ダンスホールMitsu。
(ポスターは昨年、中止となった公演のもの。日時も内容も大きく変わった。)
時代は大正、でも、全然変わらないじゃないか、今だって。
権威をかさに着て、性交渉を迫る映画監督やプロデューサーが次々と告発されている。文学の世界からも、新人作家へのセクハラ、パワハラが明らかになり、ツイッターには被害にあった女性たちの激しい怒りの声が渦巻いている。
ウクライナでは、ロシア兵による住民の虐殺、女たちへの暴虐が組織的に行われている。
男たちの性欲の前に、されるがままの女たちでいいのか?悲痛な声を上げればそれていいのか?
男たちの暴力、残虐に一矢報いる術はないのか?無理無体の傍若無人にしっぺ返しする方法はないのか?
この芝居の見せ場の一つは、男たちの糾弾シーンだ。引き据えられた男に、非道な行いを振り返らせ、追及し、償いの道を宣告する。もちろん、公けの裁判などではない。秘密の儀式、漆黒の舞台、刺し貫く光線。後悔に歪む男の顔。社会的死を刻印される男たち。
少しでも、女たちの無念に迫れればいいと思っている。が、きっと、その痛苦に耐えて立つそのつま先にだって手が届くことはないだろう。男に、わかるものか!遊び半分に描かれてたまるか!
そうだよなぁ、そうなんだ。男なんかにわからない。
でも、描きたい、舞台に上げたい。だって、どうしたって、今、この時代を描写するとすれば、女たちの苦難と再生なんだとから。
菜の花座、時代の希求にどこまで応えることができるだろうか。