ステージおきたま

無農薬百姓33年
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がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

弱者・地域が見捨てられる!

2024-02-03 10:51:00 | 社会
過疎地なんて"適当に扱やいい"んじゃねえかって、下心透けて見えてる気するんだよ、能登地震の対応。
政府の初動遅れも、まっ、大したことないんじゃないか、なんて、現地を見ることなく判断してた、関係者のほとんどが。M7.6なのに、情報完全途絶なのに!

対策本部の立ち上げも遅れるし、現地視察も後手の後手。挙句は現地入るな!の大合唱。
まっ、道路寸断、交通渋滞、被災地混乱って半分偽情報に煽られたってこともあるだろうが、だったら、海から空からって次善策が強力に進めらなかったってあたり、
最初から、"適当でいいんじゃね"って潜在意識が働いてる気がするんだぜ。

立憲のある議員なんて、被災地支援も軌道に乗らないうちから、へき地の被災集落は集団移転も検討を、なんて提言、妄言出して来る始末だし。

二次避難先の県南部の旅館も、観光シーズンにゃ出てもらわないと、なんて、こんな非道、県知事が言うことか。政府は、コロナで失敗経験済みのお泊り歓迎キャンペーンやるとかって言ってる。観光業者は守るけど、被災地の年寄りたちには金使いたくないって気持ちが溢れ出てる。

事前の地震対策も、都市部を優先して来た、能登になんて頭回らなかった、って担当者白状してるし。

原発だってそうだ。

立地はすべてへき地だろ。事故あっても、人口密集地に害が及ばなけりゃいい、って、絶対及ぶから、避難経路が閉ざされたって、ジジババ中心にたかだか数百人、じっと屋内待機で我慢しておくれ、って、これ完全な姥捨てじゃねえか。

地方は見捨て、過疎地は切り捨て。これって、生産性の低いものは要らない、宣言の発動だぜ。
年寄りは、自ら死を選べ、なんて成田祐輔の発言、あの発想が社会の底辺に流れ始めてるんだ。

そんな社会の不穏な願望が、公然とシステム化された近未来、それを孤老の末日の物語として書いている。
『寄りそって夜明け』。
いよいよ、ラストのクライマックス、棺桶の開く瞬間に近づいている。そんなディストピアは嫌だって反撃をどう準備するか、そこが作品の決め手だな。





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