ステージおきたま

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ポピュリズム政党、日本だと?

2025-01-04 11:07:29 | 政治
ポピュリズムに眉を顰める必要はないってことが、政治学者の優れた論考『ポピュリズムとは何か』水島治郎著でわかった。

さぁて、日本のポピュリズム政党の可能性はどうなんだ?

まず、どこをポピュリズム政党って呼ぶか?ってことだよな。
候補としちゃ、右派なら参政党、日本保守党、左寄りなら、れいわ新選組あたりかな。

れいわなんかは、前回紹介したこの本『ポピュリズムとは何か』の定義にかなりよく当てはまってる。
拡大した格差社会で振り落とされた人たちが、富裕層の富独占に怒って山本太郎ってすぐれたリーダーのもとに固まって進撃を続けている。

貧者の反撃!

この点、南米のポピュリズムのバターンそのものだが、保守革新の主力政党がほとんど似たり寄ったりになって、庶民の感覚を無視し続けていることへの激しい反発という点では、ヨーロッパのそれに近い位置にある。

ただ、大きな違いは既成リベラルのいい加減さを原則的立ち位置から先鋭に批判する立場に立っていることだろう。貧困解消、経済活性化のための消費税廃止を声高に叫んじゃいるが、憲法でも原発でも人権でも多様性社会の実現でも、反差別・反ヘイトでも、反戦平和でも、極めて原則的だ。
本当か?って疑う人、こまめに出される声明の数々をチェックして欲しい。

憲法重視、人権尊重の主張は、だれも見捨てない、生きていてよかったと言える社会の実現のスローガンといい、ボラカティアに支えられる活動といい、”貧者の革命”を目指していると言えるだろう。

右寄りと見做せる参政党



や日本保守党



はどうだろう。

日本を取り戻す的な愛国主義が基調にあるのは確かだが、それ以外の主張にも力を注いでいる。
参政党だと、反ワクチンとか安全な食生活などへの傾斜だが、これって、政権や既成政党が相手にしない課題っていう意味では、片隅に押しやられた人たちの声って言えるわけだが、経済的な格差とかではないし、階層としてのまとまわりもない。
強いて区分けするなら中流やや上層か?違ってたらごめん。

日本保守党も憤懣の中心にあるのは、伝統的な嫌韓、嫌中意識に根差した差別意識だ。ヨーロッパのように移民の大量流入による生活の圧迫といった差し迫った危機に押されているとは言えない。日本は、移民の流入には比較的消極的で、職場の奪い合いのような事態には立ち至っていないんじゃないか。
難民については国連から非難されるくらい頑なに認定を拒んでいるしな。今のところ、体よく他国の人たちを使い捨てるシステムが上手く(企業側にとって)機能している、もちろん、否定されるべきことだが。

最近一部で大騒ぎしているクルド人による地域制圧?なる話題も、ほとんど針小棒大のフェイクに踊らされているだけで、現実的に川口や蕨の地域社会が危機的状態にあるわけではない。
嘘だと思う人は、「川口・蕨の真実を伝える住民の会」の情報をチェックして欲しい。

国会議員片山さつき他の煽りに端を発し今も根強く続く、生活保護受給者への攻撃も、下層民からのやっかみであるよりは、日本社会に蔓延する自助最優先主義の表れとみなすべきで、ヨーロッパ的福祉排外主義の動きとは見なせない。

どうも、参政党も日本保守党も、今の社会のあり方に根差した発展のベースを持っていないんじゃないか、ってのがここでの結論だ。

となると、日本でポピュリズム政党として発展の可能性があるのは、れいわ新選組だけ、ってことになるのだが、そうは簡単にことは進まない。

2024年の大きなポピュリズムの動き、それは都議選での石丸伸二、衆院選の玉木国民民主の躍進、そして、斎藤元彦の驚きの代逆転知事返り咲きだった。

今までにないこの大きくうねる人流、潮流をどう見たらいいのか?
たしかに既成政党や既得権益に反発するエネルギーの結集ではあったが、それを支えた層の様相も明瞭に描けるほど輪郭は確かなものではないし、まして、政治的方向性も極めてあいまいだ。
党派としての活動もまだ見られないから、リーダーとも呼べないのだが、個人的な魅力に吸い寄せられて盛り上がっている状況だ。ただ、

間違いないのは、人々が社会や政治の現況に不満を抱き、ポピュリズム的揺らめきを見せているということだ。

この動きがどのような形となって行くのか?予断は許されない。石丸伸二や斎藤元彦の発言や行動から垣間見られるのは、他者への厳しさ、弱者への攻撃性と、それを支える自助を自明とする新自由主義的思考だ。

このような排他的思想が、その装いの真新しさにつられ、追い詰められ貧窮化している人々を吸い寄せるかもしれなってことが大いに不安だ。

若者が犠牲になっているという高齢者攻撃、自立できない人や地域は見捨てて当然という棄民の思想、他人種への偏見と差別の激化、このような暗澹たる社会へアクセルを踏み込んでしまうのかもしれない。

兵庫県知事選で見られたフェイクニュースへの簡単な同調や石丸、玉木の切り取り動画作戦の成功など、果たしてこの国の人々は、理性的に社会のあり方を選択できるのかどうか。

世界に先駆けてポピュリズムの悪しき事例を生み出してしまうのではないか?

行きつく先は、攻撃社会、抑圧国家、ついには戦争!となるのではないか、それが大いに不安なのだ。

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