農家暮らしにゃ、なにかとモノがいる。稲の苗箱や畔波シートなんか年々傷んで廃品になっていくし、極力再利用するように心がけているビニール類も使用不能品が溜まっていく。いつか役に立つんじゃないかと、もらってきた手押し搾汁機や打栓機、動かなくなった農業機械やモーター類なんかも、結局日の目を見ないまま、邪魔モノになってしまった。
若いころは、あれもやりたい、これもやりたいと、むやみと膨らむ夢に任せてストックされていったモノたち、もはや無用の長物、行き場のないまま、小屋を占領させておくわけにもいかんのだ。身の回りすべてについて整理して我が身とともに消滅していく準備をせにゃならん。そう、終活の時ってこと。
春先はそんな身辺整理の季節。神さんはとりわけ張り切る。月の半ば以上を実家で、100歳近い母親の面倒を見て暮らしているが、日々の介護とともに、老母がため込んだ無用な品々の処分も欠かせぬ仕事になっている。その熱を我が家にも持ち帰って、整理・廃棄の鬼と化するわけだ。
今年も、町内の廃品回収業者に出張回収を頼んだ。一番大きな廃物は苗箱の壊れたモノ。ポット苗の種蒔き機と田植え機をもらってから20年近く、ダメになった苗箱は百枚をはるかに超す。以前使っていたハウスの骨組みパイプもある。それと、ハウスを覆っていたビニールの古モノ、これもかなりの量だ。自給中心の我が家の場合、農協とのお付き合いはまったくないから、農業用廃ビニール回収のお知らせも回ってこないのだ。頼み込めば処理してもらえぬわけじゃないが、今さら関りができるのも面倒なので、少々費用は嵩んでも、業者を利用しているってわけだ。
旧鶏小屋横の道路に止めたホロ付き荷台トラックに次から次と放り込む。大きなトラックがほぼ満杯になる。なんとなぁ、これがツワモノどもの夢の成れの果てってことだ。生きてくってことはなんとモノにまとわりついているんだろう!と感無量。
最後の大物は、30年前廃校になった園芸高校から出た食品加工関係の廃棄物、とりわけ、足踏みの打栓機。これがやたらと重たい。大の大人二人かかりでも持ち上げるなんて不可能。移動は土台の円盤を転がしつつ行うしかない。さて、これをどうやってトラックの荷台に積み込むんだ?係のあんちゃんと二人で持ちあげるなんて、嫌だからな。クレーン付きの別のトラックで出直しするっきゃないだろな、などと内心興味津々で見ていたら、なんと、トラックの荷台が後ろにずり落ちて来た。
なんと、こう来たか!これならどんな重い荷物でも、ごろりごろりと回転させながら荷台に積み込むことができる。必要は発明の母!とはまさにこのトラックのことだな。さしもの大モノも、これにて一件落着!あんちゃん一人、楽々積み込み、扉を閉めたら、油圧を利用し荷台はまたもやトラックの定位置に戻された。
旧鶏舎周辺、これでずいぶんきれいになった。これで、積雪時、積み上げた苗箱が倒れて、除雪機の邪魔だてすることもない。大モノがいなくなって小屋の中もすっきりした。って一時、自己満足に浸ったが、ほれ、この鶏小屋そのものが、近々つぶれて廃物の山になるだろ。それと、小屋の中にゃ、貰って来た味噌樽がまだ三つも不使用のまま鎮座している。うーん、身辺整理、道半ばなり!いやいや、前途程遠し!世の中から消えてなくなるってのも楽じゃないな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます