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(写真:今は懐かしい、平和な頃のバンコク。MBKショッピングセンター)

ことさら正義を声高に叫ぶ人々ほど不誠実でかつ、危険な人々はいないから注意が必要だ。

タイのバンコクを中心に武装して暴れまわり、まるで戦争の跡のように都市を破壊した人たちは、もともと「民主主義」と「正義」を叫ぶ人々だった。
この民主主義を叫ぶ人たちはクーデターで倒されたタクシン元首相を支持。
1997年の通貨危機からタイを救った経済面での救世主を信奉する、一見すると「善良な市民」のような感じの人々だが、事実はわずかな日給と用意された三度の食事に群がった烏合の衆。
しかも、ちょっとばかり質の悪い、という冠のつく人々だった。

彼らは時代遅れの軍事クーデターに抗議をする形で運動を開始。
最初は穏やかな運動だったのかも知れないが、昨年あたりから行動がエスカレート。
一時、バンコク新国際空港(スワンナプーム空港)を占拠して運行を妨害。
旅行や仕事でタイを訪れていた人ばかりではなく、世界中の人々を乗り継ぎ不能で混乱に陥れた。

それでもその時は死者はでなかった。
端的に言うと、空港が閉鎖されて経済的打撃を受けただけ。誰かが再起不能になるなんてことにはほとんどならなかった。

でも今回は違った。
ショッピングセンターが略奪され、焼き討ちされ、銃や手榴弾、挙句の果てはロケット砲まで使用されて多くの人々の生命が奪われた。
大勢の人々が店ごと焼かれて財産を失った。
さらに多くの人々が職を失った。

私が初めてバンコクで寿司を食べた伊勢丹と棟続きのショッピングセンターは何時間も燃え続けて焼け崩れた。
ここはワートレと呼ばれるバンコクのワールドトレードセンターだが、これではまるで9.11ニューヨークのワールドトレードセンターだ。
で、思い出の「わさび別出し」のにぎり寿司の思い出も終わってしまった。

インターネットの情報によると旧そごう百貨店だったショッピングセンターでは50人以上もの死者と300人以上の負傷者が確認されたという。
数年前、南バスターミナルから都心に向かう乗合バスへ乗ろうとして足を踏み外し、思いっきり脛をぶつけてケガをした時、絆創膏を買ったのは、そのショッピングセンター2階にあった薬局だった。
あの店は無事なのだろうか。

もともとバンコクでの爆弾騒ぎなんてのはミャンマーの反政府主義者が隣の国で注目を集めるために「ドンッ!」とやる。
それぐらいしか見られなかった。
こちらの独立主義者の人たちも「正義」を叫ぶ人たちだが、ミャンマー国内では乗合バスを襲って乗客を殺害するわ、麻薬の取引はするわ、で赤シャツ軍団と似たり寄ったり。
マスコミは何が「正しいのか」わかっていないのが実情だ。

東南アジアの人たちは普段大人しいが怒ると烈火の如く。
収拾がつかなくなる。
2年前のミャンマーのデモ。
4年前のインドネシアの華僑排除騒ぎ。
30年前のカンボジアの紅いクメール。
40年前のベトナム南北戦争。

かといって、それがいつまでも尾ひれがついて、例えば日本の謝罪外交みたいに切りがなく続くということは、まずない。
いたって蛋白なところもこの地域の特長だと思う。

ということで、一日も早く、元の微笑のワンダーランド「タイランド」に戻って欲しい。と、ここのところブログも書けないで超多忙で仕事のストレスが貯まりにたまった私は思うのであった。
ああ、ホアヒン・ビーチに行きたい......。

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