<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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予告「SF番組○○ー○○○○のDictionaryを出版します。乞うご期待!」

と、あるテレビ番組のDictionaryの作成を宣言したのは今から30年前。
学生時代のクラブ活動のひとつだった。
というか、クラブメンバーをつなぎ止めておくための宣伝だった。

それでそのDictionaryはと言うと、未だに一行も書かれておらず、当然完成の目処はまったくない。

自分で辞書を作る。
例えば、自分で仕事のデータベースをファイルメーカーを使って作っている人がどれくらい存在しているのか。
少なくとも私の職場にはファイルメーカーはおろか、他のデータベースソフトはもとよりカードを使って仕事に関わる事柄を分類整理している人は見たことが無い。
きっと他の職場や、他の会社も同じだろう。

データを集めて有用に活用するためのツールとして事典がある。
最近はWikipediaが最もポピュラーな辞書だけれども、Wikipediaの問題は、その内容を検証し、保証する機関がまったく存在しないということ。
もし内容を保証して、きっちり管理するのなら無料の辞書は成り立たないかも分からない。
それほど辞書や事典の製作は費用と時間を必要とする。

サイモン・ウェンチェスター著「博士と狂人」は世界で最も権威ある英語辞書オックスフォード大英語事典の製作に関するノンフィクションだ。

「博士と狂人」といういささか普通ではないタイトルを見て思わず書棚に手を伸ばして購入したのだが、これが凄い。
一人は語意の収集に協力した一人の元エリートで精神病刑務所に収監されている殺人犯罪者。
そしてもう一人はオックスフォード大学で恵まれた条件ではないにも関わらず全勢力を傾注して編集に取り組む責任者。
本書は事典の編集を追いながら、この二人の人生を描き出している。
その描写のスリリングなこと。
冒頭から最終まで、読者はこの異常な世界に魅了されるのだ。

二人のうちの、もっともスポットライトが当てられているのは「狂人」であるマイナー博士だ。
妄想症のために殺人事件を犯してから、ほぼ全人生を精神病院で過ごすわけだが、その生活そのものが、もしかすると今の私たちにとって博士と自分たちの人生は紙一重の違いでしかないのではないか、と考えさせるものがある。
病院は現代の社会そのもので、私たちはある種の社会的義務感という檻に入れられ、外に出ることができない。
社会という病院は私たちに閉塞感を与えるが、もし、やり甲斐のある「何か」を見つけることができれば自らが病院=社会に監禁されていることを忘れ、それに打ち込むことができる。
しかし、ある者は耐えきれず、自らを死に至らしめたりする。

編集に要された70年という途方もない時間のなか、オックスフォードの大英語辞典にはそんな秘められたエピソードが隠されていたのだ。

~「博士と狂人」サイモン・ウェンチェスター著 早川文庫~


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