<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





「花を育てるなら食べられる野菜を育てなさい」

近所のおじいさんがカミさんが植物を栽培しようとし始めた頃に語った言葉だ。
以来カミさんは観賞用植物よりも実益のある食べられる植物を育ていることにしている。
ちなみに世話をしているのは私である。

そんなこんなので、夏を迎える頃にハイビスカス購入で一悶着あった。
ハイビスカスは食べられないからダメなのだという。

夏。
ミャンマーやタイ、ベトナム、そして我が沖縄が大好きな私は夏が近づき日中熱くなってくるとハイビスカスを育てたくなるのだ。
ハイビスカスの真っ赤な花が咲くと、それだけで「夏」が来たように思え、そのまま気分は大阪から那覇を経て恩納村へ本部へ飛び、さらにはベトナムのメコン・デルタやバンコクの裏路地、ミャンマーのピンウーリンのお花畑を思い出すのだ。
ああ、ガイヤンを食べながらシンハービールを飲みたい!
なんて思うのもこの瞬間だ。

ハイビスカスはもうひとつ良いポイントがある。
それは手間がかからないということだ。
陽射しさえちゃんとあって水をふんだんに与えるだけですくすくと育ち、パカッパカッと花が開く。
それもズズズ~んと大きな花が開くのだ。
だから物臭な私でも十分楽しめる植物であり、ハイビスカスは幸せをくれる花なのである。

一方、食べられる植物は総じて手間がかかる。
草抜きをし、肥やしを与え、時に支え棒を立てるなどをしなければ成長してくれず、枯れてしまうこともある。

今年の春は泉州野菜の種を買ってきていくつか植えた。
水茄子。
杓子菜。
青菜。
などなど。
現在のところ水茄子のみが元気に育ち、後は全滅であった。

青菜は1株だけが目を出したが、そこそこのサイズになったところで枯れてしまった。
水もやり、化学肥料もちゃんと与えたのだが、
「土が硬いんやわ」
とカミさんの分析である。
ちゃんと耕したのに。
杓子菜は「もうすぐ食べられる」というところまで成長したのだったが、バッタの群に襲われボロボロになってしまったのであった。
私は思わず手塚治虫のブッダという漫画のいちシーンを思い出した。
そこにはインドの中央部で穀倉地帯をバッタの大群が襲い、食べ物を食べ尽くし、人々が飢えるというシーンなのであった。
お釈迦様がその時にどうされたのかは忘れてしまったが、私の家庭菜園は何らかの手を打たなければ菜っ葉系はバッタにやられるという、害虫対策に悩むことになった。

「バッタに効く薬はないかな」

と言ったところ無農薬をポリシーとしているカミさんに反対された。
それにDIYショップで探してみたのだが、バッタの駆除剤は見当たらなかったのだ。

「こうなったら畑でカメレオンでも飼うか」

と言ったところ、そのカメレオンが行方不明に鳴ったりしたら大騒ぎになると指摘され断念。
なにか良い手はないかと目下思案中である。

水茄子は今のところ何の被害もなく育っているが一向に花が咲く気配がなく、このまま葉っぱだけの水茄子になるのではないかと危惧している。

それと比べて優等生が一株いる。
ミニトマトの一株なのだ。

このミニトマトは知人から数株もらったうちの1つなのだが、例によって私が水しかやらなかったためか、土が硬かったためか他の株は全滅し、このひと株だけが生き残った。
肥やしもやっていないのに生き残ったのだ。
それがすくすくと成長し、カミさんが棒で支えてやると、ますます大きくなって花を付け、ついには実が成った。
これはもう素晴らしいことで、実が熟して赤くなったものを1粒だけもいで家族三人でチビチビ食べたところ、めっちゃ甘くてみずみずしい果物のようなトマトになっていたのだった。

家庭菜園。
次回からトマト専用農園に変更しようと企んでいる私なのであった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






5年ほど前。
こんなに暑いのにどんな奴らが観光に来ているんだろう?
いっちょ見に行ってみよ。

と、出かけたのが盆休の京都なのであった。
実際その暑さは生半可ではなく、タイのバンコクよりも蒸し暑く、ミャンマーのモンユウよりも痺れる暑さなのであった。
夏の関西旅行は東南アジアの暑さを体験できる、一粒で二度美味しい旅行なのである。

さて、京都は私の住んでいる大阪府南部から電車で約1時間半から2時間でたどり着く。
とっても安近短な観光地だ。

「へー、京都が安近短で羨まし~」

といわれる方もいるだろう。
しかし関西人にとって京都観光は「灯台もと暗し」なのである。
従って私は京都をまともな観光で訪れたことはたったの一回もない。
だいたいにおいてひねくれているのだ。

京都の夏といえば、まず祇園祭だろう。
今年の祇園祭は終わってしまったが、私も祇園祭には一度だけ訪れたことがある。
実に「訪れた」という言葉がぴったりで、楽しんだわけではない。
その時は山鉾でさえ一瞬にしか目にしなかったのであった。
なぜなら、阪急河原町の駅を下車して改札を出て、地上にあがったらその雑踏の凄いことに恐れをなして、そのまま地下に戻って、梅田行の特急に乗ってしまったからなのであった。
ただでさえ暑い京都の、祭の客でごった返す河原町なんぞをブラブラすることなであり得ないわけで、なんのために行ったのかというと問われると今もって困惑の極みなのだが、月並みに「祇園祭とはなんぞいな」という好奇心で行ったまで。
祭そのものを楽しもうなどという気持ちまではなかったというわけだ。

そもそも京都を初めて訪れたのは京阪電車に乗ってみたい、というそれだけが理由だった。
大阪京橋から京阪特急に乗って終着駅の三条まで出向いたのが最初だった。
この時も三条駅前には一瞬しか滞在しなかった。
尤も祇園祭よりは長かった。
少なくとも昼ごはんを駅前の食堂で食べて戻ってきたのだ。
まだまだ京阪電車が鴨川べりの地上を走っていた時で、それはそれだけで京都的な旅情が楽しめたのであった。

以後、観光目的での京都訪問は記憶に無い。

仕事で京都を訪れる度に、その観光客数に圧倒される。
JR京都駅を降りると遠方からの観光客が案内所に列をなしている。
それもびっくりくらいの人数が列をなし、すでに満杯の宿泊施設に空きはないかと案内所の人に色々と尋ねている光景を目にする。
掲示板には「今日の京都のホテルに空き部屋はありません」と記されているのにも関わらず、粘る。
そもそも駅の案内所に「空き部屋なし」の掲示を貼るのも京都ならではの光景に違いない。
なお、夏の京都は鴨川べりで野宿しても死なないのでダイジョブだ。

ここ河原町も人で溢れ、糞暑いにもかかわらずカップルは鴨川沿いで等間隔に並び川面を見つめている。
不思議なのは等間隔だけではなく、暑い既設も寒い既設も何をあんなところで何を話しているというのだろうか。
まったくもって謎なのである。

で、いよいよ盆休。
今年の京都も酷暑は繰り返す。
暑さに弱い人は来ないほうがいい観光地でもある。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )