<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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先日、小泉今日子の昔のビデオをCSで見ていて、

「きょんきょんって、下手やけど、上手い」

というようなことをカミさんと言っていたことは、このブログにも書いた。
しかしその下手さが彼女の魅力であり、今日もそれは変わっていない恐ろしい生涯アイドルとしての力量ではないか、と思うと何が幸いするのかわからなくなってくる。

そんなこんなを考えていると、これまた先日、不思議なことに気がついた。
いや、別に不思議でもなんでもないのだが、考えてみると不思議なのだ。
それは何かと言うと、

「歌の下手な歌手はいるが、演奏の下手な伴奏オーケストラはいない」

ということだ。
これはオーケストラよりも編成の小さなバンドにも言える。
歌が下手で「味がある」と云われることはあるけれども、演奏が下手ならきっと「味がある」なんて言ってもらえるわけがないのだ。

アイドルの歌というのは抜群のテクニックを持って演奏する伴奏に支えられているのだ、と断言しても過言ではないだろう。
例えば伴奏が下手ならどうなのか。
クオリティは中学生の音楽の授業の合奏レベル。
「1,2,3.はい!」
でスタートした演奏は太鼓だけがやたら元気で、管楽器は音が外れ、ピアノだけが独自の道をゆく、というものであったりしたら、きっと恰好悪いに違いない。
AKBの単品アイドルでもプロと思ってしまうのは、まさにプロの演奏をバックにするからで、これを中学生の音楽の授業の演奏レベルまで落とすと、正直言って、格好わるいを超越し、なんか別のバラティお笑い番組じゃないか、と思ってしまうこと請け合いだ。

そういえば、ZONE以来度々出てくる中学生、高校生バンドもプロであるかぎり歌が下手でも演奏はなかなかなテクニックだ。

たぶんこれは、下手な絵も立派な額に入れると高価に見える、というのと同じなのかもしれない。
今私は自分で気づいたアートな法則に驚いている。

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