<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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これから訪れようとしている東京庭園美術館は旧宮家の朝香宮邸であった。

初めてここを訪れたのは6年ほど前に開催されていたタイポグラフィ展だった。
なぜそのような展覧会を訪れたのには深い理由はない。
タイポグラフィに特に興味があるわけはなかった。
かといってグラフィックデザインに関連したものに興味がないわけではない。

ただ単に、たまたま東京出張のときに時間が余っていて見たいと思える展覧会がこれしかなかったのだ。
それが理由である。
つまり、

「なんでもいいから寄って行こ」

という超お気楽な感覚での訪問だったのだ。

ところがである。
私は展覧会そのものよりも庭園美術館そのものに感動してしまったのだ。

庭園美術館という名称の通りここは都会のど真ん中のに心和らぐ緑あふれるまさに庭園なのであった。
とりわけ旧宮家の邸宅である本館は戦前の洋風建築としての勉強になるばかりでなく、こころが落ち着く素晴らしい空間だった。
私のような一般の者でも圧倒される押し付けがましい豪華さはない。
日本独自の美の感覚がしっかりと守られていて、趣味がすこぶる素晴らしい位の高い知人のお家を訪れたような感覚に陥るような、そんな邸宅なのであった。
だからいわゆるヨーロッパの装飾をそのまま模倣したような趣味の悪さは微塵もなかった。
例えばどこぞの小金持ちの芸能人の家にお宅訪問をしたとしよう。
そこは障子や襖で囲われた日本の家なのに、調度品はキンキラキン。
カウンターの上には大きなマイセンのツボ。
床には頭がついた獣のカーペット。
玄関には洋風生花などが並んでいる。
といった、本人のみが悦に入ったワンダーランドではない。
その正反対のものなのであった。

そういう素晴らしい建築を家族に見せたいと思ったのは言うまでもない。

今回ここを訪れた最大の理由は展覧会の内容よりも、むしろ建物を見てもらいたいという気持ちからの訪問なのであった。
庭園美術館はそういう性質の美術館だからか、館内は撮影自由になっていた。
ストロボやムービーなどはだめだということだが、作品を含めて部屋の内装を撮影することは一向にかまわないのだという。
カミさんや娘が喜んだことは言うまでもない。

この時「装飾は流転する」という展覧会が開かれていた。
七組の国内外のアーティストによるインテリアや衣装、調度品などの装飾に関わるもので、ファンションというかインスタレーションというのか、この旧朝香宮邸の各部屋を利用した立体のアート作品群であった。

この美術館には本館の他に新館がある。
そこへは渡り廊下を通って訪れるのだが、その渡り廊下が凹凸模様を施されたガラスに覆われており晴れていると陽光が差し込み、ガラスの凹凸によって床面に美しく面白い文様が映し出される仕組みになっている。
ところがこの日は曇り空で残念ながらその面白い文様を見ることができなかった。
非常に残念であった。

「いいよ、だいたい、イメージできる」

と残念がる私にカミさんは言った。
そしてヒソヒソ声で、

「あれ、男ちゃうん」

と言った。
そこにはおしゃれ着に身を包んだ一人の中年の女がいた。
ギャラリーに静静と入っていく。
カミさんと娘はその人を小さく指してヒソヒソ声で、

「男やで、あれ。たぶん。」

という。

確かに綺麗に着飾っているし、化粧もきっちりしているが、どことなく違う雰囲気が漂っている。
ホワイティ梅田の泉の広場に時たま見かける女装のおっさんと同じ空気が感じられるのだ。

「東京やね」

カミさんは言った。

そんな言葉で片付けてよいのかどうか、大いに疑問だが、それはこの展覧会のテーマの成せる技なのかどうか。
保守的頭で凝り固まっている私など、宮様の邸宅にそういう出で立ちで来てもいいものかどうか。
不敬罪にならないか。
ならないのであろう。
21世紀はその手のタレントもたくさんテレビに出ているぐらいだから。
と諦めともなんともつかないことで私は一人合点したのであった。

つづく

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