<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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今年の大河ドラマ「青天を衝け!」はタイトルがいつ始まるかわからない。
従来のドラマではだいたい冒頭にタイトルがあるか、簡単な解説または前回のおさらいがあったのちすぐにタイトルが流れ始める。
しかし今回の大河は違う。
どうでもいいような徳川家康が登場してグタグタ御託を述べるかと思うと、ストーリーが大方進んだ、ともすればっドラマが始まってから10分以上も経過してやっとタイトルが映し出されることも少なくない。
あまりにタイトルが出てこないので、
「今日はタイトル放送したんやね」
とタイトルが出たのかどうかも忘れてしまうくらいの長さなのだ。

毎回この調子なので全体を通しても同じ様になっていたようで、
「これで第一部”血洗島編”を終わり」
などと先週の大河ドラマは導入部が終わったことを5月になって告げるような有様なのであった。
なるほど、面白いのは面白いのだがなんとなく物足りないストーリーが展開していのはそういうわけがあったのか。
なんとなく合点がいったのであった。

ドラマ自体も渋沢栄一が主人公だそうだが、私には一橋慶喜が主人公と思われてならない物語になっていた。
原作も司馬遼太郎の「最後の将軍」をベースに城山三郎の「雄気堂々」を混ぜ合わせ、適当をエピソードをつないでいるのではないかとさえ感じていたのだった。

それにしてもこの時代の北関東の若者の大胆なこと。
しかし中途半端なこと。
武蔵国からは同時代に近藤勇、土方歳三が輩出されているが、渋沢栄一はそこまで過激にはこの時点では至ることができなかったのだろう。
横浜焼き討ちも断念。
ちょうど彼が横浜焼き討ちを断念した同じ年に長州の高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、井上馨らが英国公使館を実際に焼き討ちにしていることと比較するとかなりおとなしい。

ちなみにこのような出来事が私の生まれるたった100年前に実際に展開していたことを考えると結構恐ろしいものがある。
1979年に発生したイランのアメリカ大使館人質事件は大騒ぎになったが、1862年に今のようなメディアがあったら江戸からの配信でいくつもの大変なニュースが世界中を駆け巡っていたことだろう。

とうことで、物語は来週ぐらいから渋沢が一橋家に召し抱えられ、やっと主人公としての活躍が始まる。

大河ドラマ。
昔はもっとシンプルな流れだったように思うが時代の流れか、説明が長い。


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