4月ごろ。
カミュの「ペスト」が注目を浴びているということを耳にしたカミさんが文庫本を買ってきた。
なんでも書店では売り切れ続出で増版しているところなのだという。
「読む?」
と訊かれたもののフランス文学は正直言って苦手なので読むことを少し躊躇していた。
学生の頃にサン・テクジュペリの「夜間飛行」を読んで悪戦苦闘したことがある。
当時「イリュージョン」という作品がベストセラーになっていたリチャード・バックのエッセイに「夜間飛行が面白い」というようなことが書かれていたのだ。
「リチャード・バックが推奨するのであれば、きっと魅力的な作品に違いない」と思い買って読んだのだ。
それが間違いなのであった・
読み始めてすぐに後悔。
複雑怪奇な文章でイマジネーションがついていかずリチャード・バックの描くのに似た飛ぶことへの魅力を期待していただけに失望は大きく読了するのにかなりの能力を要してしまったのであった。
以来サンテグジュペリはもちろんのこと「フランス」と聞くだけで読むに値しない代物として扱うことになったのである。
そんな私に新型コロナウィルス禍でカミュの「ペスト」。
読み始めるのに随分と初動パワーが必要なのであった。
フランス生活の経験もあるカミさんはアマゾンで原文の小説を取り寄せ日本語訳と比較しながら楽しんでいる。
私にそんなことは不可能である。
ともかく話題の小説ということで読んでおくのも仕事のうちと考えカミさんから借りて読み始めた。
やはりフランス文学らしく抽象的な表現が随所に登場してなかなか読みすすめるのが難しかった。
何時代に話なのか、登場人物にはどんな人が、舞台はどこ?
と基礎的な知識を全く持たないままで読み始めた。
当初は「ペスト」というだけに中世の話かと思ったりしていたが、読み始めて早いうちに、それは「現代」であり、場所も「仏領のどこかの街」であることがわかった。
現代といっても1940年代に書かれているので「今」とは異なるのだが、当時の時代背景はあまり書かれていないので「今」に当てはめて読みすすめることができた。
最初は少々退屈していたものの「ロックダウン」が始まってからはストーリーにぐぐぐっと惹きつけられた。
但し惹きつけられはするものと、時々訳のわからない抽象的な表現が出てくるのでその都度、
「ここはどういう意味だったんだろうか」
と読み返すこと1度や2度ではない。
3歩行っては2歩戻る、という365歩のマーチのような読み方をする部分が少なくない。
「訳が古いからだろうか」
とも思った。
昭和40年代に出された文庫だけに日本語が多少古いことも原因になっているのか。
確かに黒人のことを「クロンボ」と訳したりしていて「ええんかいな、こんなワード」と読んでいる方が心配になる部分もなくはなかった。
カミさんも「ちょっと古いね」と言ってたものの、古いだけではなくフランス文学としての表現のしかたにとっつきにくさがあるというのが根本的な問題だと思った。
物語が進むと、ペストとそれに関係する登場人物個々の物語が凄味を増してくる。
恐らく「ペスト」の魅力はここにあるのだろう。
私は牧師という聖職者が感染してから死に至る過程で、聖職者としての精神と病に侵されたごく普通の人の病を与え給うた者に対する怒りの双方に心を揺さぶられ葛藤するところが最も印象に残った。
ともかく読み終わったときは「やったー!」という気持ちと、「すごい、でも2度は読めない」という気持ちが錯綜して不思議な達成感を味わった。
ともかくカミュの「ペスト」は凄いが読みにくい小説で、多分多くの人が途中で挫折しているんじゃないかと思っている。