萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第67話 陽向act.7―another,side story「陽はまた昇る」

2013-08-02 22:03:41 | 陽はまた昇るanother,side story
未来、軌跡を超えて



第67話 陽向act.7―another,side story「陽はまた昇る」

暖簾くぐってカウンター越し、温かい笑顔が向けられる。
夕食初めの時間に空いた店内は主しかいない、けれど温かな香に充たされる。
すっかり馴染みの匂いに笑いかけた先、いつも通りに野太い声が笑いかけたくれた。

「いらっしゃい、」

久し振りの声に嬉しく笑いかけて、いつもの席に3人並んで座る。
カウンター越し水のコップを渡しながら店の主人は笑ってくれた。

「久しぶりだねえ、元気だったかい?」
「はい、元気です、」

笑って頷きながら本当は、嘘が胸ちくんと刺す。
この胸には今もう喘息が再び起きだしている、けれど発作は未だ抑え込む。
この病は誰にも告げられない、それでも唯ひとり頼れる相手に心そっと謝った。

―雅人先生、明後日から今より環境の悪いところに行くんです、それでも…生きたいって想って、いいですか?

心独り問いかけながらコップに口付けて、こくんと水ひとくち納まってゆく。
涼やかに撫でられてゆく喉が心地いい、ほっと息吐いた両隣から声ふたつカウンターに笑いかけた。

「オヤジさん、今日は何がいちばん自信作?」
「この店は自信が無いモンは出さねえです、でも今日はって訊かれたら麻婆茄子かねえ、」
「あ、もしかして秋茄子の新物ですか?」
「お、お姉さん良く解ってるねえ、その通り旬モノだよ、」

三つの声が愉しげに会話してくれる、その空気はただ温かい。
そんな中心に笑ってくれる人に友人ふたりは会わせておきたかった。

―このひともお父さんが遺してくれた手紙なんだ、論文集とおんなじに…だから二人には会ってほしくて、

いまカウンダ―越しに今笑ってくれる人は14年前、父を殺害した。
怯えて弾いてしまったトリガー、たった一発の銃弾、それでも父は被弾して死んだ。
そのトリガーを弾いた手は今こうして温かな食事を作り、訪れる人の体と心を充たして生きている。
こんなふうに生き直す彼の姿には父が愛した詩の一節が、田嶋教授が父に贈ってくれる碑銘が体温と息づく。

 But thy eternal summer shall not fade,
 Nor lose possession of that fair thou ow'st,
 Nor shall Death brag thou wand'rest in his shade,
 When in eternal lines to time thou grow'st.
  So long as men can breathe or eyes can see,
  So long lives this, and this gives life to thee.

 けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、
 清らかな貴方の美を奪えない、
 貴方が滅びの翳に迷うとは死の神も驕れない、
 永遠の詞に貴方が生きゆく時間には。
  人々が息づき瞳が見える限り、
  この詞が生きる限り、詞は貴方に命を贈り続ける。

犯人を救けてほしい。
生きて償うチャンスを与えてほしい、彼に温かな心を教えてほしい。
そう父が最期に願った通りのまま犯人は今、この店を守り温かな料理と空気で訪れる人を安らがす。
そんな彼の生きる姿ひとつずつに父が生きている、これと同じに父の遺作集を開けば父の聲は生きている。

―ね、お父さん…こんなふうにお父さんは、世界中で生きてくれてるんだね…その全部に会いに行きたいよ?

独り微笑んで熱いおしぼりに拭う手が気持ちいい。
そんな感触にも今の瞬間が得難いと気づかされる、そして改めて明後日からの日々が重たい。
この主がトリガーを弾いたのは偶然のようなもの、けれど自分が弾丸を放つ時は意図された合法にある。

Legal murder 合法殺人

それが任務である場所に実質、明後日から自分は立つ。
そこに父も立っていた、それでも自分は父の軌跡を追いながらも父と同じ道にはならない。
そして祖父と同じ道にもならない、きっと自分は父と祖父の軌跡を辿りながら二人と違う歩き方が出来る。

―俺は英二に逢えたから、

そっと心想う名前に笑って友達ふたりと品書きを見る。
それぞれの注文を告げ終ってすぐ、不意に美代がおしぼりを顔に当てた。

「へえ、小嶌さんって男前だな?おしぼりで顔拭いちゃう女の子って初めて見た、」

感心気に笑って賢弥も眼鏡を外し、おしぼりで顔を拭った。
白い小さなタオル外すと愛嬌の笑顔ほころばせ眼鏡を掛け直す、そんな友達に周太は微笑んだ。

「ね、おしぼりで顔拭くのって気持ちいい?」
「周太やったことないんだ?やってみなよ、さっぱりするから、」

勧められるまま周太もおしぼりを手にとってみる。
その前からカウンター越し、大きな手が新しいものを差し出した。

「兄さん、せっかく初めてやるんなら新しいのがいいですよ、どうぞ、」
「ありがとうございます、」

笑って受けとった掌に熱い感触が気持ちいい。
きちんと広げて顔充てるとすぐ、野太い声が優しく笑ってくれた。

「こっちのお姉さんも新しいの使って下さいよ、一枚で足りなかったら何枚でも出すからね、」

一枚で足りないってどういう事だろう?
不思議に想ってタオル外した隣、可愛い声がしゃくりあげた。

「…っ、はい…すみませ、っぅ、」

涙声と外したタオルの下、綺麗な明るい瞳に涙あふれ零れる。
大切な友達の涙に驚いて周太は問いかけた。

「どうしたの、美代さん?何かあったの、また英二に何か言われたの?」
「ううん、そうじゃないの、違うのっ…」

涙のまま美代は笑って新しいおしぼりを広げた。
ぱっと顔に当て涙を拭うと、ほっと息吐いて綺麗な瞳は笑ってくれた。

「あのね、さっきの詩を思い出しちゃったの。私ああいうのって弱いから、想い出し泣きしちゃう、」

泣笑いの言葉にほら、自分の心ごと父の記憶が温められる。
こんなふうに想い出し泣きするほど美代はキャンパスでも泣いた、その実直な真心に周太は微笑んだ。

「ありがとう、そういうの嬉しいよ…きっと父も、」
「そんなふう言われると、なんか照れちゃうね?」

気恥ずかしげに笑って美代はおしぼりで顔隠しこんだ。
そんな容子はなんだか可愛くて、こちらこそ照れたくなる隣から賢弥が笑った。

「俺も想い出し泣きするな、ちょっとあの詩は反則だよ、田嶋先生ハマり過ぎだって、」
「ん、そうだね…俺もちょっと驚いたんだ、」

正直な想い微笑んで周太はおしぼりを一つ折った。
ゆっくり折り畳みながら両隣の友達に笑いかけて、記憶に口を開いた。

「あの詩ね、父が好きな詩なんだ…小さい頃に読んでくれたの、夏の朝に家の庭のベンチに座って、夏が好きだって話してね、
シェイクスピアが恋愛より深い気持の人に宛てた、手紙みたいな詩だって教えてくれたよ?大切な人に真心を贈るラヴレターの詩だって、」

懐かしい夏の声をなぞりながら父の想いを辿っている。
あのとき父が言っていた言葉の続き、それが叶った今日に周太は微笑んだ。

「でね、きっと父はね…あの詩に田嶋先生のこと想ってたと思うんだ、」
「あの田嶋先生を、あの詩に?」

すこし驚いたよう闊達な声が訊いてくれる。
その驚きにも納得しながら周太は父の言葉と笑いかけた。

「ん、あの詩を読んだ後にね、家族以外にも手紙を贈りたい大切なひとがいるって父は言ったんだ…それで、どんな人か訊いたらね?
夏みたいな人だって言ったんだ、うんと明るくて情熱的でね、風みたいに優しくて清々しい大らかな山の男だって…田嶋先生ぽいよね?」

あのとき父が夏に喩えた人、あの俤そのままの人を想うと愉しくなる。
今日も相変わらず無頓着な恰好だった学者で山ヤの男、その顔を想い笑った隣で友達も笑ってくれた。

「だな?田嶋先生って暑苦しいトコあるし、自由人で突拍子無い俺様なのって風みたいでさ、あの髪なんか台風ぶつかったみたいだよな?」

台風にぶつかったみたい、そんな形容が似つかわしくて笑ってしまう。
可笑しくて笑いながら周太は率直な気持ごと頷いた。

「ん、そんな感じだね…でも俺、ああいう先生が好きだよ?」
「俺も田嶋教授って好きだよ、仏語はさんざんだったけどな、」

愛嬌の笑顔ほころばせ賢弥も笑ってくれる。
その明るい愉快へと可愛い声も笑いだした。

「田嶋先生ってそんな感じなのね?そういう方って好き、私もお会いしてみたいな、」

逆隣りから美代も一緒に笑ってくれる。
その言葉に周太越し賢弥は友達を見て可笑しそうに教えてくれた。

「じゃあさ、小嶌さん入学したら仏語をとってあげなよ?きっと小嶌さんは田嶋先生のストライクだから、」
「あら、じゃあシッカリ教わってフランス語が得意になれるかも?そうしたら私も、お祖父さまのご本が読めるね?」

愉しそうに笑ってくれる瞳は聡明なまま綺麗に明るい。
こんな瞳の女の子なら田嶋教授じゃなくても学者なら「ストライク」だろう?
そう想った心に学者だった祖父と祖母の出逢いが映りこんで、ふっと仮定の思案が呟いた。

―もし英二と出逢う前に美代さんと会っていたら、今、違う気持ちだったのかな、

いま初めて想った仮定は、不思議でなんだか温かい。
その温もりに微笑んだ前へ熱い丼が据えられて、野太い声が笑いかけてくれた。

「はい、いつものですよ、」
「ありがとうございます、」

いつもの、そう言われることが嬉しい。
嬉しい気持ちに笑いかけた周太に温かい笑顔は訊いてくれた。

「今ちょっと聴こえちゃったんですけどね、兄さんのお祖父さんって本を書くような人なんですかい?」

問いかけられて、ふわり心が温かくなる。
すこし前まで祖父の事を聴かれても何ひとつ答えられなかった、それが本当は寂しかった。
自分の家族の事を何も語れない、そんな寂しさが今は過去になった幸せに周太は笑いかけた。

「はい、祖父は大学の先生だったんです…そこに僕も通っていて、ふたりは大学の友達なんです、」
「じゃあ、もしかして青木先生のトコだね?あのとき公開講座ってのに誘われなさった、」

すぐ気が付いて笑ってくれる、その笑顔に嬉しくなる。
冬の夕方のことを店主も覚えてくれていた、それが嬉しく頷いた隣から賢弥が訊いてくれた。

「もしかして周太、ここって青木先生が大好きだって通ってる店?」
「ん、そう…」

頷きながら恩師との出会いが懐かしい。
最初に出会ったのはこの街の交番だった、それを言うことは出来ない。
けれど2度めの出会いなら話せる、あのとき嬉しかった想いごと周太は口を開いた。

「ここで俺、先生から公開講座の申込書と本を戴いたんだ…それで美代さんを誘って講座に行ってね、聴講生にならせて貰えたの、」
「そうだったんだ、じゃあココは周太の記念すべき店なんだな、」

さらり笑ってくれる明朗な言葉に、心が静かなまま響く。
この店で自分は青木樹医と出会い学ぶ道が繋がった、この店を守る人は父が遺してくれた人。
こんなふうに父が自分を樹医の道へ戻してくれる、その感謝ごと笑って頷いた前で笑顔ほころんだ。

「そうかい、兄さんは東大の学生さんになったんだね、その方が似合いますよ?さっき店に入ってくる時も思いやしたがね、」

その方が似合う、そう言われて素直に嬉しい。
前の自分は「警察官」であることに拘って素直に聴けなかった、けれど今は「学生さん」が似合うことが嬉しい。
そう想える今に辿りつけたのは今までの全てのお蔭、そのなかで一番に想ってしまう俤の記憶に店主が笑いかけた。

「あの兄さんも元気ですかい?」

訊かれて、とくんと鼓動が弾んで気恥ずかしくなる。
いま友達二人と並んでいながら恋人を考えてしまう、そんな自分に困りながらも周太は微笑んだ。

「はい、元気です…また一緒に来させてもらいますね、」
「お、そりゃ嬉しいねえ、あの笑顔に久しぶりに会えたら嬉しいですよ、」

朗らかに笑ってくれる野太い声は、前よりもまた明るくなった。
どうかこの笑顔には明るく温かく生きていてほしい、そんな願いにまたそっと、この覚悟も勇気も温まる。








【引用詩文:William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet18」】

(to be continued)

blogramランキング参加中!

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする