萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第68話 玄明act.1-side story「陽はまた昇る」

2013-08-25 21:57:20 | 陽はまた昇るside story
望、闇冥の先に 



第68話 玄明act.1-side story「陽はまた昇る」

5時46分、隠した足音に階段の数が減ってゆく。

昇ってゆく先から鉄の扉は近くなる、そして把手を掌が握りこむ。
がちり、金属音が鳴って開かれた屋上に踏みだして東方に脚向かう。
そして掴んだ鉄柵の向こう遥か先、列車は明るんでゆく涯に走り去る。

「周太、」

呼びかけた声はもう、あのひとの列車に追いつけない。
薄明に走る車両の窓ひとつに周太は座っている、その姿も見えない。
たった30分前は同じ部屋に居た、5分前はエントランスで話した、けれど今は列車の速度に遠ざかる。

「っ、は…」

呼吸ひとつ吐きだして、瞳の熱を抑えこむ。
いま泣いている暇など一瞬も無い、今ここから見える限り見送りたい。
そんな願いの先で列車は暁光きらめきカーブする、その最後尾も消えた鉄柵を掴んだまま膝崩れた。

Special Assault Team 警視庁特殊急襲部隊

通称SATの入隊テストに周太は行ってしまった。
表向きは交番勤務の協力派遣となっている、けれど本当の行先は違う。
今日から2週間、周太は第七機動隊舎では無い場所の隠された現実に立ち続ける。
その現実はエリートコースとも言われるだろう、けれど幸福だなんて台詞は呵責なく言えない。

『合法殺人者』

もし周太がこのままSAT入隊すれば、間違いなく法的殺人に就かされる。
射撃大会2連覇の実績が周太を狙撃チームに連れてゆく、そして日々は殺人訓練に潰される。
それは救助目的の殺人かもしれない、けれど誰かを救うためでも殺した罪と哀痛に苦悩の虜囚へ堕ちる。

「…そうでしょう、晉さん?あなたも同じだった、馨さんと…」

独り膝つくコンクリートに、雫ひとつ砕けて染みる。
馨がSAT狙撃要員だったように晉も戦時下、狙撃者として軍務に就いていた。
そして戦後に犯してしまった報復殺人は家族を護るためだった、それでも晉は苦悩に沈んだ。

『 La chronique de la maison 』

あの小説に記録した過去は晉の懺悔と誇りと、果てない苦悩の傷。
法に護られた殺人任務と同じように隠匿された報復殺人は、永遠に贖罪のチャンスは訪れない。
そんな絶望があったからこそ晉は33年前あの日、親友だった男の凶弾を受容れる死をも選んだ。
そんなふうに想えて、そんな過去の現実たちがあるからこそ本当は今朝、周太を止めたかった。

行かないで、俺の傍にいて?

そう言いたかった、引留めて攫ってしまいたかった。
父や祖父と同じ苦悩の虜囚にさせたくない、あの優しい手も心も綺麗なままでいてほしい。
そう願うまま辞めさせたかった、その最後かもしれないチャンスの瞬間だった数分前の言葉が鼓動に刺さる。

「祖父がくれた宿題を見つけに行ってくるね?プレゼントは全部、ちゃんと受けとりたいから、」

“Je te donne la recherche”探し物を君に贈る

それが晉から息子の馨に贈ったメッセージだった、この伝言を周太は受けとめている。
それが周太の言葉と眼差しに定まっていた、だから何も言えないまま引留められない。
そして解ってしまった、きっと周太はもう過去の現実と核心をほとんど気づいている。

「…それでも周太、あんなに綺麗に微笑めるんだ…」

数分前の笑顔の記憶に微笑んで、コンクリートに雫またひとつ墜ちて染みる。
あの笑顔をずっと見ていたい、そう願うから自分が救いたかった、だから今も援ける道を選びたい。
あの笑顔も優しい掌も綺麗なまま帰って来てくれる、その希望を捨てたくなくて英二は立ち上がった。

独り立って仰ぐ空は薄墨色の雲に昏い、けれど東の涯には青いろ明るく澄みわたる。
あの方角へ列車は走って行った、その先には探し物が周太を護ってくれる。
そう信じて、滲んだ視界を指に払い拭うと英二は綺麗に笑った。

「立派な男なら、自分の意志を貫くことが本望だ、」

敬愛する山ヤの言葉と笑った空は、曇天でも涯は晴れ。




かちり、

密やかな開錠音に把手を回して、ゆっくり開く扉を注視する。
見つめる先に張られてゆく細い繊維に指を伸ばし、壊さぬよう取り外す。
乾いた音に扉を閉じて独り、佇んだ無人の空間はオレンジの香かすかに甘い。

「…香だけ残して、」

ぽつん、ひとり呟いた言葉の部屋はやけに広い。
寝具の畳まれたベッド、紙一枚も無いデスクと書架、塵の無い床。
そっと開いたクロゼットはハンガーだけが掛かる、ただ見つめる空白に英二は微笑んだ。

「ちゃんと掃除していくなんて、周太らしいな…周太?」

たった30分前まで住人だった笑顔が、もう懐かしい。
掃除も料理も庭仕事も巧みな周太、その手仕事はいつも丁寧で温かい。
あの優しい掌が残していった空気は寮の一室にも温かで、温もりの真中に座りこんだ。

…ぎしっ、

かすかに鳴って沈みこむスプリング、ふっと香が頬撫でる。
ふれた香に優しい掌ふれる記憶を追ってしまう、そんな想いに昨夜が映る。

―初めて来てくれたな、周太から…嬉しかった、

昨夜、初めて周太から部屋に訪ねてくれた。
第七機動隊に異動してから一週間になる昨夜、響いたノックは遠慮がちに優しかった。

『英二、あの…おじゃましてもいい?』

開いた扉に黒目がちの瞳は微笑んで、ただ愛しかった。
ただ愛しくて嬉しくて、迎え入れて扉に鍵掛けて抱きしめた。
そのままベッドに惹きこんだ時間の始まりに、穏やかな声は微笑んだ。

『お願い英二、明日は6時半に出るから5時半に起こして?…俺ちゃんと起きられないかもしれないから、』

起きられなくなることを始めてしまう、その幸福だけ見つめて気づけなかった。
あのとき告げてくれた時間は優しい嘘、嘘を吐いてくれた想い気づけぬまま甘えたのは自分。
そして昨夜、初めて自室を訪ねてくれた想いと理由は今、座っている部屋の空白に思い知らされる。

もう、ここに周太は戻れない。

「覚悟してたからだったんだね、周太…」

問いかけたい想い唇こぼれて、けれどもう届かない。
それでも届けたい想いのまま、遺された温もりに微笑んだ。

「昨夜を許してくれたのは覚悟してたからだろ、周太?…なにもかも解かってるから、もうこのま…っ」

もうこのまま帰って来れないと解っているから、昨夜一夜を俺にくれたんだろ?

そう訊きたかった、追いかけたエントランスで訊いて、周太の想い確かめたかった。
自分にくれる想いをもう一度だけ聴きたかった、そして再会と未来の約束をしてほしかった。
けれど何も言えずに見送ったのは、きっと自分の方が臆病になっていたからだと今、部屋を見て解かる。

「周太の方が俺よりずっと男らしいな…ほんとにそう想うよ、周太?」

塵ひとつ遺さずに行ってしまった、そんな背中は凛と端正に微笑んでいた。
だからもう引留めたりしない、もう信じると決めた、周太の意志を自分も信じる。
そのために自分が出来ることをすればいい、そんな願い微笑んで英二はベッドから立った。

その足もと照らしてくれる光の先、カーテン開かれたままの窓から朝はオレンジの香明るんで、一日が始まる。






(to be continued)

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