異郷の故国
第84話 静穏 act.13-another,side story「陽はまた昇る」
開いた扉、白皙の顔ひとつランプに浮ぶ。
ダークブラウンの髪ゆるやかにオレンジ光る、その肩なめらかにベルベッド深い。
上品な深紅まとう端正たたずんだ瞳へ周太は問いかけた。
「おばあさま、祖父がフランスにいた時のこと話してくれませんか?」
このこと確かめたい、どうしても。
願い見つめる真中で濃やかな睫ゆっくり瞬いた。
「まあ…周太くん、それを考えて夜更かしなのかしら?」
驚きながらも尋ねてくれる。
廊下あわいランプの下、どうしても聴きたくて応えた。
「はい、どうしても気になるんです。おばあさま今すぐ話してくれませんか?」
「そう、でも周太くんは肺炎にもなりかかったのよ?今夜はおやすみなさいな、まだ夜更かしはダメよ?」
たしなめてくれる低いアルトは優しい。
それでも譲れなくて見つめる前、優しい声は続けた。
「若いから回復力が助けてくれたのね、でも気管支が弱いことを忘れてはダメよ?発作も今は治まってるけど油断したら大変、また熱も出るわよ?」
寝かしつけよう、その気遣いは眼ざしに声に優しい。
だからこそ今のうち確かめたくて切長い瞳へ問いかけた。
「じゃあ15分だけ、15分だけ聴かせてくれませんか?」
今ここで聴いておきたい、だって今ならまだ話してくれる。
願い見つめる真中で父そっくりの瞳そっと微笑んだ。
「その言いかた斗貴子さんそっくり、困ったわね、」
ガウンやわらかな衣擦れが扉くぐる。
かたん、扉を閉じて皺も美しい微笑は言った。
「ほんとうに15分だけよ?周太くんはベッドに入って聴くのが条件ね、」
話してくれる、
その意思表示に優雅なしぐさ安楽椅子に座ってくれる。
ランプやわらかな灯の下、向かいのベッドに腰掛け訊いた。
「祖父はフランスにも友達がいましたよね?その方のこと聴きたくて…僕も会いたいんです、」
会いたい、それは本当だ。
けれど現実はもう解かっている、その核心に大叔母は言った。
「何人もいたわよ?いちばん親しい方は亡くなられてるけどね、お元気な方もいると思うわ。あちらにも教え子さんいるし、」
ほら、やっぱりそうだ。
「…、」
溜息そっと呑みこんで確信に変わる。
けれど大叔母は気づいていない、五十年の証言者に問いかけた。
「亡くなられたんですか…いつごろですか?」
「晉さんが亡くなった年よ、パリ大学の先生でしたし田嶋さんのほうがよく知ってると思うわ、晉さんが亡くなられた時のこともね?」
なにげなく答えてくれる言葉に鼓動が軋む。
このこと、あの文学者も気づいているのだろうか?
―やっぱりそうかもしれない…お祖父さんもあのひとが、
あのひと、あの男は、観碕は祖父のことも?
そんな疑いずっと廻っている。
だって自分はあの場所にいて父の真相を知ってしまった。
そして今さっきも曾祖父の死を聴いた、それなら祖父も「同じ」だと考えて嵌る。
「おばあさま、その方と会ったことはありますか?」
考え問いかけながら掌が熱い。
パジャマの膝そっとつかんだ前、父そっくりの瞳は微笑んだ。
「あるわ、川崎のお家にも泊りでいらしたのよ?斗貴子さんと一緒にケーキ作っておもてなししたわ、」
切長い瞳やわらかにランプ燈る、その光きらきら明るくはずむ。
きっと楽しい思い出がある、そんな眼ざし華やかに口開いた。
「ウェーブがきれいな深い茶色の髪と緑の眼がすてきでね、とても紳士でお話も楽しくて、斗貴子さんと二人ファンクラブだったわよ?」
今なんて言ったんだろう?
―なんだかすごく意外な言葉が出てきたよね?
この大叔母と祖母で「二人なんとか」だった、なんて聴き間違いだろうか?
つい首かしげた灯の下、涼やかな瞳きらきら笑った。
「ふふっ、周太くん今ファンクラブって言葉にひっかかたのでしょ?こんなオバアサンが何をって想わせたかしら、」
ほら図星また見抜かれる。
いつもながら気恥ずかしくて、首すじ熱くなりながら答えた。
「あの、そうじゃなくて…おばあさまと祖母がそういうの意外で、ふたりとも上品なお嬢さまって想ってたから…」
「私はともかく斗貴子さんはそうね、でも若い娘なんてそんなものよ?」
低いアルト朗らかに笑ってくれる。
こういう想い出話は自分も楽しい、もっと聴きたくなるけれど尋ねた。
「その方、お名前なんておっしゃるんですか?…お孫さんとかいらしたらお会いしてみたくて、」
会ってみたい、でも何を言えばいいのだろう?
ただ素直な想いと不安ないまぜになる、それでも声にしてしまった。
ひとり抱きしめる感情と推定の前、優雅なガウン姿は教えてくれた。
「デュランさんってお名前よ、晉さんはジェラールって呼んでいたわ、」
その名前、見憶えがある?
―そうだ研究室、片づけのお手伝いしたとき、
祖父が遺した研究室、あの部屋で名前を見た。
読めばヒントの欠片あるだろうか?考え気がついて問いかけた。
「あの、デュラン先生から祖父に本を贈られたことありましたよね?」
無いはずない、だって「いちばん」ならきっとそうだ。
そう見つめるまま白皙の笑顔は肯いた。
「何度もあったわよ?晉さんとはパリ大学の同級生でライバルでね、だからお互い本を出すたびに贈りっこしてたみたい、」
何度も、お互いに、それなのにどうして?
―やっぱり変だ、ね、
変だ、そして推測は現実へ顕わしてゆく。
ほんとうは信じたくない、それでも向きあいたくて尋ねた。
「祖父は嬉しかったでしょうね、デュラン先生の本…どこか特別にしまったりしていましたか?」
そうだ、と言ってほしい。
もしYesなら推測は可能性が低くなる、でもNoだとしたら?
ランプうす明かりに想い隠しこんだベッド、低く美しい声は答えた。
「もちろん特別にしてたわよ、書斎の硝子戸つきの本棚にしまってたもの?」
Yes、だけどこれはNoだ。
「…、」
やっぱりそうだ『Le Fantôme de l'Opéra』と同じだ?
その事実こくり飲くだして喉ひきつれる、それでも微笑んだベッドに優しい声は笑った。
「その本箱そのために特別にあつらえたのよ、いっぱいになるほど彼が素晴らしい研究するからって。ジェラール文庫って斗貴子さんも呼んでたわ、」
低いアルトは朗らかに笑ってくれる、その語られる時間は温かい。
温かで楽しくて幸せだったとわかってしまう、その分だけ鼓動から絞められて痛い。
どうして?どうしてそんなに大切だったのに、なぜ?
「その本箱、そういえば空になってたわね?馨くんが大学に寄贈したのかしら、」
ほら笑顔が問いかける、ただ幸せを懐かしんで訊いてくれる。
そのままに抱いていてほしくて笑いかけた。
「はい、大学の図書館と研究室にあります…田嶋先生が大事にしてくれていて、」
多分そういうことだ、だから「書斎」から消えてしまった。
確信に変わってゆく痛みへ優しい声が笑いかけた。
「田嶋くんなら安心ね、晉さんと馨くんのこと大事な人だもの。周太くんにも早く学校おいでって、大学院のこと話したいそうよ?」
伝言と父そっくりの瞳きれいに笑ってくれる。
この笑顔どうか壊したくない、ただ願うまま白い手そっと額ふれた。
「周太くん?すこし熱でてきたんじゃないかしら、もう休みなさいな、」
そうかもしれない、なんだぼうっとする。
それとも「知った」興奮のせいだろうか?想い隠したまま微笑んだ。
「はい、おやすみなさいおばあさま…明日また続き話して?」
「話しますよ、だから早く元気になって?田嶋先生も青木先生も大学でお待ちかねよ、」
白皙うつくしい笑顔ほころばせて白い手が布団かけてくれる。
とん、やさしい掌そっとブランケット押えて父そっくりの瞳が笑ってくれた。
「おやすみなさい周太くん、良い夢をみてね?」
かたん、
扉しずかに閉じられて静寂ふわり降りてくる。
ひとりの部屋しずかにランプ燈す、その光きらめくフレームが目に映る。
ペンだけの繊細なラインは建造物を描きだす、きっと大きいだろう姿を見つめて声こぼれた。
「おじいさん…どうして?」
どうして、祖父までが?
どうして父は死んだのか、その答は祖父にある。
その祖父が死んだのは遠い異国の地、そこにあったはずの祖父の時間。
きっと幸せだった時間たち、それなのに消えてしまった命の続きはどこを探せばいい?
「っ、こほっ…ぅ」
想い咳きこんで布団もぐりこむ。
頬やわらかなシーツふれてブランケットくるまれる、やさしい温もり感触ほどかれる。
頬ふれるコットンしずかに温まり濡れて、そうして墜ちてゆく眠りの時間はただ深い。
夜明、周太は高熱にしずんだ。
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】
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周太24歳3月
第84話 静穏 act.13-another,side story「陽はまた昇る」
開いた扉、白皙の顔ひとつランプに浮ぶ。
ダークブラウンの髪ゆるやかにオレンジ光る、その肩なめらかにベルベッド深い。
上品な深紅まとう端正たたずんだ瞳へ周太は問いかけた。
「おばあさま、祖父がフランスにいた時のこと話してくれませんか?」
このこと確かめたい、どうしても。
願い見つめる真中で濃やかな睫ゆっくり瞬いた。
「まあ…周太くん、それを考えて夜更かしなのかしら?」
驚きながらも尋ねてくれる。
廊下あわいランプの下、どうしても聴きたくて応えた。
「はい、どうしても気になるんです。おばあさま今すぐ話してくれませんか?」
「そう、でも周太くんは肺炎にもなりかかったのよ?今夜はおやすみなさいな、まだ夜更かしはダメよ?」
たしなめてくれる低いアルトは優しい。
それでも譲れなくて見つめる前、優しい声は続けた。
「若いから回復力が助けてくれたのね、でも気管支が弱いことを忘れてはダメよ?発作も今は治まってるけど油断したら大変、また熱も出るわよ?」
寝かしつけよう、その気遣いは眼ざしに声に優しい。
だからこそ今のうち確かめたくて切長い瞳へ問いかけた。
「じゃあ15分だけ、15分だけ聴かせてくれませんか?」
今ここで聴いておきたい、だって今ならまだ話してくれる。
願い見つめる真中で父そっくりの瞳そっと微笑んだ。
「その言いかた斗貴子さんそっくり、困ったわね、」
ガウンやわらかな衣擦れが扉くぐる。
かたん、扉を閉じて皺も美しい微笑は言った。
「ほんとうに15分だけよ?周太くんはベッドに入って聴くのが条件ね、」
話してくれる、
その意思表示に優雅なしぐさ安楽椅子に座ってくれる。
ランプやわらかな灯の下、向かいのベッドに腰掛け訊いた。
「祖父はフランスにも友達がいましたよね?その方のこと聴きたくて…僕も会いたいんです、」
会いたい、それは本当だ。
けれど現実はもう解かっている、その核心に大叔母は言った。
「何人もいたわよ?いちばん親しい方は亡くなられてるけどね、お元気な方もいると思うわ。あちらにも教え子さんいるし、」
ほら、やっぱりそうだ。
「…、」
溜息そっと呑みこんで確信に変わる。
けれど大叔母は気づいていない、五十年の証言者に問いかけた。
「亡くなられたんですか…いつごろですか?」
「晉さんが亡くなった年よ、パリ大学の先生でしたし田嶋さんのほうがよく知ってると思うわ、晉さんが亡くなられた時のこともね?」
なにげなく答えてくれる言葉に鼓動が軋む。
このこと、あの文学者も気づいているのだろうか?
―やっぱりそうかもしれない…お祖父さんもあのひとが、
あのひと、あの男は、観碕は祖父のことも?
そんな疑いずっと廻っている。
だって自分はあの場所にいて父の真相を知ってしまった。
そして今さっきも曾祖父の死を聴いた、それなら祖父も「同じ」だと考えて嵌る。
「おばあさま、その方と会ったことはありますか?」
考え問いかけながら掌が熱い。
パジャマの膝そっとつかんだ前、父そっくりの瞳は微笑んだ。
「あるわ、川崎のお家にも泊りでいらしたのよ?斗貴子さんと一緒にケーキ作っておもてなししたわ、」
切長い瞳やわらかにランプ燈る、その光きらきら明るくはずむ。
きっと楽しい思い出がある、そんな眼ざし華やかに口開いた。
「ウェーブがきれいな深い茶色の髪と緑の眼がすてきでね、とても紳士でお話も楽しくて、斗貴子さんと二人ファンクラブだったわよ?」
今なんて言ったんだろう?
―なんだかすごく意外な言葉が出てきたよね?
この大叔母と祖母で「二人なんとか」だった、なんて聴き間違いだろうか?
つい首かしげた灯の下、涼やかな瞳きらきら笑った。
「ふふっ、周太くん今ファンクラブって言葉にひっかかたのでしょ?こんなオバアサンが何をって想わせたかしら、」
ほら図星また見抜かれる。
いつもながら気恥ずかしくて、首すじ熱くなりながら答えた。
「あの、そうじゃなくて…おばあさまと祖母がそういうの意外で、ふたりとも上品なお嬢さまって想ってたから…」
「私はともかく斗貴子さんはそうね、でも若い娘なんてそんなものよ?」
低いアルト朗らかに笑ってくれる。
こういう想い出話は自分も楽しい、もっと聴きたくなるけれど尋ねた。
「その方、お名前なんておっしゃるんですか?…お孫さんとかいらしたらお会いしてみたくて、」
会ってみたい、でも何を言えばいいのだろう?
ただ素直な想いと不安ないまぜになる、それでも声にしてしまった。
ひとり抱きしめる感情と推定の前、優雅なガウン姿は教えてくれた。
「デュランさんってお名前よ、晉さんはジェラールって呼んでいたわ、」
その名前、見憶えがある?
―そうだ研究室、片づけのお手伝いしたとき、
祖父が遺した研究室、あの部屋で名前を見た。
読めばヒントの欠片あるだろうか?考え気がついて問いかけた。
「あの、デュラン先生から祖父に本を贈られたことありましたよね?」
無いはずない、だって「いちばん」ならきっとそうだ。
そう見つめるまま白皙の笑顔は肯いた。
「何度もあったわよ?晉さんとはパリ大学の同級生でライバルでね、だからお互い本を出すたびに贈りっこしてたみたい、」
何度も、お互いに、それなのにどうして?
―やっぱり変だ、ね、
変だ、そして推測は現実へ顕わしてゆく。
ほんとうは信じたくない、それでも向きあいたくて尋ねた。
「祖父は嬉しかったでしょうね、デュラン先生の本…どこか特別にしまったりしていましたか?」
そうだ、と言ってほしい。
もしYesなら推測は可能性が低くなる、でもNoだとしたら?
ランプうす明かりに想い隠しこんだベッド、低く美しい声は答えた。
「もちろん特別にしてたわよ、書斎の硝子戸つきの本棚にしまってたもの?」
Yes、だけどこれはNoだ。
「…、」
やっぱりそうだ『Le Fantôme de l'Opéra』と同じだ?
その事実こくり飲くだして喉ひきつれる、それでも微笑んだベッドに優しい声は笑った。
「その本箱そのために特別にあつらえたのよ、いっぱいになるほど彼が素晴らしい研究するからって。ジェラール文庫って斗貴子さんも呼んでたわ、」
低いアルトは朗らかに笑ってくれる、その語られる時間は温かい。
温かで楽しくて幸せだったとわかってしまう、その分だけ鼓動から絞められて痛い。
どうして?どうしてそんなに大切だったのに、なぜ?
「その本箱、そういえば空になってたわね?馨くんが大学に寄贈したのかしら、」
ほら笑顔が問いかける、ただ幸せを懐かしんで訊いてくれる。
そのままに抱いていてほしくて笑いかけた。
「はい、大学の図書館と研究室にあります…田嶋先生が大事にしてくれていて、」
多分そういうことだ、だから「書斎」から消えてしまった。
確信に変わってゆく痛みへ優しい声が笑いかけた。
「田嶋くんなら安心ね、晉さんと馨くんのこと大事な人だもの。周太くんにも早く学校おいでって、大学院のこと話したいそうよ?」
伝言と父そっくりの瞳きれいに笑ってくれる。
この笑顔どうか壊したくない、ただ願うまま白い手そっと額ふれた。
「周太くん?すこし熱でてきたんじゃないかしら、もう休みなさいな、」
そうかもしれない、なんだぼうっとする。
それとも「知った」興奮のせいだろうか?想い隠したまま微笑んだ。
「はい、おやすみなさいおばあさま…明日また続き話して?」
「話しますよ、だから早く元気になって?田嶋先生も青木先生も大学でお待ちかねよ、」
白皙うつくしい笑顔ほころばせて白い手が布団かけてくれる。
とん、やさしい掌そっとブランケット押えて父そっくりの瞳が笑ってくれた。
「おやすみなさい周太くん、良い夢をみてね?」
かたん、
扉しずかに閉じられて静寂ふわり降りてくる。
ひとりの部屋しずかにランプ燈す、その光きらめくフレームが目に映る。
ペンだけの繊細なラインは建造物を描きだす、きっと大きいだろう姿を見つめて声こぼれた。
「おじいさん…どうして?」
どうして、祖父までが?
どうして父は死んだのか、その答は祖父にある。
その祖父が死んだのは遠い異国の地、そこにあったはずの祖父の時間。
きっと幸せだった時間たち、それなのに消えてしまった命の続きはどこを探せばいい?
「っ、こほっ…ぅ」
想い咳きこんで布団もぐりこむ。
頬やわらかなシーツふれてブランケットくるまれる、やさしい温もり感触ほどかれる。
頬ふれるコットンしずかに温まり濡れて、そうして墜ちてゆく眠りの時間はただ深い。
夜明、周太は高熱にしずんだ。
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】
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