萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第44話 峰桜act.5―side story「陽はまた昇る」

2012-06-01 23:58:24 | 陽はまた昇るside story
CHLORIS、風の恋人に想いよせて



第44話 峰桜act.5―side story「陽はまた昇る」

雪上訓練を終えて、15時に佐藤小屋へと入った。
扉開けると温かな空気が頬撫でて、懐かしい笑顔が迎えてくれる。
どこか寛ぐ想いで笑いかけた英二に、小屋の主人は微笑んだ。

「やあ、逞しくなったな?良い顔だ、すっかり山ヤの顔だな、」

がっしりと山男らしい主人の笑顔が温かい。
ここに初めて来て以来3ヶ月半になる、あのときが英二の初めて標高2,000mを超えた厳冬期登山だった。
この主人に褒めて貰えることが嬉しい、素直な想いに英二はきれいに笑った。

「ありがとうございます、また今夜はお世話になります、」
「相変わらず、きれいな良い笑顔だな、君は。ゆっくりしていってくれ、」

うれしそうに笑いながら、部屋の鍵を出してきてくれる。
すぐに戻って国村に手渡しながら、温かい笑顔で言ってくれた。

「今夜は他に客がいないんだ、君たちで貸切なんだよ。だからな、スタッフ用で良かったら風呂もご馳走するよ。富士の雪の湯だ、」
「それ、最高のご馳走ですね。是非お願いしたいです、」

底抜けに明るい目が嬉しそうに笑った。
風呂好き温泉好きの国村からしたら、本当に言葉通りだろうな?
そう見ている先で、主人が奥からタオルを出してきてくれた。

「ハンドタオルだけで悪いが、使ってくれ。1時間後には入れるようにしておくよ、」
「ありがとうございます、でも、申し訳ないですね?すみません、」

タオルを受けとりながら英二は、さすがに遠慮がちに微笑んだ。
本来こうした山小屋は風呂なしが普通で、こんなにしてもらうのは申し訳ない。
そんな思いに謝った英二に、主人は気さくに笑ってくれた。

「そんな遠慮はしないでほしい、君たちは俺を助けてくれた恩人なんだから。あのとき、もし俺だけだったら、厳しかったろうよ」

恩人、そんなふうに言われると恐縮してしまう。
ここに前に泊まった翌朝、遭難救助要請を受けた主人に先発して、英二と国村は救助へ向かった。
あの日は吹雪で表層雪崩の危険が高かった、そして懸念通りに大崩落が発生し、国村は巻き込まれてしまった。
それでも要救助者も国村も無事だった。あのときの緊張と喜び懐かしんで英二は微笑んだ。

「山ヤで救助隊ですから、俺たち。当たり前のこと、しただけです、」
「そうだよ、おやじさん?」

英二の言葉に底抜けに明るい目が温かに笑んだ。
けれど温かに笑んだ目のままで、続く言葉に唇の端が上げられた。

「おやじさんは、なんも悪くないね。問題あるのはさ、アノ学生でしょ?アノ身の程知らず君。ねえ?」

よく透るテノールが3か月半前の記憶に苛っとした。
その声に誘われるよう、奥から遠慮がちな笑顔が覗きこんだ。

「あの、1月は本当に、すみませんでした、」

声に振向くとエプロン姿の男が恐縮して佇んでいる。
その声の主に国村は白い指さして、呆れ半分で笑いだした。

「へえ?なんでアンタが、こんな時期に、こんなとこいるわけ?」
「はい。おやじさんにお願いして、バイトに雇ってもらったんです、」

すこし国村に怯えるよう答えてくれる。
そんな2人を見比べながら、小屋の主人は教えてくれた。

「近くの大学の学生さんなんだよ。ここでバイトしながら登山を学びたい、って言われてな。ちょうど人手も欲しかったんだ、」
「そうでしたか。おやじさんと、ここで仕事していたら、立派な山ヤになれるでしょうね、」

思ったままを口にして英二は微笑んだ。
冬期の富士では唯一この山小屋だけが開業するから、ここにいれば冬富士登頂の実力を備えた山ヤに会う機会に恵まれやすい。
あのとき「勉強します」と言った通りに彼は学んでいる、そんな姿勢が嬉しい。
よかったな。そう見ている先で国村は、容赦なく学生を突きはじめた。

「ふうん?マサカあんた、登頂なんてしちゃいないだろね?」
「はい、まだまだ無理です。おやじさんと7合目までは、行きましたけど、」
「だろね、ひとりではまだ出来ないよねえ?で、天気図の読み方くらい出来るようになった?」
「いつも自分で描いて、チェックしていただいています…まだ、下手くそですけど、」

ガツンと厳しい登山講習会が始まりそうだな?
そんな感想が可笑しくて心裡笑いながら、英二は学生の遭難救助のため微笑んだ。

「国村?そろそろ部屋、行きたいな。昨夜は3時間しか寝てないし、」
「あ、ごめんね、」

すぐ振向いて、からり笑うと国村は簡単に学生を解放した。

「お待たせしちゃって悪いね、宮田?おやじさん、お世話になりますね。アンタ、また、後でな?」

まだ「また後で」があるんだ?

内心こぼれた言葉の向う、学生がすこしだけ怯えたよう肩竦めている。
きっと夕食時が「また後で」になるのだろう、あんまり酷い暴風雨にならないといいな?
そんなことを想いながら英二は、機嫌良い背中を見ながら廊下を歩いていった。
すぐ部屋に着いて、ザックを降ろしアウターシェルを脱いでいく。
ほっと一息つきながらテルモスを取りだすと、残りの紅茶を英二は飲んだ。

「おまえ、先に風呂入ってイイよ?俺、写真ちょっと見たいからさ、」

カメラを出して国村が勧めてくれる。
いま白い手が持つデジタル一眼レフはレンズだけ年季が違う、そのことに英二はふっと微笑んだ。

「ありがと、時間になったら行くよ。なあ国村?お父さんとも、冬富士に来た?」
「うん、来たよ、」

答えながら、雪白の顔をこちらに向けてくれる。
底抜けに明るい目が英二を見て、やわらかに微笑んだ。

「小6の冬にね、雪上訓練しよう、って連れて来てくれたんだ。で、そのまま登頂しちゃったんだよね、」

12歳で冬富士に?
さすがに驚いて英二は訊き返した。

「小6で、冬富士に登ったのか?」
「そうだよ。天気が良い日でね、オヤジが天辺で写真撮りたい、って言うから付いていったんだ、」
「よく、お父さん連れて行ったな?」

驚いたまま英二は友人の顔を見た。
けれど国村は何ともない顔で、飄々と微笑んだ。

「北岳や穂高とかに馴れた後だったしね。ま、ショートロープはして行ったけど、」
「小6で、北岳とかに馴れていたのか?」
「うん、おやじのペースで登っていたからさ。そんな感じだったね、」

国村の父親は兼業農家の山岳カメラマンで、国内ファイナリストにも数えられるクライマーだった。
そんなハイレベルなクライミングに小学生の息子を連れていくのは、普通は躊躇するだろう。
この息子の父親らしい豪胆さがあったんだろうな?人柄を想いながら英二は訊いてみた。

「お父さん、フランス文学が好きだ、って前に言っていたよな、」
「そ、大学で仏文科だったらしいね。おやじの本はフランス文学の原書が多いよ、ガキの頃、よく読んでくれた」

話してくれる貌がやわらかい。
父親に本を読んでもらう、そんな優しい記憶は周太と国村は共通している。
この記憶は英二だと父ではなく姉になる。だから尚更2人の記憶が愛しい、愛しさに英二は微笑んだ。

「それで国村、よくフランス語使うんだ?」
「英語より先にフランス語から入っちゃったからさ、そっちが出ちゃうね。フランス文学もイイよ、ロマンティックでさ、」

やさしい秀麗な面差が明るい笑顔で話す様子は「ロマンティック」が似合っている。
けれどエロオヤジで毒舌家の性格が、この外見とのギャップが酷い。そんな友人が自分は愉しくて好きだ。
ほんと面白いヤツだな?思いながら英二は自分が知っている本の名前を言った。

「みどりのゆび、なら読んだよ?」
「お、チトだね。あの主人公さ、ちょっと周太と似ているよね、」
「国村もそう思うんだ?」
「思うね、同じように花が大好きでさ。おだやかで浮世離れした雰囲気とか、すぐ寝ちゃうとことかね、」

大切な面差し抱くよう温かに笑んで、印象の言葉を綴っていく。
自分と同じように感じていることが楽しくて英二は笑った。

「だよな?周太にそう言ったらさ、『授業中は寝ないよ?』って言われたよ、」
「あ、そこは違うね。でも似てるよね、周太。あと、フランス文学ならYourcenarとか、幻想的でおもしろいよ、」
「川崎の家に、原文ならあるんだよな。俺もフランス語やってみようかな、あの書斎の本、全部読めるようになるし、」

話しながら、それは良い考えかもしれないと英二は気が付いた。
あの書斎の本が読めれば周太と楽しめるだろうし、もしかしたら「家の謎」についてヒントがあるかもしれない。
そんな考えをめぐらし始めた英二に、透明なテノールが訊いてくれた。

「日記帳、新しいヒントは見つかった?」

周太の父、馨の日記帳。
あの日記帳が「家の謎」を解いていく鍵になっている、けれど途中から全文がラテン語表記になり解読が難しい。
この焦燥感に英二は溜息を吐いた。

「いま4年生になったとこなんだけど…相変わらず、英文学と山と、射撃部のこと。まだ幸せそうだよ、」
「そっか、でも、そろそろじゃない?アノ試験って申込みが春と夏だけどさ、」
「うん、いま4月の新学期を迎えたとこだから、夏、だと思う、」

先にその部分を読んだ方がいいだろうか?
けれど小さなヒントも落としたくはない以上、慎重に年代記として時系列に読み進める方が却って速い。
時間が無い、けれど焦って失敗する方がもっと手遅れになる。ほっと1つ息吐いて心鎮めると英二は微笑んだ。

「国村のお父さん、フランス文学だったなんてさ、周太のお祖父さんと同じだな?」
「あ、それで俺、おまえとやろうと思うことあるんだよね、」

思い出したことに頷いて、テノールの声が提案してくれた。

「おやじのフランス文学本、すごい量でさ?蔵の中にもあるんだよね。その中に周太のじいさんの、例の本があるかも。探そうよ、」
「うん、探したい。あの本、なかなか手に入らないんだ、」

提案に即答して英二は微笑んだ。
あの本があると「家の謎」を解く事実が見つかる可能性が高い。同じ考えの友人も頷いて、教えてくれた。

「だろ?俺もWebとか調べてみたんだけど、個人が愛蔵していることが多いみたいだね?あとは大学図書館か大きい図書館。
でも、どれも貸出禁止本に指定されているんだ、貴重書になっちゃっていて。図書館ではじっくり読めないから買いたいけど、絶版だろ?」

「大学から発刊した記念本だから、増刷も無いし一般書店の取り扱いも無いんだ。見つかると助かるよ、ヒントがあるはずなんだ、」

答えながら英二は、自分の推論を頭で整理した。
そんな頭脳の動きを理解するよう、国村は口を開いて微笑んだ。

「普通なら、著者本人の蔵書にはあるはず。それが消えているから、ヒントが隠されているはずだ。そういうコトだよな?」
「うん、そうなんだ、」

言わないでも解かって貰える、それが信頼感になって温かい。
ほんとうに良いパートナーだな、感謝思いながら英二は言葉を続けた。

「あの本、家のどこかにありそうなんだけどさ。まだ見つからないんだ、」
「あれだけは譲ったか、捨てたのかもしれないね、自分の本と一緒に。そうすると、益々ヒントの可能性が高いな、」
「だよな、…読めたら良いんだけど、」

周太の祖父、晉が遺した「記録」それを読みたい。
いったいどこに真相と真実はあるのだろう?小さくため息吐きながら、英二は微笑んだ。

「こんなにも、お父さんが隠している事を、俺が暴いても、良いのかな?…そんな疑問、ちょっと思うときがある、」

自分は周太の婚約者、けれど「湯原」の血筋ではないし正式な法的手続きもまだ済んでいない。
そんな自分が、こうまでして秘匿されていることを、曝してもいいのだろうか?

「良いだろね、」

透明なテノールが明瞭に言った。

「おやじさんの合鍵がおまえの許に来た、その合鍵が日記帳を開く鍵だろ?きっと、おやじさんの意志がおまえに託した、ってコト」

底抜けに明るい目が真直ぐ見つめて微笑んだ。
どこか不思議な引力秘めた透明な深みが、英二を見つめて「大丈夫」と笑ってくれる。
こんなふうに、知識や技術だけでは無いところからも支えてくれるパートナーの存在が、温かい。
この温もりへの感謝に英二は微笑んだ。

「ありがとう、国村。俺、おまえがいるから周太のこと、守りきれるって信じられるよ?おまえがいると、温かいな、」

底抜けに明るい目がすこし大きくなって、すぐ幸せに微笑んだ。
微笑んで、ちょっと羞んだようテノールが英二に言ってくれた。

「最高峰でも温められる、唯ひとりだから、ね、」

告げた想いの言葉に、雪白の頬かすかに赤らんでいく。
こんな貌されると弱いかもしれない、そんな今の想いと婚約者への想い見つめながら英二は笑いかけた。

「うん。どんな危険でも一緒に立とうって思えるのは、おまえだけだよ。ごめんな、」
「なんで謝るんだよ?」

不思議そうに透明な目が訊いてくれる。
すこし笑って英二は思うままを答えた。

「あの家の謎に関わること、危険だな、って思うだろ?この危険に、おまえを巻きこむの、本当は嫌なんだ。
山の事ならまだいいけど、人間が作った危険に遭わせるの嫌なんだよ。山っ子には、山で幸せに笑ってほしいって、俺は思うから、」

言葉に、透明な目が見つめてくれる。
見つめたまま、やわらかに微笑んで国村は言ってくれた。

「俺のパートナーは、おまえだけ。そういうふうに俺が選んだんだ、周太のこと好きになったのも、俺だよ?
どれも、俺が自分の自由で勝手に選んだことだ。あの家の謎のことも、俺自身が知りたい、って今は思ってるね、それに、ね…」

言葉を切って、底抜けに明るい目が微笑んだ。
これ以上は今は言わない ― そんなふうに薄紅の唇も笑みふくんで閉じられる。
こんな顔のときは国村は何も言わない、なにか深くふれることを秘めたい、そんな意志の顔。
もう話を変えた方がいいだろうな?きれいに笑って英二は話を戻した。

「ありがとう。 なあ、国村はフランス文学と山と、お父さんの影響が強いんだな。カメラもそうだし。おまえと似ている?」
「似てるとこ多いね。でも、母親の方がよく似ている、って言われるよ。特に、顔と自由人なトコ、」

笑って自分の顔を白い指で示しながら答えてくれる。
白い指が示す顔は秀麗で、やわらかい雪白の肌に艶やかな黒髪が美しい。
きっと母親は美しい容貌の持主だったろう、なにげなく英二は尋ねた。

「美人だろ、お母さん。ピアノの先生だったよな、音楽が好きな家の人なんだ?」

訊かれて、細い透明な目が強張った。

「…うん……、」

短く答えた声が、どこか沈みこんでしまう。
いつにない強張った目と声に、英二は自分の迂闊さに気が付いた。

…おふくろはさ、家出同然でおやじと結婚したんだ。だから俺、おふくろの両親と弟には葬式で会っただけなんだ。

警視庁拳銃射撃大会の夜、話してくれたこと。
なにか事情がある、そう解っていたはずなのに?ため息を吐いて英二は大切な友人に謝った。

「ごめん、俺、変なこと訊いた…嫌な想いさせた、ごめん、」
「うん?…いいよ、謝んないでよ、」

どこか寂しげな声のまま、透明な目が笑ってくれる。
けれど、言いようのない哀しみが瞳に映りこんで隠しきれていない。
自分の所為で思い出したくないことを、国村がなにより楽しい雪山の時に想わせてしまった。
それが哀しくて悔しくて、切ないまま英二は長い腕を伸ばし友人の腕を掴んだ。

「そんなこと言うなよ?ほんとうは嫌だったくせに。嫌だった、って、なんで言わないんだよ?」
「違う、」

そっと腕を押し返しながら、小さく首を振ってくれる。
すこし恥ずかしげに透明な目が英二を見、雪白の顔が微笑んだ。

「嫌だったワケじゃないね、だから気にするなよ?ほら、風呂、沸いた頃だろ?入ってこいよ、」

早く行って来いよ?
そんなふうに目でも笑って言ってくれる。
その眼差しと言葉に従って、英二はタオルを2枚とも着替えと持って笑いかけた。

「うん、入るよ。ほら、国村も、」
「え、」

細い目が大きくなって、驚いている。
けれど英二は、お構いなしに友人のザックを掴んで突きつけた。

「ほら、着替え出せよ?さっさと風呂済ませないと、おやじさん達に悪いよ、」
「なに?一緒に入るワケ?」

突きつけられたザックを受けとめながら、雪白の顔が首傾げこんだ。
そんな様子がなんだか可愛くて英二は笑った。

「そのほうが風呂借りる時間、短くて済むだろ?迷惑かけるの、ちょっとでも少なくしようよ?」
「そっか、だね?」

納得したよう頷いて、素直に着替えを出してくれる。
そして立ち上がると、底抜けに明るい目が可笑しそうに笑ってくれた。

「俺のこと、独りにしたくないな、って思ってくれたよね?」
「うん、だって俺の所為でいま、寂しい顔にさせちゃったからさ、償おうと思って、」

答えながら英二は扉を開いた。
ぱたんと閉じて鍵かけて、廊下を歩きだしながらテノールの声が訊いてきた。

「償い、って?」
「うん、」

歩きながら頷いて、英二は奥への扉をノックし開いた。
すぐ気が付いた主人が浴室へ案内してくれる、そして2人に笑ってくれた。

「君たち、体が大きいからな?ちょっと手狭かもしれないが、まあ2、3人は一度に入れるよ。シャワー無いから、バケツ使ってくれ」
「はい、ありがとうございます、」

きれいに笑って礼を言うと、脱衣場の扉を閉めた。
さっさと脱ぎだす英二に国村は首傾げながら、ちょっと可笑しそうに微笑んだ。

「もしかしてさ?償いって、おまえのストリップってコト?」

沈んでいても、エロオヤジなんだな?
そんな友人が愉しくて笑いながら英二は答えた。

「それでも良いよ。でも寮でお互い、こんなの見慣れてるだろ?」
「ま、ね。いつも眼福させてもらってるよ、」

底抜けに明るい目が笑って、一緒に脱ぎ始めた。
浴室に入ると、蛇口の無い洗い場も浴槽も思ったより広い。

「ほんとだ、2、3人は入れる造りだね?燃料の節約かな、やっぱり、」

感心したよう底抜けに明るい目が浴槽を眺めている。
この5合目まで燃料を運ぶ労力は勿論、高い標高では気圧が低くなる分だけ燃料消費が激しい。
その為の工夫なのだろう、頷きながら英二は笑いかけた。

「そうだろうな?やっぱり、一緒に入って正解かな、」
「うん、だね。おまえってさ、こういう気遣いとかエライよね。やっぱ賢いよ、」

素直に褒めてくれながら、国村は手桶で湯を汲み掛け湯を始めた。
英二も使う湯をバケツに汲み上げ洗い場に置くと、風呂椅子を示しながら声を掛けた。

「ほら、座れよ?」
「うん?」

細い目が不思議そうに英二を見て、首傾げこんでいる。
そんなに意外なことなのかな、想いながら英二は笑いかけた。

「頭、洗ってやる。来いよ、」
「もしかして、さっき言っていた償いって、それ?」

素直に風呂椅子へと座りながら、テノールが訊いてくれる。
その通りに英二は頷いた。

「そうだよ。俺、割と頭洗うの上手いらしいから。おまえ、気持ちいいこと好きだろ?」
「うん、好きだけど。上手い、って周太に言われてるワケ?」

いつもどおり察しよく気が付いて透明な目が英二を見あげた。
その目に正直に頷いて英二は微笑んだ。

「そうだよ。一緒に風呂入らせてくれること、限られてるけどね。いつも喜んでくれるからさ、おまえも気に入るかな、って思って、」

英二の言葉に透明な目が、ひとつ瞬いた。

「周太にするのと同じこと、してくれるんだ?」

この質問に籠る想いが、透明な目から英二を見つめてくれる。
この質問への正直な気持ちのまま英二は、素直に頷いた。

「うん。ふたりとも、俺の大切な『唯ひとり』だから。言っておくけど、他のヤツの頭なんか俺、洗ったことないからな?」

真直ぐ見つめてくれる透明な目が、ゆっくり瞬いた。
瞬いて、幸せが笑顔に咲いていく。そして透明なテノールがねだってくれた。

「可愛いイヴのこと、気持ち良くしてね?お願い、ア・ダ・ム?」

いつもの悪戯っ子な口調、けれど微かな含羞に想い告げられる。
この想いを少しでも幸せにしてあげたい、そんな願いに昨日の恋人から告げられた願いが重なっていく。

…俺を幸せにしてくれるみたいに、光一のこと、温めてね?

どうして君はそんなに愛が深い?
そんな質問を恋人に問いかけたくなる、この問いかけの分だけ愛しい。
この愛しさと、いま見つめてくれる透明な目に英二は微笑んだ。

「おまえの気に入るか、ちょっと自信ないけどね。ほら、前向けよ、」
「うん、」

素直に前を見た鏡から、底抜けに明るい目が英二に笑ってくれる。
うれしそうな笑顔に笑いかけて、英二は頭から湯を注いでやった。



山小屋らしい早い時間の夕食が済んで、部屋に戻ると窓がオレンジ色に染まっている。
外を見ると夕映えが降りている、黄昏を眺めた透明な目は愉しげに微笑んだ。

「うん、佳い夕焼けみたいだね?俺、ちょっと写真撮ってこようかな、」
「俺も行くよ、夕焼け見たいから、」

話しながらウェアの上着を着ると、奥へ声を掛けてから外へ出た。
夜迎える冷えこみが深々と頬撫でる、湯を済ませた後の体で長時間いれば体調への影響が怖い。
いつものレスキューモードの頭から英二は、ご機嫌なパートナーに声を掛けた。

「湯冷めとか怖いから、5分で戻ろうな?」
「はーい、了解。すぐ、済ませる…」

返事して、すぐに雪嶺への集中に入っていく。
ファインダーを通して見つめるレンズは、白銀の裾ひく女神の瞬間をとらえ始めた。

夕映が薄紅の光で空を染め、空映す女神の白銀を桜のいろに染めあげる。
空に富士に映りゆく今日最後の陽光が、凍れる大気をまばゆい紅に鎮めだす。
空透かす雲の薄衣を女神の山がまといだし、あわい紫の黄昏が紅を抱きとめていく。
そうして深い青紫の夜が、天穹の彼方から降りてくる。

さあっ、

夜の風が高嶺からふきおろし、白雪のかけらが紫紺に舞う。
富士の女神がこぼす冷厳の吐息が頬撫でて、ふっと英二の傷痕が疼いた。
頬の疼きにそっと指ふれる、その動きにカメラの構え解いたパートナーが訊いてくれた。

「竜の爪痕、痛むのか?」

この頬の傷は、初めて冬富士に登った1月に雪崩の氷片に刻まれた。
それを周太と国村は「最高峰の竜の爪痕」と呼んで、山ヤの護符だと言祝いでくれる。
いま最高峰の風に生まれた疼きに言祝ぎが心掠めてしまう、すこし不思議に思いながら英二は微笑んだ。

「なんとなく気になっただけ、大丈夫だよ、」
「まあ、気になるのは当然かもね、」

並んで小屋へと歩きだしながら、国村が答えてくれる。
なぜ「当然」なのだろう?そう見つめた先で透明な目が英二に微笑んだ。

「おまえ、ここの女神に気に入られてるね。だから今朝も、花をくれて迎えたんじゃない?」
「あ、富士桜のこと?」
「そ、桜の女神さまだからね、」

細い目を温かに笑ませ、白い手は小屋の扉を開けてくれる。
戻ったと奥にまた声かけて、部屋に戻ると布団を敷き始めた。
手を動かしながら英二は、さっき言われたことが不思議で山っ子に尋ねた。

「どうして俺が、気に入られたって思う?」
「似ているからだろね、」

さらっと即答して、手際よく白い手は布団を敷いていく。
どこが似ているのかな?そんな疑問に英二はふと、真昼の友人の言葉を思い出した。

「おまえさ、シリセードの後でも同じようなこと言ったよな?あれ、どういう意味なんだ?」

『おまえみたい、』

そう言って国村は英二に微笑んだ。
あのとき何となく訊き返しそびれたまま、行動食を摂り雪上訓練を始めている。
けれど心の片隅で気になっていた。

「言葉のまんまだよ、」

透明なテノールが答えて、すこしだけ困ったよう雪白の貌が微笑んだ。
微笑んだまま布団の上に寝転がると、白い手はカメラをいじり始めた。

「ほら、朝陽の写真。おまえ、見たいって言ってたろ?」

セッティングした画面を示し笑いかけてくれる。
それを覗きこもうとして、ふと英二は気が付いたことを友人に訊いた。

「なあ?どうして布団、ちょっと離してあるんだよ、」

すこし寂しがりな国村は、英二にくっつきたがる癖がある。
それで山でも一緒に寝たがるし、寮でも勝手に隣で寝ていたりする。
それなのに今夜の国村は布団を離して敷いた。どういうことだ?そう見た先で透明な目が困ったよう瞬いた。

「うん…なんとなく、」

珍しく言葉濁すように言い淀んでいる。
こんな、らしくない様子に英二は穏かに笑いかけた。

「さっき、お母さんのことで俺が無神経だったから、嫌になったんだ?」
「だから、それ違うね、嫌じゃない、」

すぐに応えて「嫌じゃないんだ」と目でも告げてくれる。
なんとなく原因を察して英二は、勝手に布団を引き寄せた。

「じゃ、いつもどおりでいいよな?」

一続きになった布団に英二も寝転がると、友人に肩寄せてカメラを覗きこんだ。
すぐ間近くなった顔を困ったよう見、それでも底抜けに明るい目が笑ってくれた。

「おまえさ、ほんと無意識なんだろね?マジ、この山みたいだね、」
「どういう意味?」

きれいに笑って英二は友人に問いかけた。
問いかける目を無垢の瞳は受けとめて、吐息こぼすよう透明なテノールが微笑んだ。

「雪と氷で拒絶して、けれど春は、やさしく美しい桜の花の神。写真集にもあったもんね、おまえ、」

桜の花をまとった自分の写真を、きっと国村は言っている。
二十歳を迎える春に撮影された、モデル時代の一枚。あの写真の題名はそうだったのだろうか?
自分では正確には見ていない題名を英二は友人に尋ねた。

「桜の花を髪に飾ってる写真のこと?あれ、なんて題名だった?」
「ほんと、おまえって自分自身に興味、無いんだね?」

呆れたよう透明な目が見て、可笑しそうに笑ってくれる。
笑ってくれた目が嬉しくて微笑み返すと、テノールが教えてくれた。

「題名はね、『木花咲耶姫』まさに、この山の女神さまの名前だよ、」

最高峰を護る、桜の女神。
そんな存在を自分がモデルになった写真が撮られていた。

「そっか…なんか、不思議な縁、みたいなの感じるな?」

思うまま素直に言って、英二は微笑んだ。
そんな英二の笑顔のぞきこんで、透明なテノールが困ったまま笑いかけた。

「ほんと、最高に危険で最高の別嬪だね、おまえはさ、」

笑いながらカメラの電源を落とし枕元に置くと、国村は布団に入ってしまった。
いつもの飄々とした態度と含羞が交ぜ織られる友人の姿に、どこか心が響きだす。
ゆるやかな想いの玉響見つめながら英二は、電灯を落とすと布団に入った。

「…っ、なに?宮田、」

驚いたよう黒髪の頭が振向いて、透明な目が夜透かし見つめてくれる。
きれいな目に英二は自然と笑いかけた。

「なに、って、なんで?」
「だって、…なに、おまえから、抱きついてんの?」

透明なテノールが途惑ったよう、抱え込んだ腕の中から訊いてくれる。
これは確かに意外だろうな?自分でも思いながら英二は正直なまま笑いかけた。

「唯ひとりの親友を、大切に抱えて寝るんだよ?このほうが温かいだろ、」

大切なひと、だから大切な恋人が願うよう同じに接するだけ。
そんな想いに笑った英二に、無垢の瞳が見つめて尋ねた。

「周太と同じ、唯ひとりだから…だから、大切にしてくれてる?」

Yes、そう言ってよ?
そんな肯定の願い見つめるよう、夜を透かして無垢の瞳が英二に笑いかける。
そんな願いへと思うままに英二は頷いた。

「そうだよ。だからさ、さっきみたいなこと言うなよ、」
「さっき?」

また質問が重ねられて、英二を問いが見つめてくる。
窓からの星と雪の灯りだけの静謐に横たわって、安らぐ想いのまま英二は微笑んだ。

「雪と氷で拒絶して、けれど春は優しく美しい桜の神。そう言っただろ?俺、拒絶なんかしないから、あんな哀しい顔で笑うなよ、」

透明な瞳が大きく瞠られて、夜の帳にきらめき生まれだす。
それでも透明なテノールは静かに想いを紡いだ。

「おまえの専属レスキューになってやる。無事に最高峰に立って、絶対に…それぞれの大切なひとの隣に一緒に帰るんだよ。
おまえ、ここで1月にそう言ったよな?でも俺は、最高峰から降りたら、大切なひとの隣は……帰るとこなんて、俺、ないから、」

帰るとこなんてない。
この言葉の意味が自分には解ってしまう。
もちろん国村のことは祖父母が実家で待っているし、幼馴染の美代も姉のように待っている。
けれど国村が言いたい事はそうではない、英二は素直な想いをそのままに微笑んだ。

「俺たちって、相思相愛のアンザイレンパートナーだな?これで最強だ、きっと、世界中の最高峰に俺たちは立てる。
1月のとき、そう言ってくれたよな?あの言葉を俺、信じて努力してきたんだけど。おまえは『相思相愛』じゃなくなった?もう違う?」

あれから3ヶ月、山にレスキューに自分は努力した。
周太と国村と、ふたりの大切なひとに向かい合って、美代の想いも見守っている。
そんなふうに過ごした3ヶ月で自分は、幾らか変わったと思う。けれど、この変化は良い方だと自分は信じている。
それがダメだったのかな?そんな想いと笑いかけた向こうで、唯一のアンザイレンパートナーは笑ってくれた。

「ううん、違わないね。最強だよね、俺たち。ちゃんと…愛し合ってるよね?」

どうかお願い、「Yes、」を聴かせて?

透明な眼差しに願い、テノールが告げる、山っ子の想い。
ただ無垢で真直ぐな想いが見つめてくれる、この想い素直に英二は、きれいに笑った。

「愛し合っているよ。だから、俺の隣に居ればいい。山でも、どこでも、」

告げた答えに、誇らかな自由が幸せな笑顔に咲いた。
嬉しそうに笑って、けれど透明なテノールが訊いてくれた。

「でもさ、おまえは周太のトコ、帰んないといけないだろ?俺がいたら、邪魔になるんじゃないの?」

いま与えられたものだけで満足だから。
そんな無欲と無垢が、大らかに優しい自由な心のまま見つめて微笑んでいる。
こんな山っ子は風のよう、何にも執われず捕まることも無い、誇らかな自由がまばゆい。
けれど、心ごと体繋ぎたいと愛し合える相手を探して求めて、ずっと本当は泣いてきた。

風のまま自由な山っ子は、本当は寂しがりやの甘えん坊、ずっと帰る懐を探している。
その懐を本当は15年前に見つけていた、けれど山の眠りに奪われ失ったまま「人間」を求めることを諦めた。
いつか命終わる「有限の人間の愛」この終わる事への哀しみに迷子になって、「山の秘密」だけを愛し帰る場所に決めていた。
そんな山っ子が今、言葉の裏返しに想いを告げている。

…邪魔にしないで、独りにしないで。置いて行かないで、

この想いを、受けとめられるのは自分だけ。
唯ひとりアンザイレンのザイルに繋がれて、誇りも命も人生すら託しあうパートナーは自分だけ。
この得難い大切な、もうひとりの「唯ひとり」に英二はきれいに笑いかけた。

「おまえがいると、周太が喜ぶんだ。それとも国村は、嫌なのか?」

昨日、言ってくれた周太の想いのまま告げていく。
やさしい愛深い恋人の面差を抱く心に、底抜けに明るい目が誇らかな幸せに微笑んだ。

「嫌なんかない。大切なふたりと一緒なら、俺…すごい、幸せだね?」

自由な想い誇り高らかに生きている山っ子が、心から嬉しそうに笑ってくれる。
決して捕まることない自由、そんな風のような存在が自分への想いに幸福を見つめてくれる。
この幸せに惹きこまれるように、英二はきれいに笑った。

「うん、最高に幸せだと想うよ?」
「だよね、…俺、帰る場所、あるんだね?…愛されてるんだね、俺?」

透明な目から涙あふれて、かすかな雪明りにきらめきこぼす。
この切ないまでの願いに微笑んで、英二は正直に答えた。

「うん、おまえ愛されてるよ。だから、ずっと一緒に帰ろうな?」
「う、ん…かえる、」

ちいさな嗚咽飲みこんで、無垢の瞳が幸せに笑った。
もう既に15年前、失ってしまった懐を探し続けていた想いが、いま帰る場所を泣笑いに見つめてくれる。
この相手とだけ結べる繋がりに、幸せ見つめて英二は笑いかけた。

「ずっとの約束しよう、光一?唯ひとつの最高峰のキスで、」

正直な想い告げたキスで、唇ふれる。
ふれられた唇に涙こぼれて、静かに長い睫が伏せられた。

ふれた唇から清雅な花のような香が、ふわり心なでていく。
ただキスだけの繋がり、けれど心重ね温めあう安らぎが優しい。
時おりあふれていく山っ子の涙ぬぐうたび、無垢の瞳が微笑んでくれる。
唯一のキスに心繋ぎあわせて、大切な二つの想いに抱かれ、抱きながら最高峰の夜に微睡んだ。

花の女神が雪風に護る、最高峰の夜に。
アンザイレンに繋がれた2人の山ヤは、蒼穹の点の夢を見る。
無事の帰りを待っていてくれる、黒目がちの瞳を互いの心に抱きながら。



“CHLORIS” 美しい西風の花嫁は、花と愛しあう百花の神






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