今日は仙台へ。少しだが、救援物資を運ぶために。
朝「良かったらその皆に、差し入れして」
と、近所の同級生ヒヨッコ隊長より生みたての有精卵を沢山預かる。
ありがたい。。
トラクタ他、農機具の燃料をかき集めて昼頃出発。
義兄の家族も元気。
土建業の義兄は早くも復旧作業に忙しくなりそうな雰囲気。
実際何度か足を運んだが、沿岸部はホントに見られたものじゃないらしい。。
その後、SOSが届いていた知人宅を訪問。
赤ちゃんと年端の行かないお子さんが居て、旦那さんも沿岸部の復旧に出ていて
なかなか買い出しにも出れず困っていたという。。
やっぱりこういう災害の場合、メンタル面でのケアって大事かなと強く思う。
少しばかりの物資と、精一杯の励ましの言葉を送り後にする。
最後に弟のところへ。
甥っ子が心配だったが、だいぶ元気を取り戻したようでひと安心。
道中、当然場所によって違うし、沿岸部は通らなかったが、
道路の崩れ、段差はものすごい数で、内陸部でも家半壊や屋根が壊れたところも多数。
仙台市内も、ガソリン渋滞、スーパー渋滞はここと一緒。
が、大きな違いは、
一見すると駅前あたりあ「震災なんてあったか?」というほど大きな損傷を見なかったけれど、
なんというのか、、街から生気がなくなってしまった、喪失感のようなものが漂っていた。。
そして帰りしな、心配していた沿岸部に住む産直仲間のHさんが遺体で発見されたという、知人からの連絡。
数時間経った今でも、本当とは思えない。
月一回は必ず会っていて、産直委員長として2tトラック山盛りの野菜を運んで来ていたHさん。
ウチの親父と同い年。
いつもハンチングに前掛けをして、まさに「父ちゃん」的な感じ。
付き合いは古く、私がまだまだかけ出しだった7、8年ほど前に出会って以来、青空販売やら百貨店催事やら
多くの仕事場でご一緒し、仲良くさせて頂いていた。
ホントの親父に出来ない相談や、言えない下世話な話まで、一緒に悩み、一緒に笑ってくれた人。
カミさんの事も気に入ってくれて、いつも「おい!みちよ!」と実の娘のようにからかい、
カミさんも親父の悪口をいうように身近に接し、ざっくばらんに付き合っていた。。
先日の産直ネットの総会。それが最後。
あの笑顔をもう見れないんだろうか?
本当なんだろうか?
あのHさんはホントに死んだのだろうか?
やっぱり信じられない。