よっちゃん農場のドタバタ日記

「よっちゃん農場」の日常。
 ~いち農家から小さなブランド作りの奮闘記~~

仲間の訃報。

2011年03月18日 | Weblog

今日は仙台へ。少しだが、救援物資を運ぶために。

朝「良かったらその皆に、差し入れして」
と、近所の同級生ヒヨッコ隊長より生みたての有精卵を沢山預かる。
ありがたい。。

トラクタ他、農機具の燃料をかき集めて昼頃出発。


義兄の家族も元気。
土建業の義兄は早くも復旧作業に忙しくなりそうな雰囲気。
実際何度か足を運んだが、沿岸部はホントに見られたものじゃないらしい。。

その後、SOSが届いていた知人宅を訪問。
赤ちゃんと年端の行かないお子さんが居て、旦那さんも沿岸部の復旧に出ていて
なかなか買い出しにも出れず困っていたという。。

やっぱりこういう災害の場合、メンタル面でのケアって大事かなと強く思う。
少しばかりの物資と、精一杯の励ましの言葉を送り後にする。

最後に弟のところへ。
甥っ子が心配だったが、だいぶ元気を取り戻したようでひと安心。

道中、当然場所によって違うし、沿岸部は通らなかったが、
道路の崩れ、段差はものすごい数で、内陸部でも家半壊や屋根が壊れたところも多数。
仙台市内も、ガソリン渋滞、スーパー渋滞はここと一緒。
が、大きな違いは、
一見すると駅前あたりあ「震災なんてあったか?」というほど大きな損傷を見なかったけれど、
なんというのか、、街から生気がなくなってしまった、喪失感のようなものが漂っていた。。


そして帰りしな、心配していた沿岸部に住む産直仲間のHさんが遺体で発見されたという、知人からの連絡。
数時間経った今でも、本当とは思えない。
月一回は必ず会っていて、産直委員長として2tトラック山盛りの野菜を運んで来ていたHさん。

ウチの親父と同い年。
いつもハンチングに前掛けをして、まさに「父ちゃん」的な感じ。
付き合いは古く、私がまだまだかけ出しだった7、8年ほど前に出会って以来、青空販売やら百貨店催事やら
多くの仕事場でご一緒し、仲良くさせて頂いていた。
ホントの親父に出来ない相談や、言えない下世話な話まで、一緒に悩み、一緒に笑ってくれた人。
カミさんの事も気に入ってくれて、いつも「おい!みちよ!」と実の娘のようにからかい、
カミさんも親父の悪口をいうように身近に接し、ざっくばらんに付き合っていた。。

先日の産直ネットの総会。それが最後。

あの笑顔をもう見れないんだろうか?
本当なんだろうか?
あのHさんはホントに死んだのだろうか?

やっぱり信じられない。