こちら方面に避難する人は南三陸が中心。
その人たちへのプロジェクトを立ち上げようという事もあり、
見ておかなくてはと、南三陸方面へ。
変な話しではなく、テレビや誌面で散々震災の風景を見た人はいる。
が、前回自分が感じたように、メディアというフィルター無しで、
現実に接する事が一番大事だと思う。みんなに起こりうる自然の恐ろしさだから。
そんな思いもあり、カミさん、親父、やっさんと全員で出発。
二時間かけて到着。
実際見た人から聞いていたとおり、街、の痕跡がトコトン流されてしまっていて、無い。
かつて来た記憶と重ねても、方向が分からなくなるほどの惨状。
「街そのものが無い」
まさにその通りの印象だった。
見えた瞬間、カミさんは涙し、やはり全員無言。
自分と同じように一日を過ごしていた人が、突然大津波にノまれ、こうなってしまった事を思って。
そして、その人たちのこれから。
ここから立ち上がり、整理して、再び以前のような日常を取り戻すまで。
それがとても、とても想像出来ない。
どれほどのガッツがあれば、前向きになれるのか。。。
明日は種まき。
それにむけ、甥っ子たっつが「手伝いたい!」と、連絡をくれる。
昔は「手数」と、親戚一同集めてやったもの。
今は機械がすべてをやってくれるから、手数はあまり必要なくなった。
けど、違った形で、たっつ、やっちゃんが今回来てくれた。
やっぱり食の中心の米作業。
人が生きる流れの節目。
これも、縁があれば、ぜひとも実際に見るべきものだと思う。
世の中、たぶん昔と違って、
分業というのか、仕事や住む場所によってなど、
関わる事と関わらない事がはっきりとしすぎてしまっている。
それが、無関心にも繋がってしまっている気もする。
今回の一連の事も、対岸の火事ではないと、ようやくみんな気づき始めて来た気がする。
情報過多の時代、どの問題が、自分が考えるべきものか、
それを判断できる感覚だけは失いたくはないものだ。