弟一家が一昨日から泊まりに来てるんだけれども、
まったく時間がなくって今年は合間にちょこっと話をする程度で残念。
昨日帰りの日で山形にキャンプに行く!というので、
甥っ子といっしょに急遽ミニワークショップ。
「世界一うまい肉肉よっちゃんを作ろう」
を開催して時間を共に。
今回はまたまたスペシャルで、秘蔵の寝かせラー油風味のごま油2年モノを使用。
仕上げはほっかぶり市に参加してくれた消しゴムハンコ職人Sさんに作ってもらった「肉印」を思う存分に押しまくって完成!
急遽カミさんも「キャンプに一緒にいく!」ということになり、
私は取り残された気持ちを押し殺しながら(笑)、新聞バックプロジェクトへ旅立ちました。
後日談で「ぴろりん(俺)も一緒だったら良かったのに。。。」と甥っ子たちが話してたらしいので、良し!
東北新聞バック二年目。の第一回が昨日今日で終了しました。
昨日は陸前高田、今日は気仙沼・唐桑のドン(笑)小野寺さんチームと合流して二日目。
会場の唐桑半島・巨釜半造では美しく生き残った松林の中、約300枚ほどの色とりどりのTシャツがひらひらしておりお見事。
やっと見れました。
これも高知の黒潮町とのご縁から開催に至った催しで、ぜひ、ほっかぶりJAPANとしては手ぬぐいもひらひら~~~を
妄想しながらの鑑賞でした。
今回は両日共に、新聞バックが生まれた四万十の紹介と取り組みを話に畦地社長、デザイナー梅原さんが来られ、
新聞バックの背景までをプレゼンテーション。
そして震災を機にご縁が出来て、また四万十とは一味違った新聞バックの物語を私が少しお話するという流れ。
最後に、作って体験するワークショップをやり、感じてもらうという第一弾。
梅原先生の「初挑戦」の姿が良かった!
プレゼン最後の質疑の中で、印象に残ったおばあちゃんの問いかけがありました。
「私は漁業やってて暮らしてきたけど、まだまだ再建には自分も地元も先は見えない。
地元の魚介加工施設も復旧していないし、中で私が採ってる産物は、
少なければ自家消費したり、人にあげちゃたりしてるのが現状。
これを少しでもどうにかお金に変えたい。
どーやったら新聞バックと組み合わせが出来るかわからないけど可能性を感じます。
出来るだろうか?」
私は海山を始めた時点から、今日まで、復興に力を注ぐという意味で「してあげる」など考えたこともない。
ほっかぶりも海山も「キッカケ」でしかないと思っています。
会場でも話しましたが自分自身も震災で「地元」に目が向いた部分がある。
足下から自分が、仲間と一緒に、誰かと一緒に盛り上げる事が、各地で起こって東北に伝播していけば。。。
それが復興なのではないか、というのが自分の答え。
誤解を恐れずにいえば、天災で失ったものを取り戻す、克服するのは最後はその当事者にしかできないと考えています。
与えられるものではない。
沿岸部から見れば私なんぞ被災者じゃないし、それでも遠くの人から見たらやっぱり被災者。
そこに寄ってしまうとわからなくなっちゃうからこそ、俯瞰でくくっちゃう。
だからこそ逆算して「自分でできることから」が今までの動き方。
よっちゃん農場も、海山も、ほっかぶりも原点にあるのは自然と向き合いながら産物を生み出し、
あるものを活かしてやれる手仕事満載の価値。
震災を機に、それまで「遅れているのかな」と思っていたモノが自分の中で逆転した。
「自分のやってる事こそ、オンリーワンじゃないか!」と。
だからやっぺし!感じるべし!と時にテンパりながらも踏ん張っている・・・・つもり。
海山の活動も、新聞バックを普及させること、なんて私自身にとってはあんまり意味が無い。
それよりも、それに触れた人たちが自分とおんなじように、自分自身でだったり、仲間とだったり、
それぞれの「今後」の為、地元を盛り上げる為の何かヒントを得るツールに感じればいいのではないか? そう思っています。
これはまったくの主観で、私、そして私が考える地元、東北の未来。やっぱ世の中は仕組みじゃなくて人が作るもんだと思うからこそ。
出だしは違っても、新聞バックを含めて四万十と御縁は大いに楽しく、学べて、刺激を受ける、そして負けたくない。
これは今回出会った同世代の陸前高田や唐桑のおんなじ東北人にも思うこと。
だから、今回のおばあちゃんの質問は、よかった。
「おお~~!ばんつぁんも何か感じてるのか!? ライバルかぁ~~!?」
と。