先月の末に、訪れた飛騨の里の色々な展示は私の好奇心をくすぐるものが多かったのですが、その中の一つがワラビ小屋です。
ワラビ小屋を再現した建物の中に立ち入り、展示を見ていたら、見覚えのあるものが!何かというと斐太後風土記に書かれていたワラビ小屋の絵図。
ワラビ小屋に限らず、飛騨の里の展示の中で斐太後風土記の記述をいくつか見ていたので、やはり飛騨の歴史や民俗を語る上で斐太後風土記は欠かせない存在なのだということを改め実感しました。
ワラビ小屋はワラビ粉をとるための小屋で飛騨では益田郡阿多ノ郷(現在の高山市高根町、朝日町、久々野町の一部)と吉城郡高原郷(現在の飛騨市神岡町山之村の近辺が多かったようです)。
斐太後風土記では阿多ノ郷のところに書かれていましたのでワラビ粉の飛騨での最大の山地は阿多ノ郷であったようです。
実際に阿多ノ郷の村々の産物を見るとワラビ粉が書かれているので、ワラビ粉の産地であったことが伺えます。
ワラビ粉の採取は山に作られた小屋で行われ、雪解け直後から稗の植え付けの頃までと、秋の農作物の収穫後から雪が積もるまでの2回であったということ。
阿多ノ郷は耕作地が狭くワラビ粉は他国へ売り出す換金し食料を得たことが読み取れます。
また、ワラビ粉を作るのは女仕事で、男は官材を切り出すことで生計をたてていたと書かれ、ワラビ粉を採取するのは重労働であったこともわかります。
斐太後風土記の記述を、ざっと要約すると、こんなところですが、私が注目したのは阿多ノ郷では馬の生産も行われていたことがわかります。
ここからは私の空想ですが、馬はワラビを食べると中毒をおこしてしまいますので食べません。
当然のごとく馬を放牧している草地ではワラビは増えてしまうので、良質な馬を生産しようとするとワラビを除去しないといけません。
ただ、除去するだけでは、単なる重労働ですが、ワラビ粉を採取することで生活の糧としていなのではないだろうか?と思います。
また、ワラビとは関係ありませんが、高山市高根町では、昔、ハシリドコロを生薬出荷していたことを聞いています。
これも、毒があり馬は食べません。
馬の生産とワラビ粉とハシリドコロの採取が私の頭の中でつながったのです。
これは面白い仮説だ!と思っているのですが調べるすべが無い私は、ず~と仮説のままで終わりそう。
ちゃんと調べてみると面白いな~と思っている管理人なのでした。
あと、余談ですが、ワラビ小屋の壁と屋根にはサワグルミの樹皮、筧にはキハダが使われていたことも興味深いですね。
ここまで書いてしまうと、話が逸れますので別の機会として終わりにしたいと思います。(管理人)
飛騨の里の展示
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/bc/998a6fbd9308d7d32cd00f2a0b3852a1.jpg)
斐太後風土記の絵図
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/af/2fcd8fffa23dffe2cc98f626cfc22bde.jpg)
ワラビ粉生産の記述
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/15/887ff2aa0b389b1e825010dec0c27c3b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/a6/84f943eaaa392574571f92b764445c30.jpg)
<番外編、ハシリドコロの記事へ「ロート草はハシリドコロ」>
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ワラビ小屋に限らず、飛騨の里の展示の中で斐太後風土記の記述をいくつか見ていたので、やはり飛騨の歴史や民俗を語る上で斐太後風土記は欠かせない存在なのだということを改め実感しました。
ワラビ小屋はワラビ粉をとるための小屋で飛騨では益田郡阿多ノ郷(現在の高山市高根町、朝日町、久々野町の一部)と吉城郡高原郷(現在の飛騨市神岡町山之村の近辺が多かったようです)。
斐太後風土記では阿多ノ郷のところに書かれていましたのでワラビ粉の飛騨での最大の山地は阿多ノ郷であったようです。
実際に阿多ノ郷の村々の産物を見るとワラビ粉が書かれているので、ワラビ粉の産地であったことが伺えます。
ワラビ粉の採取は山に作られた小屋で行われ、雪解け直後から稗の植え付けの頃までと、秋の農作物の収穫後から雪が積もるまでの2回であったということ。
阿多ノ郷は耕作地が狭くワラビ粉は他国へ売り出す換金し食料を得たことが読み取れます。
また、ワラビ粉を作るのは女仕事で、男は官材を切り出すことで生計をたてていたと書かれ、ワラビ粉を採取するのは重労働であったこともわかります。
斐太後風土記の記述を、ざっと要約すると、こんなところですが、私が注目したのは阿多ノ郷では馬の生産も行われていたことがわかります。
ここからは私の空想ですが、馬はワラビを食べると中毒をおこしてしまいますので食べません。
当然のごとく馬を放牧している草地ではワラビは増えてしまうので、良質な馬を生産しようとするとワラビを除去しないといけません。
ただ、除去するだけでは、単なる重労働ですが、ワラビ粉を採取することで生活の糧としていなのではないだろうか?と思います。
また、ワラビとは関係ありませんが、高山市高根町では、昔、ハシリドコロを生薬出荷していたことを聞いています。
これも、毒があり馬は食べません。
馬の生産とワラビ粉とハシリドコロの採取が私の頭の中でつながったのです。
これは面白い仮説だ!と思っているのですが調べるすべが無い私は、ず~と仮説のままで終わりそう。
ちゃんと調べてみると面白いな~と思っている管理人なのでした。
あと、余談ですが、ワラビ小屋の壁と屋根にはサワグルミの樹皮、筧にはキハダが使われていたことも興味深いですね。
ここまで書いてしまうと、話が逸れますので別の機会として終わりにしたいと思います。(管理人)
飛騨の里の展示
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斐太後風土記の絵図
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ワラビ粉生産の記述
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