昨夜から降り始めた雪は朝になっても降っていました。 重たそうな雪がぼとぼとと。 これで3回目の雪です。 今日は節分、冬と春の境目の日ですのに。
柿の木に積もった雪は、いつ見てもきれいです。
あおむしのすんでいるブロッコリーも、白菜も雪帽子をかぶっています。 あおむしは雪のないところに避難しているのでしょうか。 地面がどろどろで近づくことができません。
今日も会えました。 カワセミ君。 雪の中をそうっと近づくのですが、これ以上大きく撮ることができません。 これを撮影していたら、もう1羽そばから飛び立ったのがいます。 もしかして2羽? そうだったらとってもうれしいです。
夕方スーパーに行ったら、入り口近くのお総菜売り場には、巻きずしが山盛りでした。 そして飛ぶように売れていました。 わたしは買いません。 恵方巻なんて寿司、いつから言い出したのかしら。 ごく最近のような気がします。 抜け目のないどこかの仕掛け人に乗せられて、これが日本の習慣です、なんて全国同じ事をするなんてーと、一人抵抗しています。
子どもの頃、節分にはひいらぎとたあらぎ(たらの木)といわしを出入り口にかざっていました。 そのたらの木も、つい数年前まではスーパーの入り口に「ご自由にお取り下さい」なんて置いてくれてたのに、今ではこんな風に割り箸にセットして売っています。 となりのひいらぎは我が家のひめひいらぎ。 ふつうのひいらぎより小ぶりで葉が密なので気に入っています。
節分で思い出すことがひとつ。
わたしが高校生の時、創立何十周年記念だとかで、記念に手帳のようなものをもらったのですが、その手帳の欄外には、どのページにも、先生方の200字ほどのコメントと、生徒のコメントの代表的なものが記されていました。 部活動の顧問だったA先生の文章は「節分の日、鬼の子どもが雪の中で泣いていた・・・・・」というような書き出しで始まっていました。そして最後は
「鬼は怖くない。鬼をつくる人間の心こそが恐ろしい。」
で、終わっていました。
わたしは、この一文を今でも覚えています。 A先生がすぐれた教育者であったことを、のちに新聞で知りました。 教師になってから、「おにたのぼうし」というお話を知り、ああ、このことだったのかなと思いました。 それで、教師として、子どもの鬼だけはつくらない、そう思ってやってきたつもりです。
年に一度、節分になると思い出す言葉です。 まあ、毎日それができたらわたしも聖人君子です。 でも、まだまだ修行が足りないもので、ときどき心の中でおとなの鬼をつくっては、うっぷんを晴らしていますがね。