永納山ー愛媛県唯一の古代山城跡で、国の史跡に指定されています。未だに発掘と整備が行われています。7世紀、日本が百済を応援するために朝鮮半島に出兵、「白村江の戦い」で敗れてから、瀬戸内海の防衛のために作られた城の一つです。
天気のいい日曜日、15年ぶりくらいにこの山に登ることにしました。標高132メートル、山とも言えない高さ。どちらかといえば丘かしら。しかも、ハイキングではなくウォーキングコースですって。
登り口には、滑って危ないので杖を使ってくださいとの表示。
この山は道を挟んで世田山に向かい合っています。 世田山がそうであったように、このあたりの山は花崗岩でできており、粗い砂粒が靴の下でローラースケートのようにすべりやすくなっているのです。わたしは、常にストックは用意しています。
以下、時間経過に従って写真を載せます。実を言えば、この地図上のどこで写真を撮ったのか、さっぱりわからないのです。南部頂上? 頂上らしいところってあったっけ? というぐあいです。ちょっと急な坂があったかと思えば、尾根伝いのようななだらかな道があり。下ったかと思えばまた上り・・・頂上が四つも!
上り始めはこんな道
木々の中を上ります。これだけ見るとすっかり冬の山ですが
いきなり視界が開けました。おおざっぱにいうと方角は西です。まだ冬山ではありません。
左に、世田薬師の建物が見えました。 ハゼの紅葉がすばらしくきれいでした。 そしてため池。世田山のふもとってこんな土地だったんだねえ。里山の美しさに改めて感動しました。
そこを抜けると
残された遺構を再現するとこんな感じになるということでしょうか。本物の土塁ではありません。15年前に上ったときはまだ道も整備されておらず、こちら側からは上れませんでした。 北側の国道196号線から登り始めて、一番高い132メートル地点まで行くことができました。頂上付近にわずか1,2メートルほど、本物の土塁があっただけです。
ええと
右端の一番高いところが永納山の頂上かもしれません。
そして、矢印に従って数十歩おりると
厳密に言うと西条市一円ではなく、旧周桑郡と東予市ということになります。これが山の南側。
そしてこれが三つ目の山頂からの眺めだと思うのですが(?)
下り道が見えました。
あたりは落葉広葉樹が色づいて、ハゼが鮮やかに赤くなって、まだまだ晩秋の風景でした。
山の間から海が見えます。

あの岩山は何だろう。

道はまた木々の間に入りました。

そして、また海。山の北側、瀬戸内海国民休暇村の方です。

山のすぐ下、河原津漁港あたり

こんな工事カ所がいくつもありました。

反対側をむくと
先ほどの周桑平野と


遠くに石鎚山
仏様が寝ているように見えませんか?
道を下ります。いったいどこまで続くのやら。


ここには展望台ができるのでしょう。まだ入ることはできませんでした。

道に沿ってモノレール。どこからか木を切る音も聞こえてきました。

ここまで来ると海は今治方面から西条沖まで見えるようになりました。瀬戸内海防衛の要だったというのも納得です。
ここが頂上?

←が。もっと行けと言ってます。
振り返ってみれば、登ってきた道がずいぶん遠くに

そして、
着きました。ちゃんと三角点がありました。



写真を撮りながらゆっくりゆっくり歩いて50分。
ここから国道側に下りられるのですが,それはまたの機会にして、同じ道を引き返しました。
楽しかった~ このあたりでは景色の美しさで言えば一番でした。後日友人に聞いたところでは、国民宿舎から永納山頂上まで歩いたことがあるんですって。そして、山にはもっと木がいっぱいあったんだそうです。そのうち遊歩道がきれいに整備されれば、休暇村で過ごす人たちのアクティビティの一つになるかもしれません。