祇園祭の後祭りを観るために京都へ来ました。

暗がりを抜けると木を植えた細いお庭があってこの左は人が一列になって通っています。

さらにその左は広いお座敷のようでした。そこの建具を全部とっぱらって飾られていたのは

神社⛩️と大きな鯉。ああそれで鯉山なのか。一つ一つ見て納得していったわけです。

この方が色々説明をされていたようですが、ちょうど一区切りついたところ。詳しいことは聞けませんでした。

店を出るとあたりは薄暗くなって、ちょうちんに灯が灯っていました。そしてどっと人が多くなっていました。
これは鷹山

いくつかの山でお囃子が演奏されていましたか、高いお囃子台に上がるのに、町家の二階から橋をかけてあがるのです。


人出は多いけれど想像したほどではなく、昔賑やかだったころの松山土曜日夜市くらい。けれど雑踏に慣れない田舎者の私たち、並んでまで御神体を見る気にもなれず、外観だけを見て次へ次へと歩いていきました。

すごい迫力の龍

洛中洛外図のようなものかな?


多分、舞楽や雅楽の様子を描いたもの?

はじめに書いた記事に間違いや書き忘れがありましたので訂正、追加をしておきます。
訂正 宵宮→宵山
追記 それぞれの山の近くで女の子たちがわらべ歌を歌っていました。そうして縁起物を販売するんだそうです。
ホテルのチェックインが午後4時。もう汗びっしょりで全身着替えずにはいられませんでした。着るものを余分に持ってきてないのだけど、ま、いいか、ホテルで洗濯しよう。

あら、あちらにも。地図で見るとまあまあ離れているのかなと思ったのですが、実際には案外近く、辻々にあるという感じ
宵宮とは、明日巡行する山鉾を通りに飾って提灯を灯し、お囃子を奏でるらしいです。大体の場所と山鉾の名前は調べました。詳しいことはホテルのフロントで聞けばいいや、と呑気に構えていたのですが、
フロントにはパンフレットさえ置いていない様子。ここでも、ま、いいか。四条の駅まで行ったらなんとかなるだろう、ウマちゃん、とりあえず出かけよう。
ばあちゃん、どこへ行くん?
とにかく人が行っているところ。
ご飯はどこで食べるん?
いいとこが見つかったら。
当てずっぽうに歩いていたら向こうにたくさんの提灯が見えました。あ、あれだ。
鯉山の幟が見えます。

あら、あちらにも。地図で見るとまあまあ離れているのかなと思ったのですが、実際には案外近く、辻々にあるという感じ
でした。よかった、これならたくさん見られそう。
見えたのは橋弁慶山でした。

でも、下の方ががらがらなんです?人の流れに従って歩いていくと

でも、下の方ががらがらなんです?人の流れに従って歩いていくと

民家の一、二階すべて解放して歌舞伎の一場面のような人形が飾られていました。なるほど、橋弁慶とはこういうことか。 京都の五条橋で牛若丸と弁慶が戦ったという逸話を人形で再現しているのでした。これがあのがらがらの部分に乗るのかな?
色々リサーチした割には何もわかってなかったです。
ここに御朱印を押すところがあって、自由に押していいようでした。御朱印帳?どこで手に入れるんだろう?ま、いいや、手帳に押しとこうね。
いったん鯉山まで引き返すと、いつの間にやら人の列ができていました。いったい何があるのだろう、並んでみました。
列は鰻の寝床と言われる町家の奥の方に続いていました。
初めて入る京都の町家。ワクワク。
本当に細い。

暗がりを抜けると木を植えた細いお庭があってこの左は人が一列になって通っています。

どなたか係の人が、「カメラで立ち止まらないように。」と、呼びかけていました。
さらにその左は広いお座敷のようでした。そこの建具を全部とっぱらって飾られていたのは

神社⛩️と大きな鯉。ああそれで鯉山なのか。一つ一つ見て納得していったわけです。
そして一面にかざられたタペストリー。相当古く貴重なもののように見えました。

祇園祭にはヒオウギを飾るんですって。言われも書いてありましたが、立ち止まれないので読めませんでした。

ここでもらったパンフレットに、タペストリーの由来やら宵宮の山鉾の場所の地図やら翌日の巡行のルートやら、知りたかったことはほぼ網羅していまして、こんなのを事前に手に入れてたらなあ、と残念に思いました。

祇園祭にはヒオウギを飾るんですって。言われも書いてありましたが、立ち止まれないので読めませんでした。

ここでもらったパンフレットに、タペストリーの由来やら宵宮の山鉾の場所の地図やら翌日の巡行のルートやら、知りたかったことはほぼ網羅していまして、こんなのを事前に手に入れてたらなあ、と残念に思いました。
しかも、じつくり読んだのはホテルに帰ってから。だつて、字は小さいし、あたりは薄暗いし、人の動きに合わせて歩かなきゃならないしー
パンフレットによると、タペストリーは、1600年前後のベルギー製。古代ギリシアの詩人ホメロスの詩が題材になっているそうです。一枚のタペストリーを山に合わせて惜しげもなく切り離し周囲に飾ったんだとか。
黒主山
なんと水が張ってありました。


でこちらも並んで入って見ます。
どうもこの人形が黒主のようです。

この方が色々説明をされていたようですが、ちょうど一区切りついたところ。詳しいことは聞けませんでした。

部屋の三方に飾られた幕?がそれはそれは豪華でした。

後で調べたところ黒主とは、平安時代の歌人大友の黒主。この人形が御神体だそうです。寛政年間に作られたものだとか。

後で調べたところ黒主とは、平安時代の歌人大友の黒主。この人形が御神体だそうです。寛政年間に作られたものだとか。
ということは、それぞれの山や鉾に御神体が乗せられているということ?
どこのものか分かりませんが巨大な幟。鯉がたくさん描かれています。

ここまで来てウマオがお腹が空いた、帰りたいと言い出しました。それをもう少し、もう少しと励ましながら行くと、運良く洋食屋さん発見。こぢんまりした家庭的な雰囲気のお店で大好きなカツカレーを食べて元気を取り戻しました。ここのご主人、明日は山鉾巡行に参加するのだとか。祇園祭がにわかに身近になった気がしました。

ここまで来てウマオがお腹が空いた、帰りたいと言い出しました。それをもう少し、もう少しと励ましながら行くと、運良く洋食屋さん発見。こぢんまりした家庭的な雰囲気のお店で大好きなカツカレーを食べて元気を取り戻しました。ここのご主人、明日は山鉾巡行に参加するのだとか。祇園祭がにわかに身近になった気がしました。
店を出るとあたりは薄暗くなって、ちょうちんに灯が灯っていました。そしてどっと人が多くなっていました。
これは鷹山

いくつかの山でお囃子が演奏されていましたか、高いお囃子台に上がるのに、町家の二階から橋をかけてあがるのです。

コンコンチキという特徴のある鐘の音。その叩き手には長い飾り紐が付いており、手の動きとともに紐が上下します。それがなんとも言えず美しい。

人出は多いけれど想像したほどではなく、昔賑やかだったころの松山土曜日夜市くらい。けれど雑踏に慣れない田舎者の私たち、並んでまで御神体を見る気にもなれず、外観だけを見て次へ次へと歩いていきました。
宵宮には、屏風祭りと言って個人が所有する屏風なども一般に公開されています。中には国宝級の貴重なものもあるのだとか。
路地を入らなければならないところもあるそうですが、通りがかりに見られたものだけ
国宝ですね。

すごい迫力の龍

洛中洛外図のようなものかな?


多分、舞楽や雅楽の様子を描いたもの?
手刺繍です。

動きのある表現が素晴らしい。

動きのある表現が素晴らしい。

最後に見た唯一の鉾 大船鉾
先端が船の形をしています。
えーと、山と鉾の違いは何なのかな?まあ、いいや。

ウマオのすごいところは、方向感覚。一度通った道はちゃんと覚えています。

ウマオのすごいところは、方向感覚。一度通った道はちゃんと覚えています。
ウマちゃん、ここ通った?
うん


最初に見た橋弁慶山にも灯りが灯っていました。
これで元に戻ったね。もうホテルに帰ろうか。あと二つ見てないのですが、改めて見にいくには遠かったので帰ることにしました。また明日見ることだし。
こうして迷うことなくホテルに帰ってきました。歩数計をみると、18000歩になっていました。
それからシャワーを浴びて…このホテルにはシャワーしかありません。ベッドは高く、腰掛けると足がぶらぶら。すべて外国人仕様なんです。よかったのはランドリーの使用状況が、部屋のテレビでわかること。か、なかなかあきません。結局明日の朝洗うことにして寝てしまいました。連泊だから楽ちんです。 続く