あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

セイタカアワダチソウの草木染

2022-11-10 01:03:41 | 植物
 我が家にいつの間にか生えてきたセイタカアワダチソウ
 抜いても抜いても生えてくる。 ことしも見つけるたびに生えて来て3本の花が咲きました。
 
 
 まだはえたばかりの若々しいセイタカアワダチソウは黄色もあざやかで、咲き誇るユウゼンギクとよく合います。

 
 10月の草木染はセイタカアワダチソウでした。例によって染める前に植物のお話。先生が用意したのは、その名の通り、先生の背丈を超える1本のセイタカアワダチソウでした。
 
 


 
 日本の侵略的外来種ワースト100の一つ。耕作放棄地全体が黄色く染まっているのをよく見ます。これは根っこから他の植物の成長を阻む物質を出して自分たちだけが成長するからなのだそうです。しかし、その物質によって自分自身も弱っていくので長い間には自滅してしまうんだとか。以前は花粉症の元凶とされて盛んに駆除作業が行われましたが、これは冤罪だそうです。というのもセイタカアワダチソウの花粉は重く、風では飛ばないので花粉をまき散らすことはないそうです。花粉を集めるハチなども、重たそうに飛んでいるとか。

 花をアップで見てみました。

 
 いつものようにこれを鍋に入る長さに切り刻んで、ぐつぐつと煮ます。セイタカアワダチソウは木綿でも色が入りやすいというので、今回は木綿のストールを選びました。
 が

 
 色が薄い。大丈夫かなあ。おまけに洗濯しているみたいに泡がたちました。だから泡立ち草?
 いったん水洗いするとほぼ白です。

 ミョウバンにつけるとわずかに黄色がかってきました。

 
 シルクで染めたのはこんな色。やはりシルクのほうが染まりよいようです。

 
 2回目染液に漬け込みます。

 
 洗うとまた薄くなるんですが


 
 いつもよりもう一回余計に染液とミョウバンにつけて、こうなりました。
 


 本物はもう少し黄色です。木綿なので汗をかいても安心。ちなみに、シルクのスカーフを洗濯するのは、シャンプー剤で洗うといいそうです。
 
 今回は義妹も一緒に参加しました。もともと花が好きで詳しい彼女(花屋の副社長)とても楽しかったそうです。そして、「なんだか植物を見る目が変わってきたわ。」と言いました。
 
 帰りは恒例の植物観察。
 ずっと見続けてきたサワグルミは茶色くなっていました。
 
 
 来るとき目をつけていた場所で車を止めて

 
 しげしげと眺めました。
 これは他の方のブログで見たことがある・・・・

 
 ヤクシソウですかね。



 こうして山でなければ見られない花を見つけるのも楽しみなんです。
 
 
 
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夏の花 秋の花

2022-11-08 01:05:28 | 植物
 暦の上では立冬を過ぎましたが、暖かい愛媛では今、秋本番という感覚です。 秋と言えばコスモス。
最近あちこちの休耕田にコスモスが植えられているのを見かけるようになりました。
 
 美術館の帰り、国道から見えるコスモス畑に寄ってみました。
 我が家のコスモスはすでにみすぼらしくなっていますが山間の畑では今が盛りでした。
 
 


 
 向こうで草刈り機のエンジン音が響いていました。丈高いコスモスもほったらかしでは草には負けるようです。
 
 もう一か所、コスモス見物のはしごです。
 国道から少し山へ入った河之内地区。白猪の滝に行く道沿いに美しい棚田が広がっています。
 
 
 その手前にコスモスが植えられています。
 ちょっと花が寂しいかなと思いましたが

 
 まだ咲き始めでこれから華やかになると思われました。緑の多いコスモス畑も私は好きです。

 
 2か所とも道よりも畑のほうが低く、上からしか写真を撮れません。青空に背伸びしているような姿を撮りたいのですけど。
 
 次の週、東温市の見奈良に寄り道しました。ここは面積も一番広く見ごたえがあります。すでにコスモスの名所として定着しているところです。ここなら低いアングルから写すこともできます。
 
 

 
 しかし、満開を過ぎて終わりかけ。



 
 残された花の中でミツバチも頑張っていました。

 
 けれど、低いアングルで写せる場所はすでに刈り取られて整地されている場所や、今トラクターで耕うんしている畑もありました。よく見ると

 
 小さな芽が出ていました。これは菜の花の双葉だと思います。はや来春の菜の花畑の準備が進んでいるのでした。
 この小さな芽を踏まないように気を付けながら農家のご夫婦が肥料を撒いていました。機械で撒くのではなく手作業で。
 
 ああ、この景観も見えないところでのお世話があるからこそなんだなあ、と思いました。
 
 秋の花と同じこの時期にさいている夏の花があります。
 
 近頃どこにでも見かけるようになった青い朝顔。リュウキュウアサガオというのでしょうか。
 
 
 
 このブルーは嫌いじゃない。アサガオも好きな花ではありますが、これを野生化させていいものなのか・・・・

 この写真は山の雑木に絡みついたところを撮ったのですが

 

 松山市のある神社のつつじの生け垣は、この花で覆われて葉がわずかに見えるだけになっています。来年ツツジは無事に花を咲かせるのか、信号待ちでいつも止まる場所なので気になって仕方がありません。
 
 朝顔はやはり夏の盛りに咲くのがいいなあ。初頭の朝顔は季節外れで興ざめです。
 
 
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色づき始めた木々

2022-11-07 10:07:00 | いろいろ
 以前の出来事の記事が続きました。たまには季節感のある記事を書きましょう。
 
 祭りの日以来、予想通り西条市・新居浜市のコロナ感染者は松山市をしのぐ数になっています。人口10万人当たりの感染者数は500人を超えています。 
 
 ヨウコが風邪をひきました。コロナの検査結果がわかるまでケイタは幼稚園にも行けません。
「(だれかが)お風邪をひくたんびにどきどきする。」とケイタ。たった4歳の子供にもコロナは影を落としています。
 せっかくの遠足なのに・・・検査が陰性ならば遅れて合流するつもりで、近くまで行って電話を待っていました。
 
 優しい色に色づいた桜の葉


 アメリカフウの木ははや真っ赤です。

 
 ようやく陰性だったと連絡があって、ケイタはお友達のところに走っていきました。
 
 美術館のある城山公園。10月は4回、ほぼ毎週ここへ来ました。県展の作品搬入、鑑賞、そして「高野山金剛峰寺展」 これが評判が良くていつ来ても駐車場が満車なのです。搬出のこの日も駐車場に入れず。いつもなら、搬入・搬出は特別に美術館近くに停められるはずでしたが、この日はなぜかポールがたてられて入れず・・・・
 結局、ほんの数分なので路駐させてもらいました。大きな作品(わたしは今年は小さかったのですが、100号なんて作品はざらですから)抱えて遠くの有料駐車場に歩いていくのって大変、というより無理。
 
 車の中から大急ぎで写した写真です。

 
 良いお天気で松山城が輝いて見えました。そしてところどころに鮮やかな朱色の木。
 
 
 今まで搬出の日に赤い木が見えたことがあったかなあ。少し早いような気がします。
 
 帰路、国道のアメリカフウの並木は、緑から黄色、オレンジと入り混じって、今だけの色合いでした。


 
 青空に映えてきれい。けど実は夕方。



最近ではここが1番のお気に入りです。


 
 国道を逸れてわき道から見ました。なんだかメルヘン。



 去年の写真を探したら、11月10日に同じような色づきの風景を映していました。1週間近く早いです。今年は冬が来るのが早いのかも。
 
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石鎚村散策2 老之川から石鎚小中学校跡まで

2022-11-05 09:34:27 | 山登り・里山歩き
 諏訪神社を出て上流へ。3月に行った曽我部さんの家方面ではなく、割と広い林道を歩きました。最近補修されたらしいか所もあって、まだ使われている道のようでした。
 
 
 山側に残る苔むした石垣
 
 このように石垣を積み上げて上に行く道を作ったり、平地を作って家を建てたりしていたのでしょう。あまり崩れてなくしっかりした石垣でした。
 
 道端の花や草を眺めてはかわいいと写真を撮り、何の花かと訊ねたり、なかなか前へは進みません。
 
 もうすっかり覚えました。コアカソ、葉っぱが穴だらけです。
 
 
 花が咲いていました。 なんだかのれんみたいで面白いです。


 これこれ、
 前から疑問に思っていた植物です。 山でよく見る植物で、コアカソに似ているけどコアカソではない、何だろうかと思っていました。葉っぱだけできれいな植物なんです。

 ミズだと教えていただきました。

 それから私一人が大興奮。皆さんは、すでに知っている花でした。 いろいろな人のブログに登場して心に残っていた花、アケボノソウ。生まれて初めて実物を見ました。

 
 葉っぱだけは知っていたけど、実を見たのは初めて
 
 アカネ
 
 自分がどこにいるかさっぱりわからないけど、右へ行くと高瀑(たかたる)の滝へ行けるようです。けど、歩ける道はどこ?

 
 先生の話ではおいのかわ地区まで行って引き返すそうですけどー
 
 この橋の向こうがおいのかわ地区

 
 小枝や葉っぱが積もって腐葉土状態でした。 人が通った痕跡はありません。
 下を流れる川は
 
 
 かなり下のほうにありました。
 
 橋の名前はー
 
 あらら、こんな字でした。「老之川」
 どうしてこんな名前なのかな。なにかいわれがあるのでしょうか。この水を飲んだらいきなり年寄りになるとか、この橋を渡ったら老人になるとか、老人になったらこの橋を渡って向こうへ行かなければならないとか・・・・ 年寄りには不穏な想像をさせる名前です。

 でも。若い人は何も思わないらしく、私があれこれ想像するのを面白がって笑うだけでした。ねえ、本当にどうしてこんな地名なんでしょう。気になります。この老之川地区には数軒の民家があり、山で切った木を下の川に流して下流に運ぶ仕事に携わっていたそうです。今では下流にダムができて川を使う運搬はできなくなりました。

 
 散策はここまで。引き返します。植物にはあまり関心のないウマオやトラオはさっさと引き返し、予定時間をオーバーしているのが気になる先生も急ぎ足。私たち植物好きのおばさん(私はおばあさん)4人がのんびりと花を楽しみながら歩きました。すると、向こうから追いついてきた人が。
 
 この人こそ石鎚を天狗のように駆け下りてきた青年でした。物おじしないおばさまたちが声を掛けました。(石鎚登山成就社ルート 1 に登場します)
 
 高瀑へ行ってきたんですか
 はい
 今道は通れるんですか?
 きびしいですね。この間の台風でますますひどくなってました。
 遠いですか?
 わりと
 私たちも行けるかなあ
 登山に慣れた人がちゃんとした装備をつけて行かないと無理だと思います。
 
 高瀑の滝は昔は歩きやすい道だったそうですが、道が崩れて行きにくい場所になってしまいました。彼は行ってみたいという友人のために下見をしてきたんだそうです。腰には鉈とナイフ。道を切り開きながら行ったのだそうです。おばさまたちの質問攻めに、ついには撮ってきた動画まで見せてくれました。
 すごい。落差は今まで見た滝で一番大きいように思いました。若いときに行っておくべきでした。今となっては一生行けないと思います。多分テレビなどの取材クルーも入れないのではないでしょうか。動画を見せてもらってよかったです。幻の滝です。
 
 しばらく話してから彼は私たちの先を歩いて行ってしまいました。ところが、車を止めた場所で、彼はまた捕まっていました。気の毒に、私たちの足並みが揃わなかったから同じ話を二度する羽目になったのではないかと思います。
 
 車に乗り込んで帰る途中、旧石鎚小・中学校跡に立ち寄りました。前回、サルを見かけたので深追いしなかった場所です。
 
 草や苔で覆われていますが、校舎の土台だったと思われます。
 
 
 
 こんなに小さい教室だったんだぁ。大きな学校で学んだおばさまは感慨深げ。実はここに来るまでに保育所跡も訪ねて、こんな山深い場所にも幼児がいたのだという事実に心動か5されました。そして昭和50年代まではこの学校は存続していたのです。ばらばらと散らばる集落から遠い道のりを歩いてきたのかなあ。
 
 土台のそばに園芸店で売られている花が咲いていました。うちにもあったんだけど、なんだっけなあ?

 
 一方では野菊(正確な名前はわかりません)の群れ

 
 むかし、確かにここで学んだ子供たちがいた、それを象徴するかのような光景でした。 
 
 学校跡の向こう(サルが消えて行った場所)は河原でした。

 
 澄み切った水。 きれいな色でした。子供たちは壊れたこうもり傘の骨で魚を突いて取っていたそうです。 今の子供たちから見れば厳しく不便な生活だったでしょうが、山の学校で勤務したことのある私には、きっと楽しい暮らしだったのだろうなと思えました。純朴な数人の子供たちと、イモリを飼育して生まれた卵からえらのある幼生を育てたり、ドングリ団子を作ったり・・・教科書の勉強だけではない勉強をいっぱいしましたもの。

 
 孫たちは早速生き物探しをはじめました。カワゲラの仲間がいたみたいです。そして石投げー水面をだんだん飛ばしに滑ベラせていくあの遊びです。得意なおばさまに教えてもらって何度も挑戦しましたがうまくいかず・・・帰る時刻になってもまだやりたそうでした。
 
 
 だれかが語り部にならなければ・・・・案内してくれた小澤先生の言葉です。
 
 魚も下流に黒瀬ダムができたことで遡上しなくなり、村人の楽しみもなくなりました。 そして林業の衰退や車社会の発達とともに村を離れていったのです。黒瀬ダムは今も下流の地域の農業や工業に利用され、多くの人が恩恵を受けています。
 
 わたしは10月、3回もこの道を走りました。途中、今は営業してない数軒の旅館の建物が残っています。ロープウエイができるまで石鎚山は日帰りでは登れない山でした。信仰のために山に登る人のための旅館がいくつもあったそうです。しかしロープウエイの完成とともにそうした宿はなくなりました。
 
 ロープウエイとダムと。われわれの便利な暮らしと引き換えに故郷を離れた人々がいたことを忘れてはならないと思いました。時代の流れとしてしかたがなかったことではあるでしょうが、はるか昔からこのような暮らしをしていた人がいたからこそ途切れることなく続いてきた石鎚登山の歴史があります。ご先祖様とは、血のつながった人だけではなく今の暮らしにつながるすべての人々なのだとしみじみと思いました。
 
 もう一つ
 
 
 
 
 たしか新聞でも報道されたことがあります。戦争に翻弄された一人の女性の過酷な人生を伝える看板です。特攻兵の第1号は西条市の方だったと。戦時中は戦意高揚のために軍神とあがめられ、終戦後は戦争加担者として迫害されたということはその新聞記事で初めて知りました。その女性が亡くなったのがこの場所であったとは。こうして実際の場所を訪ねると、その事実の重さに言葉を失います。
 
 こうして廃村を訪れた者の一人として、私も何か伝えるべきではないかと考えながら書きました。最後まで読んでくださってありがとうございました。 
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石鎚村散策 1 諏訪神社周辺

2022-11-04 00:27:20 | 山登り・里山歩き
 石鎚登山、その後です。
 10月最後の日曜日は、ウマオはまたまたお父さんと石鎚登山に行きました。そして元気よく帰ってきました。ついに念願の鎖場を制覇したそうです。 3つの鎖を合わせると150m以上あります。
 そして残ったトラオと母親と私とは、今治のしまなみヒルズにあるイオン山へ。 トラオの誕生祝を買いに行きました。そして木立ならぬ人の林に疲れて帰ってきました。
 
 そうこうしているうちにはや11月。10月の出来事で書きたいことがまだあるのに。なので、時を遡ります。
 
 10月15日、世間は3年ぶりの祭りに沸いていた日
 
 
 待ち合わせたスーパーの駐車場にこのあたりの人々が集まっていました。
 西条祭りのだんじり、新居浜祭りの太鼓台ーとにかく華やかで勇ましくて、正月は帰省しなくても祭りには帰ってくる人も大勢いるそうですが、周辺地域で暮らす私たちはさほどの思い入れはありません。
 
 これは、新居浜の太鼓台と似ていますが西条では「みこし」と言われるものだと思います。このみこしのお供でだんじりという山車が市内を練り歩きます。あえてひらがなで書いたのは、神様が乗る乗り物は一般的な神輿の形をしており「しんよ」と呼ばれるそうです。(実はあまり詳しく知らないので)

 
 そのみこしをしり目に私たちが向かったのは・・・
 
 3月に旧石鎚村を訪れた時、入り口まで来て立ち寄らなかった「諏訪神社」です。 この日は娘の山歩き仲間と、今治城でお世話になった小澤先生、ウマオやトラオも一緒でした。

 
 橋を渡って参道へ向かいます。
 
 人の住まないこの村ではもちろん祭りはないのでしょうが、境内は草が生い茂ることもなくきれいに手入れされていました。
 
 
 橋のたもとにいたのは蛇。 模様がマムシに似ていますが、青大将の幼生。小さいときはマムシににた模様なのだそうです。頭が三角形でないのでマムシと違うことがわかります。
 
 
 私たちがしげしげと見つめるのに気づいて逃げようとしたのだと思いますが、ポトンと落ちてしまいした。 子どもたちが見つけたカエルもやっとこさで石垣に逃げ込んでいきました。寒さで体が動かなかったのだと思います。そろそろ冬眠に入るころですね。
 
 生き物の姿があまりないのは寂しいものです。
 カマドウマかな?
 
 なんだかわからない、変な虫だと思ったら、羽を広げていたのでわからなかったのです。か細い声で鳴いていました。
 



 
 
 これも、どこが頭なのか体なのかさっぱりわかりません。
 
 
 この日、3時間ほどの散策で生き物を見たのはこれだけです。


 
 上の方には本殿とは別に小さな祠もありました。

 
 下は澄み切った水。

 
 近くまで下りてみました。

 
 美しい色でした。





 植物もいろいろ見ましたが、あまり花が咲いているのはなくて葉っぱだけを見て名まえは聞いた片っ端から忘れていきました。 
 
 きのこーいろいろな種類があって楽しいですが、名前がわかりません。まあ、きのこだけは名前を覚えようとも調べようともしないのですけど。あまりにもたくさんあるし、微妙な違いを見つけて判別しなくてはならないし・・・って、わたしはキノコはキノコでいいの(開き直っています)

 これぞキノコ
 完璧な形です。
 


 お椀のように反り返っています。
 
 
 形の面白いキノコ
 サンゴタケといったかな? 


 若々しいキノコも年を取ると・・・・
 こうなります。

 
 トランペットの先のようなかたち。
 足がないんですよね。
 
 
 カラフルキノコいろいろ
 
 色鮮やかな黄色



 
 轟の滝でも見つけた紫色のキノコ。 ムラサキシメジかな? そうだとしたら食べられるんですよね。私は買ったキノコしか食べませんけど。



 これはかわいさでは一番
 ベニヒガサだと教えてもらいました。
 
 
 これもベニヒガサなんでしょうか。
 
 
 集団で生えているキノコ
 
 これはすごい。
 
 



 
 
 
 キノコ観察会ではなかったのですが、みんなキノコが大好き。しょっちゅう かわいい~~と 叫んでいました。
                                        
                                             続きます
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石鎚登山成就ルート その2

2022-11-02 01:57:12 | 山登り・里山歩き

 登り道が続きます。階段だらけは足に堪えます。わたしはついにズボンのひざのファスナーを開けて裾を取り外しました。すると半ズボンになるのです。これで膝のあたりに布の抵抗がなくなり、少し登りやすくなりました。座り込んでそれをしていたらすれ違う人が「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。

 語録6 石鎚を好きになってほしいから困っている人を見かけたら進んで助けることにしている(休みのたびに登山する愛好家)

 立ち止まっていても「お気をつけて」と言ってくれる人も何人もいました。ベテランの人は挨拶をするときに声や表情で相手の体調を思いやるそうです。

 登り続けて夜明かし峠近くまで来ました。娘が小学生の時はここまで来たそうです。(それ以前は山頂まで行っていました。事故があったりして次第に短縮され、今は登山しなくなっています)

 

 ここまで来ると目の前に石鎚山頂が。

 右から出た枝の先あたりに山頂社が見えます。 とおい~

 


 これは私のもっともいやなパターンだわ。

 人それぞれではありますが、わたしは目の前に目標が見えているのに、歩いても歩いても到達できない道は嫌なのです。堂が森もこのタイプで、森を抜けた先に頂上が見えますが、とても遠くていやでした。逆に土小屋ルートだと先が見えないので、ひたすら歩いていくうちにいつの間にか着いていて、私にはこの方がずっといいです。

 で、休憩所は?

 山頂社の真下、かなり上のほうにありました。そそり立つ険しい傾斜。あそこまでは行くと決めていました。

 語録7 トイレは2の鎖下までありません。登山の前にトイレを済ませましょう(ロープウエイ駅での注意書き)

 これ、大事。成就から2.6㎞ すでに3時間近くかかっています。めちゃくちゃ遅い。ここで引き返したら絶対トイレで困るに決まっています。だから休憩所でトイレを済ましてから下りるつもりでした。

 

 夜明かし峠にはルート図がたっています。これでいうと、2の鎖の下に休憩所があります。

 成就ルートは土小屋ルートより1㎞短いですがその分傾斜が急で、時間的にはどちらも同じ。土小屋ルートにはところどころに休憩用のベンチが設置されていますが、成就ルートにはベンチはありませんでした。2か所だけ丸太と角材の置かれた場所があって腰を下ろすことはできましたが、それだけです。観光登山者には不親切なルートです。本当に修行の道だなあと思いました。

 けど、この道を1歳くらいの幼児を抱っこ紐に抱いて登ってきたお母さんがいたのですよ。母は強し! しかも、そのぼうや、自分で歩きたいと駄々をこねている。ここは危ないからダメとお母さんがなだめていました。

 語録8 登山にも英才教育が必要だ。(ずっとソロで登山してきた結果、子供が一緒に登ってくれないと寂しがるお父さん)

 そうねえ、親子で登った楽しい経験があるからこそ山登りが好きになるのかもしれません。一緒に登る中でいろいろな知恵もマナーも学んでいくのでしょう。学校で一斉登山をしなくなったからこそ、だれかが教える必要があります。

 階段ばかりのしんどい道ですが、眺めがいいので救われました。





 振り返ると、登ってきた成就の建物

 


 一週間前に行った瓶が森。

 

 西条市の街並みと瀬戸内海(ひうち灘)



 一の鎖に着きました。 私はもちろんう回路を行きます。挑戦した人もいましたがあえなくリタイア。すぐに下りてきました。無理はしないほうがいいです。

 


 
 お山開きの時、信者さんたちはご神体を背負ってこの鎖を登ります。石鎚にはさらに2の鎖、3の鎖があって、それは休憩所より上に設置されています。3の鎖は長さ68m。わたしだったら体力尽きて落下しそう。

 たまたま人の姿が途絶えて、たった一人でとぼとぼと歩いていたら目の前に小鳥が。トリミングしたらボケてしまいましたが、あなたはだあれ。



 逃げるふうでもなく私の前を案内でもしてくれるように歩いていきました。しばし疲れを忘れました。

 語録9 ぼくらは地球の上で遊ばせてもらっている。できるだけ自然の邪魔をしないように、壊さないように気を付けたい(県外から来た大学生ふたり) 

 ここへ来るまでに、ガンガン音楽をかけて登ってくる若者グループに道を譲りました。わたし、ちょっと迷ったのですけど気のよさそうな青年たちだったのですれ違いざまに声を掛けました。

「お願いがあるんですけど」 息も絶え絶えのばあさんに呼び止められた若者は何事かとびっくりしたことでしょう。              「ボリュームをもうちょっと落としてもらえませんか。小鳥の声が聞こえないから。」本当はイヤホンで聞いてくれと言いたかったけどそれは言いませんでした。その時は本当に小鳥がどこかへ行ってしまってたのです。

 大分山が近づいてきました。



 そしてついに休憩所がすぐ上に。

 鳥居の上に避難所を兼ねた休憩所と、トイレ、その上に2の鎖、3の鎖があります。

 ここまでかかった時間 3時間半。標準タイムより1時間も遅かったです。がんばった。

 じつはこの鳥居からトイレのある休憩所までの石段が最難関でして、最後の力を振り絞らなければたどり着けません。

 小屋に入ってお弁当を食べ、娘に電話しました。

 「今休憩所」

 「ええ~~ そんなとこまで登ってきたん。がんばったねえ。」

 山を登り慣れているお仲間でさえ、喘ぎあえぎだったそうで、わたしなんかとっくにリタイアして下山したと思っていたらしいです。

 帰りの下り道は登りよりもきつかったです。

 語録10 体が寒くないのに足が震える(ウマオ)生まれて初めて膝が笑うという経験をしたらしい(笑)

 語録11 抜きつ抜かれつですなあ、何度も会いましたねえ。(休むたびに道を譲っていた人から)

 きつい道だからこそ連帯感が生まれてきます。 きっと同じ時間に下りるんでしょうね。なんて話していたのですが、最後は私が負けました。

 抜きつ抜かれつといえば、登るとき前社が森の小屋で先を越された団体ツアーの皆さんを、この下りで追い抜きました。 

 ツアーに付き添っていたガイドさん、「皆さんゆっくり行きますよ。このお母さんのペースで後をついていきましょう。いいですね。」わたしがペースメーカーになるなんて! みなさん相当お疲れなのかな? あとから追いかけられるのは好きではないので先に行ってもらいました。がすぐにまた追いつきました。

 追いついたのは前社が森の小屋です。このツアーの一行が休んでいるのが見えました。私が追い抜いた人たちを待っていたようです。私が休憩所まで行く間に山頂まで行って私より先に帰ってきたのだと思います。皆さんかなりの健脚とお見受けしましたが、さすがに足並みがみだれたようです。

 



 人数の多いツアーなんですよ。足並みが揃わないのも無理ないですね。こんなに大勢が休めるところは他になかったように思います。

 ツアー客の一人が男性が添乗員さんに向かって、やれ、歩くスピードが遅いだの、ちんたら下りていたらかえって疲れるだの、文句たらたら言っていました。それを聞いて私も疲れていたものだからちょっとイラっとしたんですわ。ついつい言ってしまいました。

 語録12 ツアーなんだから無理ですよ。自分のペースで登りたいなら一人で来なくては(顔だけはにこやかに笑いながらね) 

 その男性、いかに普段自分が山登りに長けているか、ツアーで来たのは交通手段がないからだとかいろいろ周りの方に言っていましたが・・・ 私も何人かの登山好きの方のブログを読ませていただいていますが、皆さん人を当てにせずぐちぐち言わず、すがすがしい方ばかり。自分で交通の手配もガイドを雇うこともできずツアーでお世話になってるなら仲間の悪口は言わないことです。おまけに地元の人の悪口まで言うなんて

 その悪口とはー

 登ってくるとき、買わない人にはトイレは貸さないと言った小屋のおじさんのことを、商売人として心が狭いというのです。 しかし、その人の言うように気前よく貸してあげたとしても1日に数百人の、ほとんどが再訪することのない登山者の何人が亭主の人柄に感銘して飴湯を買ってくれるでしょうか。都会の商売とは違うと、わたしは心の中で反論しました。

 語録13 石鎚山は団体ツアーには向かない山だ(私他複数の人)

 剣山などは、山頂に行かなくても楽しめる場所が何か所かあるし、余力のある人は隣の次郎笈までも行けます。体力に応じて楽しめる山だと思いますが、石鎚山はひたすら登るだけ。無理になったら同じ道を引き返すだけ。考えようによってはつまらない山です。少人数でガイドを雇って登っているグループに何組も会いましたが、初めて登るときはそれがベストのように思います。それに・・・さっきのツアーは人数のわりにガイドさんが少ないような気がしたなあ。去年会ったツアーはガイドさんと添乗員さん、3人以上付いていたような・・・ 

 大勢で登るのではなく自分一人だったら、しんどいながらも楽しみはいろいろあります。

 サルノコシカケの仲間でしょうか。まるで貝がへばりついているみたい。

 追記 ツリガネタケだそうです。みーばあさん、ありがとうございました。
 
 これぞ紅一点

 芽生えたばかりの10センチほどの紅葉も赤くなっているし

 黒いバッタも見つけたし


  
 あはは・・・地面の写真ばかり。下ばかり向いていたということです。

 八丁坂を下りきったときホッとしました。上り道がこんなにもうれしいとは。

 

 成就で出迎えてくれた猫ちゃん。 どこかのお店の看板猫で玉ちゃんというんだそうです。めったに出てこないので会えるのはラッキーなんだとか。

 



 しばらく娘たちを待ちましたが下りてこないので先にロープウエイに乗って下りました。こんなこともあろうかと、私の車で来ていたので先に帰るつもりでしたが、駐車場で電話が通じたのでさらに10分ほど待って一緒に帰りました。ウマオは天狗岳にも行ってご満悦でした。

 車の中で、娘が山頂で出会った人のことを話してくれました。

 なんと! 汚物の袋を持って天狗のように駆け下りて行った人が、先週私たちが廃村をうろついていた時会った青年だというのです。彼はボランティアで石鎚山の環境維持のために汚物の始末やごみ拾い、道の整備などをしているのだそうです。台風で倒れた木や枝も片付けて歩きやすくしてくれたんだそうです。私とすれ違った後、彼は夜勤の仕事に出かけたんですって。

 私たちがこうして険しい山に登り自然を満喫できるのも、道を切り開いた役小角から続く先人の苦労に支えられているのだと心からありがたく思いました。そして、気持ちよく登山できるのは、たくさんの信者さんや石鎚を愛してやまない人たちの奉仕の精神があってこそ。本来は信仰の道ですから厳しくはありますが、その分人を思いやりながら真摯に登る人たちにたくさん出会うことができて、登ってよかったなあと思いました。 けど、このしんどさは、もうしばらくは味わわなくていいかな。

 追記 下山した時、歩数は17000歩を超えていました。登った階数 36階。すべてが階段だったわけではありませんがそれだけ小刻みの階段が多かったということです。 ポチの散歩を終えた時には20000歩を超えていました。つかれました~ そしてさすがに筋肉痛になりました。翌日ね。まだまだ若い?

 

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