と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

すぐれた人に学びましょう

2008年08月09日 05時55分45秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 高校生ぐらいになると、理屈が先に立って、周囲の人が愚者にみえる時期があります。自分だけが賢いと思ってしまうのです。屁理屈の時期とでもいうのでしょうか。まだ自分の本当の実力を知らないし、知りたくもないというわけです。自己限定への恐怖とでも言うのでしょう。夏目漱石の作品群に出て来るいわゆる「高等遊民」に似た心境なんでしょう。

 優秀な人ほどそうなんでしょうねぇ。

 わたくしはそういう屁理屈の時期はありませんでした。経験したくても、能力も資金もなかった。優秀でなかったものですから。それに生活力もなく、高等遊民を気取る時間もなかった。高等遊民の資質もないし。今でもそうですが、一生勉強だと思っていましたから。(^0^)/

 世の中に出てからは、本当に優秀な人がいっぱいいるということばかりでした。
 
 文学でも世界中の作品を全部読んでいるようなことを言われる大秀才もたくさんいて、面白いものだと思ったものです。しかし、ある大秀才が、実はダイジェスト版の作品紹介をよく読んでいて、それを暗記しているだけだったということもあって、わたくしは人を見る目が変わってしまったのを記憶しております。

 考えてみると、同い年で、そんな万巻の書物を読めるわけがない。

 それでも素直に長髪の、Intelligentsiaを気取っている友人たちを尊敬申し上げていたのであります。

 それは自分にはないものを持っていたからであります。わたくしなど、風にそよぐ雑草であり、大根ですから。彼らは、少なくとも愚たる存在のわたくしよりは勉強をしていたのです。素直に、そういう人間から吸収させていただきました。言っている書物を購入したり、読んだり・・・これは今でも変わりません。

 大人たちと会っていると、自分の体験したことだけが最上の価値あるもので、しかもそれを一般化して、すべてそうだと決めつけることが多いものだと感じます。なぜそうなってしまうのでしょうか。疑問です、大いに。

 わたくしが一生勉強だというのも、せせこましい経験だけを最上の価値としないで、新聞で読んだだけの知識で、知ったかぶりをやりたくないからであります。

 本当の実力ある人間はいくらでもおられます。
 大切なのはそういう人間を早く見極めることでしょう。

 すぐれた人に学ぶことです。県銚の先生がたにも学んでください。たくさん、たくさん学んでください。打てばたくさん返ってきますよ。

 時間はたくさんありますから、ね。
 在校生諸君は。
 
 
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/