中国文学の大家である安岡正篤先生の書籍が好きで随分所有しているのですが、先生の著作で要するにどんな本を読んだらいいかというのがあって、中国文学一辺倒かと思っていた自分に腹が立ちました。
なんと古今東西万巻の書物でありました。西洋の書籍も多い。Bibleまであった。線を引いてあったので、一度はわたくしもここを見ていたようです。ようですというのは、記憶になかったからです。
情けないですね。
だからノートが必要なんです。
勉強なんです。忘れるから必要なんです。社会人となると幅広く仕事をしなくてはなりません。現代人の必須条件であるコンピュータも、そう。出来ないではすまされない。
幕張に三年いたときに、コンピュータの一流会社になんども見学に行きました。あそこにいる方々は、要するにそういう世界を牽引していくEliteたちでした。
驚いたのは、そういう頭脳明晰な方々でも、一冊のノートを手放さない。むろんわたくしなんぞよりもずっと若い方々でしたから、一度ならずそのノートを見せて貰ったことがあります。
コンピュータの言語学習ノートでありました。あるいは、ソフトの動かし方とかいろいろ書いてあったのです。
まったく頭が下がります。
いつでも、いつまでも勉強だと仰っていました。
経験を積むと、その経験智だけで適当に仕事をやりがちであります。もう慣性になっているからです。これくらいの仕事は、これくらいの知識と取り組みでいいやってやりがちです。それが慣れなんでしょう。だから失敗してしまうんです。
のぼせちゃいかんのですね。
そんなことを自分に言い聞かせた日でありました。
なんと古今東西万巻の書物でありました。西洋の書籍も多い。Bibleまであった。線を引いてあったので、一度はわたくしもここを見ていたようです。ようですというのは、記憶になかったからです。
情けないですね。
だからノートが必要なんです。
勉強なんです。忘れるから必要なんです。社会人となると幅広く仕事をしなくてはなりません。現代人の必須条件であるコンピュータも、そう。出来ないではすまされない。
幕張に三年いたときに、コンピュータの一流会社になんども見学に行きました。あそこにいる方々は、要するにそういう世界を牽引していくEliteたちでした。
驚いたのは、そういう頭脳明晰な方々でも、一冊のノートを手放さない。むろんわたくしなんぞよりもずっと若い方々でしたから、一度ならずそのノートを見せて貰ったことがあります。
コンピュータの言語学習ノートでありました。あるいは、ソフトの動かし方とかいろいろ書いてあったのです。
まったく頭が下がります。
いつでも、いつまでも勉強だと仰っていました。
経験を積むと、その経験智だけで適当に仕事をやりがちであります。もう慣性になっているからです。これくらいの仕事は、これくらいの知識と取り組みでいいやってやりがちです。それが慣れなんでしょう。だから失敗してしまうんです。
のぼせちゃいかんのですね。
そんなことを自分に言い聞かせた日でありました。