現代詩手帳という雑誌があります。これの2004年9月号をぱらぱらとめくっていたら、ケストナーの「人生処方箋」という詩を特集していました。その中の、「汽車にたとえて」がすこぶるいい。
部分的に紹介してみると、
「わたしたちはみんな おなじ汽車にのって
時代を突っ切って旅行しています」
から始まって、その汽車は
「いつまでたっても終点に着きません」と出て来ます。
なにか銀河鉄道999のようなあやしい雰囲気です。
そして一等の客車に、
「ひとりだけ デブの男が 赤いビロードの席に
ふんぞりかえり 苦しそうに息をしています」
とある。
これまた、いい。
もっといいのは現代詩手帳の括弧書き。「人生を見渡したいとき 問題が生じたとき」とあります。そういうときに読みなさいよ、というワケです。
フンフンと鼻息をしながら、うまいこと書くなぁと思っておりました。
この号は、現代詩手帳には珍しい内容で、いろいろな人生問題で詩が薬になりうるかというもので、こんなのを所有していることすら気がつかないというくらいのわたくしの迂闊さ。不勉強ぶり。
他にもいろいろあって、泣くに泣けないときに、草野心平の「デンシンバシラのうた」もいいとのたもう。
一部引用してみましょう。
「稲妻が内部をかけめぐり。
丸い蜜柑がのけぞりかえる。
そんな事態になったなら。
白ちゃけて。唸るようにさびしくなったなら。
人じゃない。相棒になるのは。
夜中の三時のデンシンバシラだ。」
どうですか?
なかなかいいでしょう。わたくしなど、年柄年中体の中を稲妻がピカピカドンドンと鳴っているんですから、始末に負えないです。白ちゃけて、唸るようにさびしくなったらって、これもしょっちゅうです。
他にも、人間が尊敬できなくなったときにというテーマで、松本泰介氏が「男の子と赤ん坊と、若い主婦に語りかける言葉」というのもあるのです。正確には辻征夫のことを書いているんですが、労働者としての若い男の視点から幸福とはなにかを考えていると言ってもいいのかなと思った次第です。
受験勉強にちょっと疲れたとき、詩は短いですからちょっと読むのにとてもいいのです。
そんなひとときもまた大切なのではないでしょうか。
部分的に紹介してみると、
「わたしたちはみんな おなじ汽車にのって
時代を突っ切って旅行しています」
から始まって、その汽車は
「いつまでたっても終点に着きません」と出て来ます。
なにか銀河鉄道999のようなあやしい雰囲気です。
そして一等の客車に、
「ひとりだけ デブの男が 赤いビロードの席に
ふんぞりかえり 苦しそうに息をしています」
とある。
これまた、いい。
もっといいのは現代詩手帳の括弧書き。「人生を見渡したいとき 問題が生じたとき」とあります。そういうときに読みなさいよ、というワケです。
フンフンと鼻息をしながら、うまいこと書くなぁと思っておりました。
この号は、現代詩手帳には珍しい内容で、いろいろな人生問題で詩が薬になりうるかというもので、こんなのを所有していることすら気がつかないというくらいのわたくしの迂闊さ。不勉強ぶり。
他にもいろいろあって、泣くに泣けないときに、草野心平の「デンシンバシラのうた」もいいとのたもう。
一部引用してみましょう。
「稲妻が内部をかけめぐり。
丸い蜜柑がのけぞりかえる。
そんな事態になったなら。
白ちゃけて。唸るようにさびしくなったなら。
人じゃない。相棒になるのは。
夜中の三時のデンシンバシラだ。」
どうですか?
なかなかいいでしょう。わたくしなど、年柄年中体の中を稲妻がピカピカドンドンと鳴っているんですから、始末に負えないです。白ちゃけて、唸るようにさびしくなったらって、これもしょっちゅうです。
他にも、人間が尊敬できなくなったときにというテーマで、松本泰介氏が「男の子と赤ん坊と、若い主婦に語りかける言葉」というのもあるのです。正確には辻征夫のことを書いているんですが、労働者としての若い男の視点から幸福とはなにかを考えていると言ってもいいのかなと思った次第です。
受験勉強にちょっと疲れたとき、詩は短いですからちょっと読むのにとてもいいのです。
そんなひとときもまた大切なのではないでしょうか。